君は捨てることができるか?

色々と
情報やら、ものにあふれた昨今

常々思うのは
色々ありすぎ
色々持ちすぎ
だな。
ということです。

色々あって
豊かで良いじゃないか
という見方もできますが

色々あるもんだから
逆にそれらによって
色々制限されている面もあるのではないかと
そんなことも思うんです。

人は欲が深いもので
色々欲しがります。

でも、一度に持てるものには限りがあるわけで
一度持ったものを手放さず
他にも色々欲しいと思ったら

色んなものを小さくしたり
薄くしたり
とにかく縮小しないといけないわけですよ。
そうしないと我々の手の上に全ては載らない。

そんなわけで
本来自分が力を入れて取り組むべきこと
本当に大事なこと
そんなものは見えにくくなってきます。

とはいえ
欲しいものは欲しいわけで
すでに持っているものを手放すのも怖いわけで。

安全で安心な
豊かな生活
と言っても
何かしらのトレードオフをしているはずです。
でも、なかなかそれには気付きにくい。

容易に様々な情報が手に入る反面
あふれた情報で
大事なものが覆い隠されてしまうこともあるでしょう。

一見何も手放さずに色々手に入れているようですが
失ってしまっているものは何でしょう?
見えなくなってしまったものは何でしょう?

幸福感?
達成感?
生活の質?

たまに思います。
不要なものをバサバサ切り捨てて
超ストイックな生活をしたら
代わりにスゴイ何かを
手に入れることができるのではないかと。

たぶんそれは道理にかなっていて
そんなことをしたら
本当に大事なものに集中できるのでしょうけど
勇気が必要です。

人と同じものを持って
人と同じことをしていたら
同じ結果しか生まれません。
当然です。

たぶん神様は見てますね。
我々を試してます。
「できるものならやってみろ」
と。

や、やってやろうじゃねぇか!

技術は人なり

デッドエンドは成長への発射台

学生と付き合っていくというのは
彼らの喜びと同時に
彼らの悩みとも付き合っていく
ということでもあります。

夢工房で色々やっている学生達
日々新しいことができるようになったり
新しいことに気付いたり
そんなこともありますが
もちろん
やりたいことが
できなかったりすることもあります。

理論的に分からないとか
技術的にうまくいかない
そんなことは頑張ると何とかなったりするのですが

手強いのは
本人の意識に上ってこないことが原因で
うまくいかないこと。

コイツが非常に手強い。

大抵は自分でも
何が起きているのか分からないんです。

例えば
「ものごとは大枠から決めていくんだよ」
と言っても
ついつい細かいことから始めちゃう。


「先生、この部品どうですか?」
と図面を持ってくるんだけど
単品の図面見せられても
その部品がどうなのかは判断できません。

部品の形状は
周囲の環境で決まっているわけで
「何のために、そうなっているのか」
それが分からないと
良いも悪いもありません。

そういうのはビギナーに多いですね。
何事も小さいところから始める
そんな訓練を延々とされてきた成果です。

実際に手を使って何かを作ったことが無いと
「大枠から考えろ」
と言っても
一体どういうことなのか実感が湧かないかもしれません。

実際にものをつくれば分かるんですけどね。
小さいところからなんて作れないって。

でも、プラモデルなんかだとダメかもしれませんね。
実際、細かいところから組んでいくから。
なにも経験が無いよりは良いのですが。

スクラッチで
ゼロから何かしらのモデルなんかを作ったりすると
良いかもしれません。
今時なかなかそんな学生いませんが。

絵画とか
何かしらの造形物を作るのも
良い経験でしょうね。

なので
夢工房に来て、1年生の時に何かの道具とか
雑務のようなものでも良いので
何かしら作った経験のある学生は
結構伸びます。

レベルが低くても良いから何かやれば
大抵は、どうしたら良いか分かるものです。

ダメでも何かやってみれば分かる!
ってことが分かったり。

でも、たまたま
そういう経験を逃してしまった学生もいます。

そういう場合
作るための準備がしっかり整わないので
作り始めることができない
なんてことになっちゃってることが多い。
そうなると事態はややこしくなります。

なんで準備が整わないかというと
経験が無いからです。

なんで経験が無いかというと
準備が整わなかったからです。

以降ループが続く

結局
いつになってもできるようにならないのですね。

そうこうしているうちに
締め切りが近付いてきます。

で、どうするかというと…

逃げ道を探します。

そもそも逃げ道なんて無いんですけどね。

まぁそれでも
うまいこと、その場は逃げて
学年を重ねてしまうケースもあります。

でもいつかは
もう本当に逃げられない
デッドエンドがやってきます。

本人は困るでしょうね。
凄く悩むと思います。

でもそれ
チャンスですよね。

消極的な気持ちを突き破って
その先に行くことができるようになれば
凄い飛躍ができるかもしれませんから。
それをやるしかない状態。

そういう状態から飛躍する学生を見られるのも
こういう仕事をしている特権だと思ってます。

技術は人なり

できるってどういうこと?

