コロナ開けの難しさ

コロナ禍は今後どうなっちゃうのでしょうね。

恐らく多くの人類が免疫を手に入れて
風邪のように普通の病気になっちゃうのかな。
そもそも風邪だってコロナウイルスなんでしょう?

その辺は特に詳しくないので
あまり深入りしないでおきましょう。

いずれにせよ
いつかは平常化するのでしょう。
今現在は感染者が増えたり減ったりしていますが
ひと頃に比べればずっと平常な雰囲気です。

大学もほぼ平常と言っていいような授業内容になっていますし
街中も皆マスクをしていて
店舗はアルコール消毒やシールドがありますが
一時期のような緊張感はありません。

私が気にしているのは
学生達の活動なのですが
これはなかなか難しいところがあります。

もちろん、コロナ禍前の状態そのままに戻ることは無いでしょう。

やり方は時の流れに合わせて変えていく必要があります。
当然、学生達が経験する内容も変わります。

問題はその熱量なのです。

ひとたび「やらない」という選択肢を手に入れてしまうと
「やる」と「やらない」の基準が動きます。

2年間の自粛期間を経て
私も学生も
動いてしまった基準に対応して動いています。

ひと頃「不夜城」と言われた夢工房も
日付が変わる前には撤退しているのは以前書いたとおりです。
これはもう仕方ない。
短縮された時間内に何をどこまでどのようにやるか
そのへんが勝負所なのも分かっています。

夢工房に集まっているのは
比較的モチベーションが高い学生なのですが
やはり以前のようにはいきません。

やる気はあるのでしょうけど
以前のような突き抜けた動きは見られません。
日曜なんかは以前と比べると明らかに「休日」です。
ということは
彼らは「やらされるやり方」でやっているのですね。

「できるならやりたい」
ではなく
「できるだけ休みたい」
です。
恐らく意識はしていないはずですが。

これ、ある程度は仕方ないと思います。
コロナ禍で色々自粛とか中止とか
そういうのは全て外力で
彼らにはその外力に従わない
という選択肢はありませんでした。

恐らくこれ、慣性力みたいに効いてきている
というか
習慣になっていますね。

チャレンジしなければいけない立場なのに
考え方はフォロワーで消費者です。

もちろん、学年が上の連中はかなり頑張ってますが
彼らも動きに「強さ」が感じられません。
もちろんそれは後輩達にも伝わって
新たな風土ができあがりつつあったり
それに抗ってみたり
そんな毎日です。

