恐らく世間一般では、こういうことになっているのでは無いかなぁ、という妄想です。
勘違いなら良いのだけど。
子供達は公園で友達と遊べずに、画面の前で他人が作った情報を受け止めて楽しむ。
学校では言われたことをやる。
余計なことをやったり、失敗したりすると嫌な思いをするので、それは避けたい。
沢山暗記して、出された問題を解けるようになって、良い学校に入って、良い会社に入るのは何のため?
自分が楽な暮らしをするため?
世のため人のためとか言っているのは変な人?
確かに勉強を頑張れば、問題を解くような能力は身に付くだろうけど、それは世間一般で言われる「問題解決能力」では無いことは分かっているのだろうか。
先生の言うことを聞いたり、友達と楽しくおしゃべりをするのがコミュニケーション力ではないことは分かっているのだろうか。
創造性や主体性を養うためにはチャレンジして失敗して、その経験をブラッシュアップしてチャレンジする、そういう経験が必要だと言うことを分かっているだろうか。
分かっていても、どうしようもないのかもしれない。
だってそういうものが必要無い環境で育ってきたのだから。
もちろん自分で作った環境ではない。
そして恐らく、そういった環境というかシステムを作った人も悪意は無くて、きっとそうすれば何かがもっと良くなると信じてやったのでしょう。
ある点においては成功していると思う。
多くの学生達はもの凄く従順になった。余計なことをしなくなった。
私が中学生、高校生の頃は、ヤンキーだらけで校内暴力バリバリの、毎日が北斗の拳のような、どうしようもない時代だったので、その頃に苦労した人達にとっては夢のような状態かもしれない。
その年代の人達は皆定年退職しちゃってるでしょうけど、夢が叶いましたね。
ただし、大人しい学生達は、反応もしなくなったし、想像もしなくなった。
恐らく、今やそんな能力は学校の中では役に立たないし必要無いから。
学校という枠の内側にいる限り、危機的な状態になっているということには気付かない。
言われたことをやって、それを上手にこなせると高い評価をもらえるし、無難に過ごせば卒業証書がもらえるから。
それが社会に出たら威力を発揮してくれると信じて。
自分が・安心できればいい
というミニマムなところを多くが狙うと、人の集合体は危機的状態になるのかもなぁ、なんてことを考えたりなんかしています。
これが妄想なら良いのだけど、いずれにせよこんなのとは真逆の方向に突っ走りたい夢工房なのでした。
だって、こんなんじゃ誰もハッピーにならんでしょう。
ネガティブなことを考えてクヨクヨしているかというとそうでもなくて、これだけ思い付けば少なくとも打開する方向は見えたようなもので、後はアイデアを出してトライするだけなのでした。