名古屋で思ったこと

安心・安全で満足いく世の中って、理想なのでしょうけど、どうもそれはそれで危険なのだよなぁ。
最近はそんなことを思っています。

どういうことか説明が必要ですね。

一番簡単なところで言うと、満足いっちゃったら、そこから頑張る必要無いでしょう、ってことなのですよ。
教育を仕事にしているから、そんなことを思うのでしょうけど。

新しいものを作るってのは、現状に対して不満があるってことなんですよね。

それは、理想があって、それと現状のギャップがあって、それを埋めたいという欲求があるってことなのですけど。
そのギャップを埋めたいという気持ちの大きさというか、強さがパッションの大きさになるのでしょうね。
もちろん、それが大きい方が推進力があるわけです。

つまり、不満足な環境の方が、強力な推進力を得やすいということです。

で、この「不満足」というのは、数値化された絶対的なものでは無く、個人がどう思うかって問題なわけです。
なので、各人が自由に決めて良いはず。

ですが、現状はどうでしょう?

どうも自由に決めている人は意外と少なくて、既存の誰かが決めた物差しでものごとを測っているケースが多いのではないでしょうか。
そんなことしちゃうと、結構不満足じゃ無かったりするんですよね。

まぁ、他人と違う物差しを持っていたりすると、怒られたり面倒なことになったりするのでしょう。
で、自然とそうなっちゃうのかなぁ。だとしたら、処世術ってヤツですよね。

こんなに不便が無い世の中なんだから、面倒が無い方が良いよね、ってなったとしても仕方ないのかな。

と、書いてきたのは、単なる個人的な思い込みや勘違いなのかもしれないけど、名古屋に行って色々考えたわけです。特に名古屋ってのは、技術の面で見るとかなり尖っている場所だと思っています。

もちろん、自分が普段いる環境とは色々違います。
町並みも人も。
当然、その「違った人達」は、違ったものを生み出すわけで、違ってるってのは面白いよなぁ、と。

そこそこ安心で安全で満足いっていたら、そこから大きく変えたくは無いでしょうから、それじゃつまんないよなぁ、と。

やっぱり心か?マインドか?
と、そんなことを考えていました。

これからは「変えたくない」っていったところで、世がそれを許さない環境になると思うので、早めに身の振り方を考えてアクションをしておくべきでしょうね。

なので、あちこち行って、色々見たりやったり感じたりすることが重要なのだろうな、と思っています。
立ち止まったらヤバいぞ、と。

今回は名古屋に行けてラッキーでした。

名古屋から

今日は名古屋からブログ更新です。

とある部品メーカーを訪問して、工場とラボを見学させて頂いて、会長さん、従業員の皆さんと交流の機会を頂いたのですが、色々と発見や気付きがありました。

結論は、やはり「人」だな、ということです。理屈でも数字でもなく。
もちろん、理屈や数字も大事なのですが、原点は人の心で、まずはそこからだな、と。

もちろん、一番難しいのは人の心であるわけなのですが、だからこそそこに価値があるということを再認識できました。

ありがたいことです。

この件は、後日整理して記事にしてみたいと思っています。

名古屋にはロールスロイスのディーラーがあるのでした。凄いなぁ。

なぜ残せない、伝えられない では、どうする?

好きなことを一所懸命やると大抵うまくいったりするものですが、そういう状態の時に、どう感じていたのかとか、何を考えてどうやっていたのか、そんなことをいちいち記録に残したりしませんよね。
好きなら好きなほど、一所懸命なら一所懸命なほど。
だって、やっていることそのものや、その成果に集中したいから。
「伝えるために残す」よりも「やる」のプライオリティが高くて、そこに力を注ぎたいたから。まぁ、当たり前の話ですが。

しかも、そうしている時は、その考え方ややり方が自分にとっては当たり前なので、特に特別なことをやっているなんて意識はていないことが多くて、なおさらでしょう。

なので、うまくいくための考え方とか取り組み方って、共有されにくいのだと思います。

我が国日本には、意外なほどノウハウなどが明文化されて残っていないのって、そういうことが理由だったりしないでしょうか。
「やる」に注力するのでノウハウが残らない。

だからこそ、昔ながらの技術継承は「見て盗む」というやり方になったのではないかとも思います。
もちろん、その方法が劣っているというわけではなく、メリットもあったりするのですが。

縄文時代に文字が無かったのもそんなことが理由なのかな、なんてことも思ったり、ツーリングなんか行って、写真を撮ると意外なほど記憶に残っていないってのは、そういうことなのかなぁ、なんてことも思ったりもします。

学生が一所懸命活動しているとき、ノウハウを残してくれると良いのですが、なかなかそうもいかなかったりするのも同様なのでしょうね。

そういうことができる人とか、そういうのが得意な人もいるのでしょうけど。
にしても、「やる」と「残す」を同時にやるとなると、自分の持つ限られたリソースを分割せざるを得ないわけで、大抵は「やる」が犠牲になります。
文書や情報を残しながらやるなら、やることそのものに注ぐリソースに制限が生じてしまう。

とまぁ、そういうことを考えるのですが、これに対して
「そんなこと言ってないで、やるべきこと(残すこと)をやりなさい」
と言うのが普通です。
確かにそれができたら良いでしょうね。

でも、今、力を注げることに全力を投入するという戦略もあると思うのです。

ただ、あまり極端なのもどうかとも思います。
これに関しても正解なんて無いでしょうから、色々やってみれば良いのではないかな。
結局は色々やってみて、自分のやり方を模索した末に、価値が構築されるのでしょうね。