時々卒業生が来てくれるのは
大変心強くて
大変助かっています。
これは夢工房の財産の一つだと思います。

こんなことを長々と書いてきて
なにも泣きが入っているわけではないのです。

この状態は避けようのない事実で
恐らくどこも似たような状況
もしくはもっとひどい状況なのかもしれません。

であれば、これが見えている我々にはチャンスだよね
という話なのです。

恐らく時間と労力はかかるでしょう。
どれくらいかというと
こういう形に変わってしまうのに要した倍くらい。
まぁ普通に考えればそんなもんでしょう。

それをいかにスピーディーにやっつけるか
そこがポイントです。

危機が与えてくれるもの

人生に無駄なものは無い
と言いますが

これは
一般的にネガティブに思えるような困難なことでも
それは決して無駄な経験ではないよ
という意味です。

まぁ、誰しも進んで困難な経験なんて
しようとは思わないでしょうけどね。

でも、人とというのは
そういった経験をくぐり抜けて成長していくことは確かで
むしろそういった経験による成長こそが大事なのだと思います。

全ての人が困難を通り抜けて成長できるかというと
そうは言い切れないとは思いますけど

何と言ったらいいのか
単に能力が高いというのとは別な次元で
デキル人っていますね
デカイ人というか

そういう人は
多くが場数を踏んで困難を克服してきた人だったりします。
これは間違いない。

じゃぁ単に困難に遭遇すればいいのかというと

まぁ、できるもんならやってみな
ってなもんなのですが

大事なのは困難に遭遇して
それを乗り越えることです。

どんな困難でもいいのか
というと…
いいのかもしれません。

たとえそれが悲劇的な
どうしようもないことでも。

凄く極端で分かりやすい例で言うと
戦争でしょうか。

もちろん戦争なんて望んで起こすべきものでは無いでしょうし
できることなら関わりたくないことの一つです。

私は戦後の世代で
本当に悲惨な部分は話を聞いたところで
決して本当の部分まで理解できなくて
こんなことを言う資格は無いのかもしれませんが
あえて書いてみます。

我々は、戦争を経験した人達のお陰で
今の日本国で安穏な生活ができていることは事実です。

これをどういったところから感じるかというと

先の大戦は6年間も続いて
我が国はめちゃくちゃになっちゃったわけですが
戦後21年経って私が生まれたときには
とうに復興していました。

物心ついたときには
都市部をはじめとする日本中のどこでも
よもやここが爆撃で焼け野が原となった
なんて気配は感じられませんでした。

日本中のほとんどの都市は
20年も経たずに何も無いところから復興したのです。
他の先進各国に比べても遜色のないレベルまで。
それは都市に限ったことではなく
経済など生活を取りまくあらゆることも同様です。

それらを成し遂げたのは
間違いなく戦争という悲惨な経験を乗り越えた先人達なわけで
私はそれを思うと驚愕すると同時に感動してしまいます。

戦後20年を待たずしてF1もマン島TTも優勝しています

私が生きてきた時間のうち
どの部分を取っても
20年でこんなに劇的な変化は経験していません。

もちろん、その超絶な復興の時代の負の側面もあったでしょう。
ものごとに多面性があるのは当然のことですので
そのへんは揚げ足取りみたいになってキリがなくなるので触れません。
そんなことをしても何も良いこと無いし。

恐らく平和な時代を生きてきた世代の多くは
戦争を経験した世代のようなパワーは持ち合わせていません。
そういうことです。

なので戦争しましょう
なんて馬鹿げたことは決して思ったりしませんよ。
これは最も極端な例として考えてみたまでです。

現に、夢工房で頑張る学生達
世代によってレベルは様々ですが
総じて彼らなりの困難にぶつかって
それを乗り越えて卒業するわけです。

やはり成長していますよね。
乗り越えた困難が大きければ大きいほど。

もっとも、本当の成長は
それらの経験を活かした仕事の中なのでしょうけど。

そして思いを一つに

ダサイフレーズですか?
こういうの最近流行りませんからね。

個人主義ですか。
そんな感じですね。

複数人での思いを揃えられたら
個人ではできない大きなことができます。
だから会社組織とかがあるんですよね。

ネットでの情報発信力を利用したりして
かつては個人レベルでは不可能だったことも
近年ではできるようになってきています。

しかし、やはり依然として
個人の力ではいかんともしがたい世界はあるわけで
いくら個人主義が幅をきかせても
できないものはできません。

クルマみたいな面倒な製品は
分かりやすい例だと思います。

近年の開発の現場がどうなっているか
詳細は分かりませんが

アサインされた仕事をこなすだけ
という現場より
各人がパッションを持って
チームで思いを揃えている現場の方が
いいものを作るに決まっているでしょう。

能力の高い個人が集まれば良い製品ができる
なんてのは
ちょっと信じられません。

数値的には良いものができたとしても
それは果たして人の心を動かす良い製品になるのだろうか。

そもそも、本当に重要な能力って
パッションから生まれるのではないでしょうか。

夢工房のチームは
志向が揃った学生達で構成されていますが
思いが一つの方向に向かって揃っているか
というと
意外とそうでもなかったりして。

その辺を何とかするために
ぶつかったり盛り上がったり凹んだりしながら
日々成長しています。

本当に良いチームって
そんなふうにしないと出来上がりません。