次のステージに昇るためには

自分はまだまだだなぁと思います。
しょっちゅうです。

素直さとか感謝とか努力とか
まだまだ足りないな
と思うことしきり。

基本的に自己肯定感が低いのでしょうか。
まぁ、あまり気にしてはおらず
ポジティブな目標に変換というか
日頃の心掛けとしています。

そんな私でも歳を取るにつれ
そこそこ成長してきたわけですが

もしもですよ
若い頃に
現時点の自分が持っている
知識とか経験を持っていたら何が起きていたのか?
もっとマトモな人間になっていたのだろうか?

たぶん…なってませんね。

タイムマシーンに乗って昔に戻って
昔の自分に
今思っていることとか
今分かっていることを伝えたとしましょう。

ヤツはそれを受け止められるでしょうか?
信じられるでしょうか?
無理だろうなぁ。
好きなことばかりやってる馬鹿野郎だからなぁ。
じゃなくて
いや、そうかもしれないけど

自分が経験して分かったことを
経験が無い者に分からせるのは
きっと難しい。

それと同じように
今の若い世代に
自分が思っていることや
分かっていることを伝えるのは難しい。

価値観の違いなんかもあるでしょうが
それ以前に
本人が、それを受け止められるステージにいない限りは
そんな知識や情報は理解できないし
使えないから必要ない。

それに
そういうのって自分から取りに行くから
意味とか価値があるわけで
外から押し込まれてもダメなんだろうと思います。

分不相応なものを持っていても
使いようがない。

とはいえ
人を含む環境などは
次のステージへ進むきっかけとはなるでしょうから
どんなところに身を置くかは重要でしょうね。

やはり
仲間と共に

考えて
やって
壁にぶつかって
乗り越えて

そんな事を繰り返していると
次のステージに繋がるものが必要になる。
それが
次のステージへ昇る準備ができた
ってことですね。
そういうことができる環境にいることは重要でしょう。

一人じゃサボっちゃうもんね。

でも、そんな環境に
いるだけ
じゃダメですよ。

何もしなければ何も起きない。

おかげさまで生きています

地球上の生き物は
食物連鎖で繋がってますね。

「強者が弱者を…」
みたいな捉え方をしがちですが
見かけ上の強者・弱者は存在しますが
強いったって、死ねば
虫や微生物に処理されちゃう。
色んな生き物が相互に繋がって
世代が続いていくのですよね。

そこには
人間のような価値観や欲は無くて
悪意も善意も無くて
我々には良く分からない
大きな流れで動いています。

そういうことを突き詰めていくと
学者さんでも
何でそうなっているのか
良く分からない領域に突入します。

生き物相互の関係のみならず
DNAの構造とか
それこそ宇宙の起源とか
科学では説明が付かない領域があります。

なので
神様を完全に否定することはできないのです。

ちょっと前にお亡くなりになった
生物学者の村上和雄先生は
そういう良く分からない領域を設計した
偉大な存在は否定できないとして
サムシング・グレート
と呼んでいました。

人は助け合って生きています。
助け合わないと生きていけない。
当たり前です。

でも、そんなことを実感することは
あまりなかったりして…
どうでしょうか?

人は一人じゃ生きられないんですよ。
でも、多くが一人で生きられる
一人で生きている
そんな風に思ったりしていないでしょうか?

私もヘタすると
そんな勘違いをしていることがあります。

勘違いしているから
人への感謝とか
思いやりとか
貢献とか
大事なことが足りなくなって
心が貧しくなって
つまらなくなって
恐ろしくなっちゃう

そんな気がするのです。

本当は
日々誰かが頑張ってくれているから
生きていられるし
好きなこともやっていられる
そんな大事なことをついつい忘れがち。

さらに拡大して考えるなら
地球上の植物とか動物とか
虫とか微生物とか
太陽とか月とか
そんな大きな枠の中で
我々は生かされているのですね。

そんな事を考えると
感謝とか謙虚さとかを持つというのは
大事なことなんだよなぁ
と思ったりします。

我々が生きているのは
”おかげさま”なんですね。

イメージの話

何かしらの計画を実行するとき
現状と未来のゴールとが
時間軸で結ばれていて
その線に沿って進んでいく

その過程では
色々やることが計画されていたり
目安が設定されていたり
それらを必要なレベルで達成していき
(いわゆるマイルストーンですね)
ゴールに到達する
という感じでしょうか。

現状と未来のゴールを結んだ線を
未来に向かって進んでいくときには
色々周囲を見渡さないといけません。

多くのアイデアが必要になるし
自分の事ばかりやっているわけにはいかないから。

なので、未来への線を進んでいるときには
視野の広さという「幅」が必要になります。
知識や技術などの「幅」も必要ですね。

その過程では
知識や技術などのレベルも重要になりますね。
熱意も重要です。
これらは言ってみればこれは「高さ」かな。

そんなことを考えると
現状から未来への時間軸上を
テクテク進んでいく過程は
ピッと結んだ単なる直線の上に
所々マイルストーンが置いてある
そんなイメージじゃなくて

未来に向かいながら
幅と広さが変化するのだから
先へ進みながら
広くなったり高くなったりする
立体的なイメージです。
…分かりにくいですね。

ともかく私は
そんな風にイメージして
どんな局面で
どんなことが必要になるかとか
負荷がどう変化するか
なんてことを想像したりしてます。

あと、何か複数のもので構成されたものを計画するとき
何かシステム的なものですね。
そういうときはどうしてますか?

設計されて、ある程度の形になる前には
もちろん「形」はありません。

なので、最初はイメージ図とか
文章とかからスタートするでしょうけど。

そういうのを文章で書いちゃいますか?
箇条書きとか?

そんな時、文章で書いちゃうと
文章の並びなどがイメージを固定してしまうことがあります。
優先順位とか難易度とか
相互の依存関係も分かりにくいですね。

ヘタに固定化して考えちゃうと
発展性がなかったり
問題が解決しなかったりします。
でも、要素相互の関係を変えると思い付くもことありますね。

なので、そんな時はブロック図のようなもので表現するといいですよね。
難しく考える必要はありません。
状態を簡単に表すためなので、簡単に描けないといけません。

要は、四角の中に文字を書いたものを線で繋ぐだけです。

これをポストイットなどでやったりしても良いでしょうね。
書いてから動かして関係を変えられますし。
ノートだと書き直しが必要になりますから。

PCでもできますよ。
思考支援ツールとか
マインドマップとか呼ばれているソフトウェアがあります。

ただこれも、PCは曖昧さを許さないという弱点があって
場合によっては手書きにかなわない部分もあります。

まぁ、今回挙げたイメージは人それぞれだと思うのですが
色々とイメージを広げたり
関係を変えたり
そんなことが結構効いたりしますよ
ということが言いたかったのです。

継続性は重要ですが
常に一本調子で淡々とり続けても
あまりうまくいかないものです。

時として
スピードやパワーが必要になったり
静かに深く潜ったり
その時に応じて変化が必要になりますから。

イメージは、そういう時の助けにもなります。