好奇心は大事

当然と言えば当然なのですが、一応、言っておいた方がいいかな、と思いました。

自分の強みを作って、それを使って、何かをやりたいと思うなら、入り口は好奇心で良いでしょう。
興味を持てることをやりましょう。
好奇心を軽視してはいけません。
そういう理屈にならない直感みたいなものって、案外正しいのですよ。

理屈によって構成されたものって、その理屈が崩れたら成立しませんが、直感によるもの、気持ちによるものは崩しようがなかったりします。

だから強い。

誰かがこう言ったから、なんてのに乗っかって、興味もないことをやったところで、頑張れないので、うまくいかないと思うのです。

興味も無いものに取り組む時にどうするかというと、結局は一般的なやり方を調べて、それに沿ってやったりするでしょう。

だったら、誰がやっても似たような結果になるわけで、競争力があったり独自性がある価値となるかというと…それは難しいのではないかな。

そんなことやっても面白くないでしょう。
面白くなければ頑張れないし続かない。

だったら直感でピンときたものを、やるだけやってみたら良いでしょう。

で、やってみて行き詰まったら…

あぁ、これは誰がやっても簡単にいくもんじゃないんだ。

と思うかもしれません。
だとしたらチャンスですよ。

だって、誰がやっても簡単にいくわけではない、気になるものを見つけたわけでしょう?
それ、モノにしたら強いですよ。

つくるか受け取るか

今の世の中便利で結構なのですが、価値を生み出す者と、受け取る者の二分化が、二極化に向かうのは避けられない構造になってるんだろうなぁ、なんてことを思ったという話です。

人は誰しも、何かを発して、何かを受け取ります。
完全に発する側に徹するとか、受け取る側に徹するなんてことはできないでしょう。

面倒なこととか、難しいこととか、勇気が必要なこととか、危ないこととか…
便利な世の中というのは、ユーザーがそういったリスクを背負わなくても良い世の中だったりします。

でもそれは、リスクが消滅したわけではなく、誰かが代わりに背負っているのです。
リスクが必要なことは、大抵価値があります。だから仕事になり得るわけです。

皆が価値を作り出して、互いがそれを交換して、我々の生活が成り立っている
…のですが!

便利な世の中は、価値を生み出すシステムが、より巨大化していって、大量の価値を生み出します。

それに対して受け取って消費する側は、より消費専門になっていって、消費するために仕事をする…みたいな傾向が強化されている気がします。

価値を生み出すのは限られた人間。
彼らは価値を生み出すためにリスクを背負って、やりたいこと、やるべきことをやる。

一方、消費する側は可能な限りリスクを避けて、消費に徹する。
そのための原資は、言われたことを我慢してやって、報酬として得る。

価値を生み出す側と消費する側の数のバランスが、大きく消費側によっているのが今の消費社会ってことでしょう。

世の中には、この2種類の人間しかいないわけでもなく、それぞれの役回りが生活上の何事にも適用されているわけでもありません。
なので今回の話は極端な表現になっていますが、大筋ではこんな傾向が強まってきたような気がします。

これが極端な状況が進んで行けば、少数の者が多くを持つ、富の集中が起きるのは当然です。

そんなことを考えていると
学校で「言われて、やる」「与えられて、受け取る」という姿勢を強化しているとしたら、これはマズイことだぞ。
と思うのです。

だって、自ら価値を創り出せなければ、欲しいものを受け取るために、言われたことをやる意外に選択肢は無いのですから。

ものをつくるってのは良いことです。
価値をつくり出す基本的なマインドの構築に繋がりますから。

見た目上で「つくってるかどうか」というだけの話では無いのです。

キミは賢いかい?

そんな問いかけをする私自身は
そんなに賢くない方だと思っています。

何が言いたいかというと
賢くなくても、やりようはあるよね
ということなのですが。

どうも学校にいると、みな同じところを、同じような方法で目指す訓練をされちゃっているので、ちょっと違うことをやる…なんてことができなかったりするのですよね。
いわゆる知識偏重の傾向になりやすい。

この場合の知識って、形式知ってヤツで、誰でも知っているとか、知ることができる知識を指しています。
それは全て過去のことで、それを見えるようにしたものです。
教科書に載っているというのはそういうことです。

記憶力を使って、それらを覚えて「知っている」という状態になるためです。

で、覚えたそれらを口にするというのは、単に頭の中にあるものを話しているだけです。
それを紙に書いたりするのも同様です。

さて、それによって何が起きるでしょう?

まぁ、何か起きることもあるのかもしれませんが、どこかでいい話を聞いて、それを覚えたところで、大抵は何も起きません。
特に「もの」に関わる場合。

手に入れた知識を元に、何かを「やる」なら話は別です。

その際、大事になってくるのは
何のために?
ということで、やはりゴール設定が大事なのですよね。

手に入れた知識を使って、何かをやる
これで価値を作り出すわけですが
誰でも知ってる、誰でも知れる知識をベースにすると

賢い人には敵いません

そりゃそうだ。

でも、ここで朗報があります。

いわゆる賢い人だと
見えないものもあるし
できないこともります。

それをやってはどうでしょう?

それは何か?

結構簡単ですよ。

私が使った方法は、まず近くの賢い人をチョイスします。
勉強できる人が分かりやすいですね。

で、「アイツはこんなことできない(やらない)だろうなぁ」という方向で、ゴールを決めたり、ものごとを進めたりしてみましょう。

そういう時は、「考えて」「やる」ということになるのですが
「考えて」の比重を下て「やる」を重視しましょう。
もちろん、ゴール到達のためです。

そんなのバカみたいだって?

まぁ、そう見えるかもしれません。
でも、そこが大事なところです。
バカみたいだから賢い人はやりません。
おっと、一気にライバルが減りましたね。

ちょっと困難があっても、継続すると…
あらあら、どんどんライバルが減っていきますね。

これ、「未来のために」「やっている」という状態です。
そして、「独自性がある」という状態にもなっています。

形式知を得るための
「過去のことを」「知る」
という状態より面白そうじゃないですか?

でも、そういう状態に不安を感じる人にはお勧めできません。

賢くないなら、勇気を持って動き続けましょう。
止まったら終わりだと思いましょう。
サメやマグロみたいなもんです。

経験の数が多ければ何とかなることは結構あります。
経験によってしか手に入らない暗黙知を楽しみましょう。
仕事で役に立つのはコイツです。

こんなやり方でやっていると、必然的に形式知が必要になってきます。

その時に教科書や参考書を開いてみましょう。

あら不思議!
以前より理解できるじゃありませんか!

そう、そういうやり方もあるってことです。