人の燃費

身体活動量の多い成人男性の一日の必要摂取エネルギー量は
2,400kcal~3,000kcalだそうです。(農林水産省HPより)
真ん中を取って、2,700kcalとしておきましょう。

ガソリンの1リッターあたりの熱量は、8,500kcalです。
排気量1,800ccで、車重1,300kgの乗用車
燃費はリッターあたり15kmくらいでしょうか。

とすると、成人男性の一日の必要摂取エネルギー量で
車重1,300kgのクルマで4.8km走れることになるんですね。普通の走り方で。

1,000ccのスポーツバイク、車重は200kgくらいで
燃費はリッターあたり20kmくらいですかね。
この場合、6.4kmいけます。

人間の燃費、どうなんでしょうね。
実際のところは、体だけを動かしているわけではなく
脳というカロリー消費マシーンを動かしているので
そう単純な話ではないのでしょうけど。

そんなことを考えていると、虫って凄いなと思っちゃうんですよ。
例えば、アリなんて大してカロリー摂ってないのにずっと動いてますよね。
摂取エネルギー量に対する運動量はどうなんでしょう。よくわからないけど。
でも、精密な構造してるし、体重と体の強度の比率を考えても凄いと思いますよ。

我々人間ののテクノロジーでは、まだまだアリのようなものすら作れません。
自然って凄いですね。神のなせる技ですよ。

しかしチャレンジはする!

Formula SAEは燃費も競います
かつてオーストラリア大会で2位を取ったマシン
軽さは燃費のみならず、運動性能のキーファクターです

最近のバイク CRF450R

とは言っても競技車両ですが。

これはホンダのCRF450R、2020年モデルです。
モトクロッサー、つまりオフロードの競技専用車両ですね。

新車で買うと100万円以上するのですが、本学Formula SAEチームを支援して下さっている本田技研工業様からご提供頂きました。ありがたいことです。

いずれはエンジンを摘出して、今設計している新しいレーシングカーに搭載する予定ですが、その前に色々と特性を計測しています。

最新のバイクを見ると色々と発見があります。
昔の燃料タンクは樹脂製でしたが、今どきのタンクはチタン製なんですね。
もちろん、この外側には樹脂製のカバーが付くのですが、写真では外しています。

プレスされたタンクの合わせ部はこんな感じに溶接されています。レーザー溶接なのかな。
※2020年12月8日追記:シーム溶接だそうです。旧来の手法ですね。

他にも色々と発見があったりしますが、それは後ほど。

Formula SAEのはじまり

世界中の工科系の大学生が手作りのレーシングカーで競い合うFormula SAE
日本では「全日本学生フォーミュラ」という名称で2003年にスタートして、国内には現時点で90チームほどが活動しています。

東京電機大学チームは、2002年のオーストラリア大会参戦を皮切りに、現在に至るまで毎年海外大会を中心に参戦してきました。

本学チームは2002年のオーストラリア大会から参戦スタート
翌2003年には初めてアメリカ大会に出場(会場のミシガン州ポンティアック・シルバードームにて)

このイベントは、1979年にアメリカのヒューストン大学を会場として「ミニ・インディ」という名前でイベントがスタートしました。

「インディ」とは、100年の伝統を持つアメリカのレースからきています。
F1のようなレーシングカーによる時速300kmを超えるハイスピードレースで、アメリカでは絶大な人気を誇ります。

最初は木製の車体に5馬力の芝刈り機のエンジンを搭載したもので、手作りのゴーカートを持ち寄った大会のような形だったのではないでしょうか。

始まりは、ヒューストン大学の教授が、ポピュラーメカニクスという科学雑誌のHow-to記事に触発されたことがきっかけだそうです。
ちなみにこの雑誌はまだ現存しています。How-to記事は相変わらず面白いですね。

ここに大事なポイントがあります。
レースを題材にすれば、車好きの学生達が自発的に、しかも全力で取り組む強力な動機ができるということです。
自動車大国アメリカに限らず、自動車好きの学生が手作りのレーシングカーイベントに惹かれるのは必然です。

このイベントによる学びは、教室での授業で「与えられたものを覚える」というスタイルではなく、自発的で効果的な学びとなります。
これは頭で考えるだけの学習よりはるかに効果的なのは言うまでもありませんよね。

さらに、レースで勝とうと思うなら、先端の技術やアイディア、これをハンドリングするモチベーションが必要とされます。

イベントはより広がりを見せていくかと思いきや、なんと翌年には主催する者が現れずに頓挫してしまいます。

しかし、最初の大会から2年後の1981年に、より自由な規則やエンジニアリング的な要素を取り入れて、Formula SAEとして再スタートします。

その大会の参加車両がこちら。

Formua SAE 2002パンフレットより
Formua SAE 2002パンフレットより

この1980年初頭は、アメリカで日本車が台頭して、いわゆるジャパンバッシングがあった時期です。
当時のアメリカでは、安くて信頼性の高い日本車が市場を席巻し始めたころで、現地の自動車メーカーは深刻な危機に陥っていました。
日本のテレビでは、デトロイトの街中で日本車をハンマーでたたき壊すデモンストレーションをしていた映像が流れていたのを覚えいています。

実はFormula SAEは、優秀なエンジニアを実践の場で鍛えることにより、アメリカの自動社産業を再生するためのツールでもあったわけです。
現に現在のアメリカ車は、多くのFormula SAE経験者により、性能はもちろん信頼性も品質も向上しています。

その後、イベントはイギリス、オーストラリア、ドイツなど、先進各国を中心として多くの国で開催されて現在に至ります。