学校で勉強していて
できるだのできないだの
という話になりますが
一体「できる」というのは
どんな状態になれば良いのでしょう。

勉強が「できる」
高校生までなら
それでもいいかも。

でも、大学ともなると
その先は社会に出るわけで
そうなると
世のお役に経つための最終準備段階なわけです。

え?
自分は世の中の役に立とうなんて思ってないって?

いやいや
何かしら仕事するって
自分以外の誰かのためにやる
ってことですから。
じゃないとお金もらえないでしょう?

というわけで大学では
他のために価値を生み出す
その準備ができるかどうかってことでしょう。

社会が安定していて
余裕があるなら
学校で勉強だけやって
その後は会社にお任せ!
でも良かったのかもしれませんが
これからは、そうはいかんでしょう。

テクノロジーてんこ盛りの昨今では
基礎的なことに加えて
膨大な応用的な知識が必要ですから。

大学にいるうちに
社会に出て通用するような価値を
生み出せるようになれれば
それが一番なんでしょうけど
なかなかそうはいきません。

とはいえ
何かしら価値に繋がりそうなものを
得られると良いですよね。

学校では仕事に必要な「要素」
としての勉強をしています。

授業で得た知識を使って
そのまま仕事として成立するかというと
そんなことはない訳です。

そんなことは先生はもちろん知ってるでしょうし
社会に出て仕事している人にとっては当たり前です。

例えば
材料とか力学の成績が優秀で
製図の授業で良い点数を取っていたら
良い製品を設計できるでしょうか?

そんなことありえない。

そうだなぁ、例えば
ガチャガチャのカプセルみたいな
容器ひとつ設計できませんよ。
たぶん。

100円ショップの製品だって
自分で買ったら馬鹿にするかもしれないけど
設計はできない。

まして実用的なメカとか
乗りものなんて無理です。

だから授業のレベルを上げろ!
ったって多分無理。

レベルの話ではなくて
どのように本人に「入力されるか」だと思うのです。

必要な知識や技術は膨大ですし
以前にも投稿した
実践知(暗黙知)などは教科書では学べません。

外部からの入力では
すぐ限界が来るでしょう。
そりゃぁ、教える方も教わる方も。
時間的な限界もあるし。

恐らくその先の世界は
自分が執着心を持って取り組まないと
身に付かないと思います。

要は動機です。
外発的な動機(やらされる)なのか
内発的な動機(自らやる)なのか
そこが最重要で
外発的動機で
無理矢理突っ込もうとしても無理でしょう。
入りきらない。

内発的動機があるなら
自らどんどん取りに行こうとします。

本当は、そういうテーマが学校にあると良いのでしょうけど
色々としがらみがあって難しいようですね。

それに、学生に
「好きなことやっていいから、ガンガン行こうぜ!」
と言うと
恐らく半数くらいは(ヘタすると半数以上は)
「え~、めんどくせー」
と言うし
できるだけ手を抜いて楽なことをやろうとします。
もちろん、教員側も
「めんどくせー」
って言うでしょうね。

だって本当にめんどくさいもん。

なので、今現在は
授業で内発的動機を刺激して
何か面白いことをやろう!
本格的なことをやってみよう!
みたいなのは成立しないかもしれません。

多分、「授業」という形で教えることの限界は
こんなもんでしょう。

でも、そんな現状を何とかしたいんですよね。
面白くなるように。
面白くなかったら無理ですもん。

なので、最初は
「めんどくせー」
とか言われたりするんですけど
ボチボチやっていきますよ。

もっとも夢工房の活動はそういう世界じゃないので
なかなかエキサイティングです。

授業で車の作り方を教えるなんて無理です。
設計から製作、運用まで
そんなの無理。

でも、ヤツら教えなくても自分で学んで
やっちゃいますからね。

自分たちから進んで海外遠征行きたがるし。
あんなの超めんどくさいのに。

なので、「良い形」を作れれば
できることは分かってるんですよ。

まだまだ工夫が必要です。