「知ってる」よりも大事なこと

もちろん知っていること、つまり知識は大事です。

でも、もっと大事なのは、知らない時にどうするか?です。
だって、知っていることより知らないことの方が多いのですから。

「引き出し」は多いに越したことはありませんが、その中に「知らないときにどうするか」を入れておくのが大事だよなぁ。
なんてことを思いました。

こと、チャレンジをするなら、次々に知らないことに遭遇するのは当たり前なわけで、その際に打つ手があれば進み続けることができますね。

そしてこれ、授業では手に入れにくいことの一つではないでしょうか。

さて、ではどうやってそれらを手に入れましょうか?

やはり実戦の場数をこなす以外に手は無いのではないでしょうか。
というのも、仮に知識としてそれらを知っていたとしても、いざというときに使えるか?
それが問題なのです。

なので
知らなくてもやる
できなくてもやる
そういった経験の中で、工夫しながらものにしていく以外無いのでしょうね。

経験上、一番良いのは、追い詰められた環境です。
できれば好きなことをやる中で。
そこに身に付けたものは一生役に立ちます。

ジェネラリストが必要だ

マルチプレーヤーでも良いのですけどね。

どういうことかというと、近年の教育は専門化されすぎていて、各技術者が狭い範囲に特化しており、製品としての取り纏めが難しくなってきている、ということです。

各人が狭い領域を深掘りしていくのは、技術の向上には不可欠なことです。
しかし、広い視野を持って全体を見る目を持った者がいないとまとまるものもまとまりません。

専門の領域を得意とする人をスペシャリスト
対して、広い領域を見る人をジェネラリストと言います。

両方いないと世の中うまく回りません。

日本にはスペシャリストは沢山います。
なので、原料とか素子とか、製品を構成する要素には強い。

しかし、ジェネラリストが不足しているために、製品としての強みを持つものが減ってきているのではないでしょうか。

スマートフォンなどは分かりやすいところかもしれません。
今や売れ筋の製品は、軒並み海外製。
だけど、使用している部品単位で見れば日本の技術が入っていたりする。

自動車では、日本製が持つ強みというか持ち味が生きていて、持ちこたえています。
しかし、持ちこたえるのではなく、伸ばさなければなりません。

専門化は十分かどうかは分かりませんが、広い視野を持ち、多様な価値観を理解して、長期的な考え方ができるジェネラリストは必要です。

現在の学校教育は、目の前の受験のためなど、短期的な目標に向いているので、そういった感覚を持つ者を育成するのは難しいと思う。

幅広い知識を持っていたとしても、それは知識止まりで、手を動かす経験が圧倒的に不足していたり、言われたことをやる経験はあるけど、自らが指示したり伝えたりする側になる経験が不足していたり…
とにかくものごとへの関わり方が単調で画一的。

今になってみると
「あんた、AIと勝負する気なのか?勝てると思ってんのか?」
と言いたくなるような学習内容じゃありませんか?

それでは最終的には誰もハッピーにならないのではないでしょうか。
この状態からの脱出は、喫緊の課題だと思います。

そのためには…
自分で考えてチャレンジする
それが一番。
正解を探すのではなくね。

そんなことを繰り返していくと、ジェネラリストになるかどうかは分からない。
けど、ジェネラリストになるには外せないプロセスだと思います。

直感を信じよう

直感は正しい
そんな話をしてみましょう。

そりゃぁ、最初からなんでもかんでも直感で決めていたら、外れもたくさん出るでしょう。
なので、そういうむやみなことを言っているのではないのです。

考えたところで答えが出ないことに
これに関しては、直感はかなり役に立ちそうな気がします。

そもそも、そういった答えがないものに関しては、考えすぎるとロクなことは無いのです。
まぁ、ものごとにもよるでしょうけど、特に若いうちはそういう傾向にあると思います。

何を例に挙げましょうかね。

進路とか仕事とか
はたまた趣味とか

そういったことにおいて、何を選ぶか?
それには正解はありません。

なので、直感で決めちゃって良いのではないかな?
というのが今回言いたいこと。

進路でも仕事でも良いのですけど、そういったことを選ぶとき、多くは考えちゃいますよね。

将来儲かりそうな仕事をしたいから、とか。
そういうのって、自分以外の誰かが言ったことをベースに考えたりするものですが。

まぁ、それはそれでも良いのですけど、大事なことを忘れています。
その仕事は自分がやるのです。

「将来儲かる」というのは、それがうまくいった場合です。
うまくいくかどうかは自分次第なのですが、好きでもないこと、自分に向いていないこと(特に価値観ベースで)、そんなのをやったところで、うまくいかないでしょう。

逆に、現在流行っていないことを仕事にしたらどうでしょう?
そして、それが自分の性に合っているというか、好みのものだったりしたら?

そりゃ頑張っちゃう可能性はありますよね。
楽しかったりしたらなおさらです。

さて、ここで一つ考えてみて欲しい。

例えば、パソコンでもスマホでも、ゲーム機でも何でも良いのですが、いわゆる「ヒット商品」ってありますよね。
それ、ヒットする前はどうだったのでしょうか?

当然ながらヒットしていませんでした。

でも、なんでヒットしたのでしょうか?

そのものが持つ働きとか、性能とか、はたまたマーケティングとか、色々要素があるでしょうけど、その根底にあるのは関わる者のパッションですよ。大抵は。

そして、今まで誰も見向きもしなかったもの、今まで存在していなかったものが、注目されるようになってヒットしたのでしょう?

よーく考えて、良い答えを出せるなら、それでも良いのかもしれません。
でもそうやって答えを出せそうですか?

出せないなぁ
と思ったら、そりゃもう直感を信じて、何をかやった方が良いでしょう。
好きなことリソースを投入すれば、そこから分かること、見えることはあるはずで、ある程度うまくいくのも当然です。
結果がどうあれ、その経験は必ず未来に活用できますしね。

一番もったいないのは、考えすぎて実行する時間が無くなること
そして、他人の価値観で動いて時間を無駄に使うこと

直感を信じて経験を積めば、その経験によって、さらに直感は磨かれます。
なので、良いのです。失敗しても。
その経験は、次に直感を働かせるときの材料になりますから。

雑念が無く純粋な直感は、意外なほど正しい。
磨いていけば、そんな感じになりますよ。