何のために? 3

何事にも結果を出すには動機が重要です。
が、裏を返せば、動機が不十分では結果は出せないということでもあります。

「失われたウン十年」とか言われる我が国ですが、これを政治とかのせいにするのは簡単ですが、我々自身はどうでしょう?

我々自身にも原因があるとか、そういった責任の所在について言っているわけではありません。
責任を追及したところであまり意味は無いと思うから。

現状の環境の中で、我々自身はどういう状態になっているでしょうか?

もし、特に日常生活に困窮しているわけでも、不便を感じているわけでも無くて、変化に対する欲求が無ければ、現状を変える動機は発生しない。

「このままではイカン!」
「こうしたい!」
という感情が無ければ動機なんて必要無いわけで、現状に甘んじて、ぬるま湯に浸かっていれば、そのままでいたいのは当然かもしれない。

いわゆる「茹でガエル」状態ですね。
もっとも、自身がそういう状態にあるなら、ぬるま湯に浸かって自覚は無かったりするだろうけど。

で、ですね
先日のFormula SAE オーストラリア遠征ですが、何度も言っているように、我がチームにとっては再起を賭けた参戦でした。

準備は不十分でした。
これは、その大会に相応しい準備に対する動機が十分に無かったから。

「このままではイカン!」
「こうしたい!」
という気持ちが十分では無かったから、そうなったのは間違いないでしょう。
つまり、本番の環境に対する想像ができなかったからでもあります。

動機が十分で無ければ、参戦する意味とか価値が無いかというと、実はそうでも無かったりします。

自分達が本当に望むものがそこにある
どうしてもそれを手に入れたい

と本気で思わないと、何をやってもうまくいかないものです。

なので、ダメを承知で参戦しました。
これは賭けでもありました。

オーストラリア大会は、小規模ながら粒が揃ったレベルの高い大会です。
そこに身を置いて

「ダメだこりゃ」
となって萎むのか
「ここに欲しいものがある!」
となるのか
そういう賭けです。

これでダメなら、もうやめちゃうしかないな
と思っていました。

いや、やめるかどうかを決めるのは彼らなので、アドバイザーである私の場合は、「もう付き合ってられない」というところでした。

結果、彼らは危機意識と願望を手に入れてくれたのでした。
なので、危機的状況もまんざら悪くない。
というか、むしろ茹でガエル状態には、そういった刺激が必要なのです。

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