やはり勇気だ チャレンジだ

大きな価値を生み出すために
チームワークがカギになるのは間違いない。

きっと今は、そこら中でこれが原因で
うまく行かなかったりしているはず。

そして、あとは何だろう?

チャレンジャーであることでしょう。
これまた間違いない。

チームワークが問題となるのと原因は凄く似ていて
チャレンジするにも勇気が必要だから。

というのも
チームワークを高めるって
基本的に勇気が必要だと思うのです。

自分の内的なことを出すのだって
経験が無ければ勇気が要るし

他の意見を受け入れるのだって
当然ながら勇気が要ります。

個人主義なんて結局は
面倒が無くて楽だからです。

チャレンジに関しては言うまでも無いですよね。

分からないけどやってみる
分からないからこそやってみる

そんなマインドが重要。

でも勇気要るでしょうね。
小さい頃から、分かりもしないことを言ったりやったりすると
怒られたりバカにされたり
きっと良い思いしてないでしょうから。

このネタは確信を持っているので何度も書いてますし
きっとこの後も何度も書くでしょう。

そして何度も言いますが
やはり勇気で
やはり心ですよ。

勇気を持ってやったことって
その時はどんな結果が出ようと
きっとその経験が役に立つ時が来るものです。

それを信じるのも勇気が要るのかもしれませんね。

でも、やるのに勇気が必要なことって
大抵は価値があることなんですけどね。

人材育成について チャレンジャーになるには

さて、夢工房においては
チャレンジャーになるべし
というところに行き着くわけなのですが

チャレンジのレベルや内容はもちろん
志向も役割も人それぞれなので
皆が同じようなことをやるわけではありません。

ただし、プロジェクトチームとしては
同じ方向を向いている必要があります。

チームとしてのビジョンやゴールは一つ
ということです。

それがちゃんと腹落ちしていないと
チャレンジは難しいでしょうし
これこそが学生にとって難しいことの一つかと思います。

そもそも学生は
皆でゴールを共有して力を合わせる
なんて経験が十分に無かったりするわけで
その辺を考えると
チームビルディングは重要です。

加えて
そもそも個人レベルのメンタリティはどうなんだ?
なんてこともあるわけで

知識だのスキルだのと言う前に
「やる」と「やらされる」の違いを分かってるかい?
とか

考え方が逆」シリーズみたいな
みたいな話にもなってくるわけです。

そういう意味では、チームで仕事をする上で
大事なことを学ぶ機会は山ほどあるし
ヘタすると在学中にはピンとこないまま
卒業しちゃうなんてことも無きにしもあらず。

競争力とかチームワークという観点では
やはり競技スポーツ
特にチームスポーツの経験者は
技術の世界でも力を発揮する例が多いですね。
まぁ、当然ですが。

で、どうしたらチャレンジャーになれるのか
という話なのですが

正直なところ
それが分かったら苦労しません。

ただ、半ば常識として言えることはあります。

チャレンジャーは基本的に
自発性とか自律性とか
「自分がやるんだ!」
という意識を持っている必要があるでしょう。
当たり前ですね。

そう考えると
やはり幼少期からの環境の影響は大きいですね。
親が何でもやってあげるような環境では
チャレンジャーにはなれないでしょう。
だって、そんな環境ではチャレンジする必要無いですから。

あとは
安全・安心志向を求めるとか
「正解」を求めるとか
困難を楽しめないとか

そういう傾向が強くて
価値観のスイッチができなかったりすると
チャレンジは難しいでしょうね。

それが何とかならんのか?
というところなんですが

何とかなることもあれば
何ともならないこともあります。

その辺は外力で何とかする部分ではなく
本人が何を本気で求めているのかという話です。

求めよさらば与えられん

まさにその通り。


ハッピーなチャレンジャーになるために

どうしたら人の行動が「喜び」に繋がるのだろう
なんて考えるんですよ。
まぁ、人相手の商売ですから当然ですよね。

おっと、仕事である限り
人が相手じゃない商売なんて無いのか。
全く人が関係しないなら仕事にはなりませんものね。

そんなことを考えると
いわゆる昔ながらの商人の考え方
「三方良し」
とかは、全ての仕事に通じると言えるのでしょうね。

さて、今回は
自分が何かをやる上で
ハッピーになるためにはどうしたらいいのだろう
ということを考えてみましょう。

「喜ぶ」というのは感情の動きですよね。

何かに遭遇して
それに対する表現の一つなのでしょうけど

その遭遇したものに対して
悲しんだり喜んだりするわけで

感情って、結局は「評価」の表現なのでしょうね。

とすると
評価者の価値観によって評価内容は変わるわけで
絶対評価なんかは無いですね。
うん、そりゃそうだ。

「誰でも絶対に喜ぶ」なんてことは
厳密に言ったら無いのでしょう。

人はどんなときに喜ぶのか?

予想外のことが起きた(遭遇した)とき

起きたことが望んでいたこと以上なら喜ぶでしょうし
望んでいたこと以下なら喜べません。

では、思っていた通りのことならどうなのか?
この場合
「思っていたこと」が問題です。

できると分かっていることをやった
その結果、当然のことが起きた

想像通りのことが起きた(遭遇した)
ということでしょうけど。

であれば、喜びというより
安心ですね。

一方、「思っていたこと」のレベルが高くて

「できるかどうか分からないけど
こうなったらいいな」

というビジョンに基づいてやったことであれば
その「思っていたこと」が起きれば嬉しいですね。
どれくらい嬉しいかは
自分の持つ評価指針によるでしょうけど。

他には
労せずして良いことが起きちゃったりして喜ぶ
なんてこともあるでしょうけど
この際それは考えないことにしましょう。

宝くじで億を当てちゃう人って
多くの人が人生が壊れちゃうって本当なんですかね?
本当かもしれませんね。

さてさて
ということはですよ
喜ぶためにはプロセスというか
シーケンスがありそうですね。
それはこんな感じかな。

  1. 思う(考える)
  2. 行動する
  3. 評価する

で、このシーケンスをループとして回していくのですね。

で、評価が
あるレベルを超えたら大成功!
ということですね。

ということは
これを構成するそれぞれは当然重要なわけで
でっかい喜びを得るためには
それらを磨く必要があるってことです。

  • 日頃、何のために何を考えているか
  • どのように行動しているのか
  • 起きたものごとに対してどう思っているのか

たぶんこれらが大事ってことですね。
これらのどれが欠けても
長い目で見た喜びには繋がっていきそうもない
というのは容易に想像できます。

恐らく、予想できることしかやらない人は
予想外のことが起きるはずなんてないので
喜びが少ないのだろうなぁ
なんて思うのですが

恐らくそういうタイプの人は
喜びより安心を求めるのでしょうね。
なんか分かる気がします。