遠征で見えたこと できないのはなぜ?

遠征に行く前に、この状態では戦えないというのはすでに分かっていました。
その予兆を感じられるのは、年の初めなのです。

例年、そのシーズンの開発をスタートするのは1月です。
まずは企画から始まって、設計、製作、テスト…と進めていくのですが、だいたい企画の段階でどのようなシーズンになるかは見えています。

企画の内容、決定されるまでの期間、そんなことをしている状態の熱意などなど。

今年はマシンが最低限形になった状態で遠征に行きました。
開発内容としては、実にお粗末なものです。

なぜそうなるかというと、やっている本人の人間性がそのままマシンの形となって現れているに過ぎないわけで、さらに言うならアドバイザーである私の状態も関係しているはずです。

そんなマシンを大金をかけてオーストラリアまで送って、ダメなのを承知で大会に参加したのが今回です。
何度か「そんなマシンを送っても意味ないだろう」とは言いましたが、最終的にはチームの意思ということで発送して大会参加となりました。

でも、大会での学生の様子を見られたのは大きな収穫でした。
もちろん、これからどうしていくかは彼ら次第なのですが、私は現状から脱するヒントが得られましたから。
ただ、「こうすればいい」という明確な答えが見えたわけではないので、試行錯誤は続くでしょう。延々と。

さて、ではなぜこのような状態になっているのか?
簡単に言ってしまうと…

  • 主体性が無い
  • 勇気が無い

と、だいたいこれらに集約される気がします。

で、「これらを手に入れろ!」と言ったところで無理なのは分かっています。
今までの環境で、そんなものは必要無かったか、無い方が都合が良かったからです。
彼らが意識的に、自発的にそうなることを選択したわけではありません。

そもそもコロナ禍の自粛環境下で、主体性と勇気を持ってゴリゴリやるヤツなんてのは厄介者だったはずで、大人しく受け身になるなんてのは処世術として必須だったはずです。

今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
大問題ではありますが、やり甲斐はあるかもしれません。

もちろん、偉そうなことを言っている自分だって、似たような傾向の問題を抱えているはずだと思っています。
まぁ、皆で修行する必要があるってことです。

遠征で見えたこと ではどうするか

前回の記事では「どしょうもないじゃん」という印象になるかと思います。
でも、まんざら捨てたものでもないですよ、というのが今回のお話しです。

近頃の若者は、内向き思考というか、あまり海外など行きたがらないそうじゃないですか。
就活の際も、海外勤務の可能性があると分かると腰が引けたりするんでしょう?
でも、夢工房のチャレンジは、海外遠征に行ったりするわけです。
で、どうか?

彼ら意外とやりますよ。
今回の遠征でも、現地の人ともコミュケーション取ろうとしますし、あまり内向きな印象は受けないですね。
よく聞く話と違うのです。

ウチの連中は
「会社に入って、海外勤務とか海外出張とかあったらどうする?」
と聞くと
「全然OKですよ。というか、むしろ行きたい!」
という反応がほとんど。

まぁ、ウチの卒業生は、自動車関連とか、航空宇宙関連とか、産業機械なんかでも、そもそも国内だけで何とかなるような仕事じゃない場合が多いので、そうじゃないと困るのですが。

さて、そんなわけで今回の遠征は、彼らなりに頑張った「つもり」のマシンをオーストラリアに持っていって、かなり悔しい思いをしたようです。

おかしな話ですが、彼らは今回の遠征に行くまでは当事者意識は薄かったと思います。
だからこそ、悔しい思いをするようなマシンができちゃうわけですが、どうやらこの辺が問題の一つだということが見えてきました。

「悔しい思いをする」というというのは、”自分ごと”になってきているということですので、この「悔しい思い」をこの後の活動にフィードバックするようになれば、一歩先へ進めます。

とはいえ、やっと当事者意識を持って頑張れる下地ができてきたかな?というところです。
まだ「…かな?」というレベルで、断言はできない状態ではありますが。

あとは、どんどんチャレンジして、グイグイ前に進んで、外に出て、次々に得られる経験をフィードバックするループが作れればOKです。

果たして今、そういうアクションが取れるようになったのか?
それができるようになったのであれば、どうしようもない成績を取ったオーストラリア遠征でも、大成功と言って良いのです。

この冬の過ごし方で来シーズンが決まります。

遠征で見えたこと コロナ禍で何が起きていたか

今回のオーストラリア遠征、成績は散々だったわけです。
でも、悔しいとかそういうレベルではありませんでした。
だって、そんな結果になることは行く前から分かっていましたから。

現地でメンバー達を見て一体何を考えていたか。
それはもう色々考えていましたが、とにかく彼らの言動から、この先どうすべきかという、解決策の一端を見つけたかったのです。

まず最初は、彼らの行動から「一体全体なぜこうなったのだろうか」ということを推測していました。「この状態は一体何なのだ?」と。

そういうことを本人に聞いても良いのですが、実は本人にもよく分かっていなかったりするのです。
だって、習慣からくる意識の思考とか行動ですから。
意識していない部分は本人にも分からないのです。

で、こんな想像をしていました。

彼らが受けていたであろうオンライン授業などを想像するに、見る、聞く、指示に従うという受け身の状況が多かったはず。
まさに「言われて、やる」といった経験ばかり。
自らアクションを仕掛ける経験が無いことに加えて、リアクションすらも必要が無い環境だった可能性は大いにある。

自発的にやった結果からのフィードバックなどが充分にできなかったどころか、ほとんどそういった経験が無いと言っても過言ではないだろう。
また、他人の気持ちを慮る機会なども圧倒的に少なかったはず。

だからこそ、それらを取り返したいといったようなモチベーションを持っていたりするが、そもそも経験が少ないので、どうしたら良いか分からない。

結果のフィードバックによる改善などは、経験が無いが故に何度も同じことを繰り返してしまうことが多い。

チャレンジしていなかった
というか、できなかった
むしろ、してはいけなかった

そして「もの」に触れる機会も無かったはず。

こういった状態、どうしたらいいのだろうなぁ。
とにかく経験の数が圧倒的に少ないわけだから、経験させれば…
でも「言って」「やらせる」になってしまうと本末転倒なのだよなぁ…

これが最初に考えていたことです。
仮に思い違いだったとしても、これに対する対策は、相手がどのような状態であっても有効ではないでしょうか。