どうなりたいのか

自分の将来の理想像をイメージするって
思いのほか大事なのでは?
と思うのです。

大事どころではないな。

だって
何のためにってのが無いってことは
動機が無いってことで

理由が無いことでは
おのずと限界が決まってしまう。
(理由が無いことに関しては
また別の機会に興味深いお話をしましょう)

ただ、どの程度具体的に?
というのは
学生の場合は難しい問題かもしれません。
だって社会に出てないから。

でも、経験が無いってことは
夢を見放題ということでもあるわけで
思い切り高望みして良いと思います。

将来の理想像は一つのゴールなわけで
それが無いと必要なものは見えてこない。

夢を見ましょう!

楽になりたい…かい?

一口に「楽になりたい」とは言っても
色々ありますよね。

多くがイメージするのは
単に負荷が軽減されること
でしょう。

でも、何かしら目的を持っていたら
違ってくることもあります。

本筋から外れた余計なことにリソースを割きたくない
とかね。
集中したい
ってことですね。

まぁ、それも負荷の軽減
ってことになるのかもしれませんけどね。

そんな風に
いろんなレベルで
「楽になりたい」
と思うものですが…

負荷の経験って、そのうち必ず役に立つ時が来ます。
どうも負荷とか困難とか失敗とかを
悪いものだという風潮とか価値観とかが
蔓延している気がしてならない。

ただ、これには
できれば自ら望んだものに向き合う中での…
という前提が付きますし

その程度によっては
どうしようもない時はありますけどね。

でもまぁ
結局は
何を望むのか
が重要なのですね。

ジェネラリストで行こう

将軍になろう!
という意味ではありません。

狭い領域を深掘りする
スペシャリストの反対です。

日本の学校でお勉強していくと
大学に進学すると専攻が決まります。

つまり、ある特定分野に絞ってお勉強することになります。

工学系だと、特定の材料とかシステムとか
そういったものを選んで学ぶことになるのです。

専門家になる
これは特定の領域に力を集中できるので
成果を残しやすいというメリットがあります。

そもそも、我々の文明だって
専門家がいたから発展できたのです。

昔々、一人で食料を調達して、家を作って、衣類を作って…
と、色々やっていたら
それぞれのレベルを上げるヒマなんてありません。

でも、狩猟や農耕やものを作る専門家が現れれば
それぞれのレベルを挙げることができます。

それが仕事を専門化した専門家の存在価値です。

さて、この専門家のパフォーマンスを
さらに向上するには
どんな方法があるでしょうか。

ひとつは、より専門性を尖らせることです。
さらに領域を狭めて、さらに深く掘る。

余計なことを潔く捨ててしまえば
その分他のことができるのです。

例えば
日本古来の文化や習慣などを捨て去れば
その分、他のことに労力を割くことができます。

ゲームとか、ネットとか…

冗談はさておき

専門性を尖らせれば尖らせるほど
周辺が見えなくなったりします。

例えばの話ですが
複数の分野にまたがってコーディネートするとか
そういった能力は低下する可能性があります。

例えば、自動車に限らず
複数の構成要素からなる製品開発の現場では
専門家は沢山いるのだけど
広い範囲を見られる人
いわゆるジェネラリストが不足している
という話を聞きます。

要素は作れるけど
製品を形づくることができない
と。

そういう経験をしてこなければ
そうなるのも仕方ない気がします。

個人主義で
利己的な考え方をしていて
ゴールやビジョンを持たずに
指示に忠実に従うような経験しか無ければ
そりゃ、そうなるしかないでしょう。

と、悲観的なところで終わりにはしません。

ここまで見えたら答えが出たも同然。
やるべきことは…

それをひっくり返せば良いのです。

簡単じゃん。