教育の危機管理

世界を見渡せば、戦争やらテロやら、相変わらずキナ臭い状況で、危機に対する管理意識は大事だよなぁ、と思う毎日なわけですが、教育にとっての危機は何でしょう?なんてことも考えたりするわけです。

少子化で学校が潰れちゃうこと?
まぁ、それはあるかもしれませんね。

ここで考えるべきは、一体何のために教育をしているのか?
それを明確化することこそが重要だと思うのだけど、意外とそんなことを気にしていない人が多いのではないだろうか?なんて思うのです。
そうでもない?

一体何のため?
それは人それぞれでしょう
と言いたいところだけど、それは具体的な目的を挙げればと言う話であって、抽象的な話をするのであれば…

将来の仕事のため

もっと抽象度を上げるなら

価値を生み出せるようになるため

ではなかろうか?と思うのです。

どんな価値をどのように生み出すか
それは多様であるべき

画一的だと、生み出せるものは確定している
新規性があるものは生み出せない
そんなこともあるのだけど…

将来、こういったことが必要だろう
という予想が当たれば良いのだけど、この先の不確定な未来に対しては想像力とか柔軟性とかが重要になるわけで

一本調子な画一的なやり方では対応できない

ともかく、教育の危機とは…

学生達が価値を生み出せなくなること
それに尽きると思うのです。

では、学生の生み出す価値とは何か?
それは回を改めて取り上げてみましょう。

気持ちの問題 心の問題

こんな風に思うのです。

思いが、気持ちが、つまり心が考え方を決める

考え方が行動を決める

行動が結果を決める

結果は心が評価する

こう考えると、始まりと終わりは心が決めるわけで…
そして、評価がその後を決める。
これらがループするのが人生ではなかろうか?

ただ、「評価」といっても、内的評価と外的評価があるわけで、どちらを重視するかも問題です。
まあ、時と場合による部分もあるだろうし、あまりに極端でもどうかと思うけど、重心がどちらに寄っているか、というところですね。

心は時として疲れてしまうけど
それを惜しめば惜しむほど成長しないのも事実。
自分で勝手に決めるべきものかもしれない。
根拠は不要で、勘違いでも良い。

ただ、チームでやる際は、「勝手に」にも限度があるけど。

そして、心を盛り上げるためにはチャレンジが必要。
惜しんではいけない。

オーストラリア遠征 Day 1 出発

2年ぶりにFormula SAEのオーストラリア大会に行ってきます。

2年ぶりということは、去年は出場キャンセルだったわけで、それだけチームのパフォーマンスは低下していたわけです。
しかし、今年は何とか持ち直してきて再起動といった感じです。

もちろん納得がいくだけの回復には達していませんが、海外大会に行ける状態にはなったということです。

当然ながら、今回は相当苦労するとは思いますが、早めに苦労して色々分かっておくことが今後のためにはとても重要。

今回は、学生8名に加えて、現地での移動に使うレンタカーのドライバーとして、当チーム第一期の卒業生が1名同行してくれます。

飛行機は19:55成田発、翌朝8:20にメルボルン着の直行便です。