良い塩梅 中庸を知る

すぐやるシリーズで言いたかったのは
考えすぎずにすぐやろう
ということで
決して「考えずにやれ」ということではありません。

本当に何も考えずに、感じるままに動いていたら
凄く動物的で異常な人になっちゃいますから。
そんなことは言うまでも無いでしょうけど。

そんな極端でなくとも
考え無しに先に進んでしまったら
それは単なる手抜きで
あまり良い結果に結びつきそうもありません。

だからといって
考えすぎて時間を浪費すると
実行する時間、最適化する時間が無くなって
本末転倒になります。

失敗するのが嫌だったりして
自然とそこに執着すると
最低限を狙うとかってことになりがちだし

単に面倒なら、先送りしたりしがち。
で、どうせやらない
ということになる。

まぁ、そういうレベルは論外ですが。

なんでも完璧にしたい人は
なんでもガッチリやればいいですが
大抵、そういうのは無理でしょう。

うまくいかせたいから
早く着手して
どうしたら良いかを
経験しながら知るのが良いでしょう。

「まだ考えられるかな?」から
「これはやってみるしかない」に
いつ移行するか
その閾値が大事なのだけど

それは経験によって探っていって
自分で作るものでしょう。

そういうのが「自分はこうやる」という
ポリシーになるのではないでしょうか。

自分は何を大事にするのか
何で勝負するのか
というのは
やはり経験から決めていくべきでしょうね。

考えずに動いて失敗する
良く考えすぎてやる時間が無くなる
その両極の間に最適値があるのだけど
どの辺が良いのかという「塩梅(あんばい)」
そういうのを中庸(ちゅうよう)とも言いますが
そういうのは、やらないと分からない。

なので
考えすぎて手数が減るよりも
考えすぎずに動いて
時として極端にやってみて
失敗する側からのアプローチの方が
結局はうまくいくのだと思います。

すぐやることの難しさ

「すぐやる」というのは
言うほど簡単ではなかったりしますよね。
人によっては結構難しいかもしれません。

偉そうに言っている私自身
すぐやることは難しいことの一つで
だからこそ、ちっちゃな勇気を持って
いちいちチャレンジしています。

「すぐやる」ことの難しさの一つは
面倒だから。
これは誰しも思うところでしょう。

そしてもう一つ。

「すぐやる」ということは
熟成度が低いことを実行するということでもあるから。
なので、うまく行かない可能性が高かったりする。

そういう現状と向き合わなければならない。
「ダメだ」と思うかもしれない。だってダメだから。

失敗を恐れる人は
「これじゃダメだ」
という恐怖と対峙する可能性がある。

恐怖と向き合うのを避けたい
と思ったらアクションが遅くなるのも分からなくも無い。

でも、やらないと分からないことも多いわけで
というか
やらないと分からないことは
やるしかないわけで

どんな風にうまくいかないか
やると何が起きるか
そんな中から方向性や最適値を見出すことができる。

そう考えることができたら
できるだけ早くやれば
何かと良いことが起きそうだ

というのが理解できるでしょう。

結局は、価値観の問題ってことですかね。

すぐやるシリーズ

成長の効率の話

効率的な仕事法とか
知識やノウハウの蓄積とか
個人的な工夫をする
そういうのはもちろん大事です。

でも、自分のことばかり考えていても
うまくいかないのですよね。

仕事って内的なことではないから。

相手がいるし
大抵は仲間とチームでやっていたりもする。

でも以外と忘れがちです。

我々教員だって同じことで
学生を相手にしているのに
油断してると
「こうすりゃいいだろ」
みたいな独りよがりなことを
やってしまいがちではないかな
と思っています。

さてさて
日頃、学生のチームの面倒を見ていて
どうやったらチームのレベルを上げられるか
というのが課題なのですが
常々言っているように
直接相手の心はいじれません。
まして、チーム全員の心なんて無理です。

でも、相手の気付きを促すきっかけ
くらいはは作れるわけで
以下は自分自身へのリマインドです。

チームでは
メンバー各人のマインドのレベルを上げる必要がある。
そうしないと、そもそも高いレベルの仕事をしよう
なんて思いません。

これ、知識とかスキルのレベルは関係ありません。

でも、すぐに何とかなるものではありません。
個人差もあるし。

なので、何度も何度も
きっかけを作って提示する必要があって
時として想像以上の時間がかかったりするけど
それは仕方ない。
諦めたらそれでお終い。

あと、一所懸命やっているようでも
「何のために」が抜けていることや
ついつい「自分のため」に
効率の良いやり方をしようとしていることがある
これも注意。

効率が良くて何が悪いんだ?
とお思いかもしれませんが
自分のための効率向上なんて
大抵はろくでもないことです。

なぜって
自分が楽するためだから。

でも本人は
そうは思っていないことが多いものです。

ありがちなのは
ものごとを考える初期段階で
考えを広げないこと。

アイデアなんてのは、初期段階に沢山出して
その中から最適なものを選択すべきなのに
最初から「正解」を探そうとしたりします。

その結果
そもそも方向性がおかしいとか
正解が出なくて時間を浪費するとか
そんなことになります。

これって、根底にあるのは
自分が楽するための考え方です。
最低限の手間で要求をクリアするための。

なので、仮にうまくいっても最低限の成果です。

本人には全く悪意はありません。
それどころか、ちゃんとやってると思ってます。

学校の教育なんて
課された課題をクリアすれば良いのだから
そうなっちゃうのは仕方ない。
習慣の結果です。

もちろん本人は
なんでそういう行動を取っちゃうのか
分からなかったりします。
習慣なんてそんなもんです。

なのでそこに「きっかけ」が必要なのですね。
気付くための。
「こんなふうになっちゃってるよ」と。

習慣は、そう簡単には変わらなかったりしますので
何度も何度もきっかけを作る。

繰り返すにも限度があるけど
簡単に諦めるわけにはいきません。

ただし、「何度も何度も」の間には
本人のアクションとかトライが入るわけで
もちろんそこでは失敗します。
その結果のフィードバックが「きっかけ」です。

「こうやればいいよ」
という直接的な答えを渡すわけではないので
効率は悪いかもしれないけど
人の成長は、持っている形式的な知識量と
イコールではないから仕方ない。

この辺を勘違いすると
成長の効率を求めているつもりが
逆の結果になる。

「直接的な答えを渡す」というのは
「考えなくていいよ」
「やらなくていいよ」
というのとイコールだから
肝心なところを考えられない、できない
ということになる。

こんなことを考えたりやったりしていると
学生本人と向き合っているようで
実は、学生を通して
その習慣を形作った相手と戦っているような
そんな気持ちにすらなります。
実際そうなのかもしれませんが。