彼らはどう変わったか

Formula SAEのオーストラリア大会は、チームの再起動的な位置付けでした。

そんな状況で、マシンを走らせるダイナミックイベントのAccelerationで1位を取れたのは大変嬉しいことでしたが、要点はそこではありませんでした。
メンバーがどう変わったか?です。

具体的なことを文章で明確に表すのは難しいのですが、大きく変わりました。

英語が堪能とは決して言えない学生達が、想像を超える積極性を見せたわけです。
これは良い意味で想定外でした。

あらゆるものが準備不足と言っても良い状況で、特にマシンを走らせないスタティックイベントにおいては結果は望むべくもなかったのですが、その中でベストを尽くした感がありました。

もちろん、全員が、完璧、という状態ではありませんでしたが、再起動に最も重要なファクターと思っている積極性の獲得はできました。
これは間違いなく次回以降に繋がります。

教育の危機管理

世界を見渡せば、戦争やらテロやら、相変わらずキナ臭い状況で、危機に対する管理意識は大事だよなぁ、と思う毎日なわけですが、教育にとっての危機は何でしょう?なんてことも考えたりするわけです。

少子化で学校が潰れちゃうこと?
まぁ、それはあるかもしれませんね。

ここで考えるべきは、一体何のために教育をしているのか?
それを明確化することこそが重要だと思うのだけど、意外とそんなことを気にしていない人が多いのではないだろうか?なんて思うのです。
そうでもない?

一体何のため?
それは人それぞれでしょう
と言いたいところだけど、それは具体的な目的を挙げればと言う話であって、抽象的な話をするのであれば…

将来の仕事のため

もっと抽象度を上げるなら

価値を生み出せるようになるため

ではなかろうか?と思うのです。

どんな価値をどのように生み出すか
それは多様であるべき

画一的だと、生み出せるものは確定している
新規性があるものは生み出せない
そんなこともあるのだけど…

将来、こういったことが必要だろう
という予想が当たれば良いのだけど、この先の不確定な未来に対しては想像力とか柔軟性とかが重要になるわけで

一本調子な画一的なやり方では対応できない

ともかく、教育の危機とは…

学生達が価値を生み出せなくなること
それに尽きると思うのです。

では、学生の生み出す価値とは何か?
それは回を改めて取り上げてみましょう。

気持ちの問題 心の問題

こんな風に思うのです。

思いが、気持ちが、つまり心が考え方を決める

考え方が行動を決める

行動が結果を決める

結果は心が評価する

こう考えると、始まりと終わりは心が決めるわけで…
そして、評価がその後を決める。
これらがループするのが人生ではなかろうか?

ただ、「評価」といっても、内的評価と外的評価があるわけで、どちらを重視するかも問題です。
まあ、時と場合による部分もあるだろうし、あまりに極端でもどうかと思うけど、重心がどちらに寄っているか、というところですね。

心は時として疲れてしまうけど
それを惜しめば惜しむほど成長しないのも事実。
自分で勝手に決めるべきものかもしれない。
根拠は不要で、勘違いでも良い。

ただ、チームでやる際は、「勝手に」にも限度があるけど。

そして、心を盛り上げるためにはチャレンジが必要。
惜しんではいけない。