変われるのか

学校にいると
人の能力がどのように伸びるのか
が分かって面白いです。

ちなみにこれ
いわゆるお勉強だけの話ではありません。

人はどうすれば伸びるのか
という決まった答えがあったら
とても楽な反面
とてもつまらないでしょうね。

そういうのは
人によってそれぞれで
時と場合によっても変わってくるでしょう。
担当の教員が私じゃなくて
もっと優秀な先生だったりしたら
また話は違ってきますし。

人は色々な能力を持っていますが
興味深いのは
果たして伸ばせない能力はあるのか?
それはどうにもならないのか?
ということです。

各人の持つ特性とか性格とか
そういったものが
大きく関わってくるのはもちろん
やはり
「変われるのか」
というのが鍵になるでしょう。

これは
どういった考え方・やり方をすると
どういった結果になるのか
という
「原因と結果の法則」
みたいなものですが

ある特定の能力が伸びない原因は
考え方
にある場合が多いですね。

なので
今の考え方を変えずに
「足し算」
みたいなやり方では
どうにもならないことがあります。

単に何かが足りないなら
「足し算」
で良いのですが。

例えば
以前投稿した「視座」が固定されたまま
つまり考え方が固定されたままでは
見えないこともあって
その場合は、足し算してもどうにもならない。

「変われば良いじゃん」
と思いますが
どうにも難しいことがあります。

必ず理由はあるのでしょうけど
それは本人にも分からなかったりするのです。

そんな現状の考え方を
どうしたら変えられるのか?

もちろん外力では変えられません。

こんなの簡単に分かったら苦労しないのですが
大変興味深いテーマの一つなのです。

え?
もっと自分の能力を伸ばしてから
偉そうなことを言えって?

仰るとおりでございます。

難しい世の中

別に世の中が難しいってのは
今に限ったことでは無いとは思いますが
今の状況はなかなか難しいですよ。

コロナ禍に関して言えば
感染拡大防止と経済がトレードオフ

環境問題に関して言えば
環境悪化抑制と経済がトレードオフ

きな臭い世界情勢に関して言えば
…これ、一言では言えないのかな。
でも、各国の利害のトレードオフ
なのでしょうね。
これも経済がらみと言えなくもない。

たかが経済、人命最優先!
と軽々しく言うなかれ。
経済的に困窮すると
後には人命に関わることに発展しますので
なかなか判断が難しいのでしょう。

お金がなければメシ食えないし
国防もままならない
ということで、経済問題は
命に関わる問題に発展する可能性があります。

経済は人命を守るためのリソース
という言い方もできるかもしれません。

国の舵取りをしている方々は
さぞや大変な思いをしていることでしょう。

こういう諸々のトレードオフについて
頭の良い方々が色々考えているのでしょうが
これといった完全な形の回答は出ないでしょうね。

と言うのは、あらゆることについて
丸く収まる完全なやり方はありません。
必ず何かしらのリスクを取ることになります。

理屈では最善とか何とか言えるかもしれませんが
人は感情で動きますから
理屈だけでは納得できません。

なので、仮にそれをやったとしても
全ての人が受け止められるわけはなくて

取ったリスクが気に入らなくて
文句言ったり暴れたり
ということが起きるかもしれません。

政治家は、票を取ってナンボでしょうから
今の世の仕組みだと
未来を見据えて嫌われても志を貫く
といったような
古風なやり方はできないのかもしれません。

これは政治家に関わらず
民間の我々も同様です。

文句を言われたり嫌われたり
その辺が凄くクリティカルで恐ろしい。

そんなことないですか?

例えば
こんなブログは
頭の良い人から見たら
「なに言ってんだ、バカ」
ってなものでしょう。

そういうのが気にならない
と言ったら嘘になります。
自分の考えをさらけ出すって
結構勇気が要るのです。

地味に展開しているせいか
幸いにも今のところは
何の中傷もありませんが。

こんな駄文でも
多少なりとも
誰かの役には立つこともあるでしょうから
書き続けてます。

政治家の文句を言っている暇があったら
自分のつたない経験から
多少でも役に立ちそうなことを
チマチマ発信した方が良いですよね。
誤差程度には世の役に立つでしょう。

こんなことを続けていても
たいして満足感は得られないので
自己満足ではないのですよ。

ちょっぴり勇気が必要だったり
継続したりしてるから
メンタルのトレーニングには
なっているかもしれませんけどね(笑)

というわけで
難しい世の中ではありますが
できることをやっていきましょう。

「願掛け」に思う

ある学生が
「俺は勝つまでは大好きな揚げ物を食いません」
と言って、卒業まで揚げ物を食べなかった
なんてことがありました。

いわゆる「願掛け」の一つですよね。
「断ち物」というそうです。

凄いヤツだな
と思いました。

で、それをオーストラリアの友人に話したんですよ。
そんなに上等な語学力を持ち合わせているわけではないので
こういうことのためにこんなことしてるんだよ
って感じですけどね。

そうしたら彼は
「あぁ、sacrificeだな」
と言いました。

sacrifice って
犠牲とか生け贄って意味です。
生け贄とは、神様への捧げ物です。

彼と話しているときに
あぁ、そういう表現になるのね
と思ったので
「そうそう!」
と返しておきましたが

後になって思うと
願掛けって宗教的な行為ですよね。

別に揚げ物食べなければ
具体的に何か良いことがあるわけでは無いでしょうに。
…ちょっとはあるのかもしれませんが
そのためではない。

自分の好きなものを犠牲にして何かを得る

これ、神様とのトレードですね。
誓約とも言えるかな。

これ、宗教的ではあるけれど
特定の宗教に限らず
誰でも理解できる価値観と言ってもいいでしょう。

もちろん
成長の過程で、そういったものがある
という情報を得ていたからこそ
やろうと思ったのでしょうけど

特に意識するでもなく
自然とそこにたどり着いて
実行しようと思うのは面白いです。

特定の信仰を持っているとかいないとか
意識上では色々思ったりもするでしょうけど
無意識下では
何か大きくて偉大な存在
を認めているのでしょうか。
その辺は大変興味深いところです。

我々が日頃自然にやっていることとか
考えていることをについて
深掘りしていったら
色々面白い発見があるかもしれませんね。