新しい時代は混乱とともにやってくる

何やら世界的に混乱の予感がしてきましたね。
ただ、そういったことは今に始まったものではなく、周期的に発生するもののようです。
過去にも恐慌やら戦争やらはあったわけで。

ただ、そんな中にも気付きや学びはあります。

フェイクな情報や脅迫は、ディールのための武器になる
それは昔からあったことだし、事の大小の違いはあれど実は日常にも潜んでいることです。
カオスな国のお土産屋さんなんて、そんなのが日常だったりもしますしね。

ただ、それを国家間でやるとかなり困ったことになるのですね。
いやぁ、勉強になります。

正しいものではなく、強いものが正義
実はそれはずっと昔からそうだったのですけどね。
戦争なんて善悪の問題ではなく、勝った者が正義となるわけで。

でもそれが世界標準になってくると、昔からあったことでは済まされません。

今回言いたいのは、そういった混沌としたバトルの価値観に合わせていこうぜ!ということではなく、そんな中で我々はどう振る舞うべきなのかというのを考える機会が来たのではないだろうか?ということなのですよ。

以前、「余裕」について記事にしましたけど、こういった混沌とした状況になる理由は、やはり余裕が無くなってきたからなのでしょうね。

そういった一見厄介な状態が物事の見方を変えて、大きな価値の転換点となるのかもしれません。
かつての混沌とした時代で何が起きたかというと、革命やら改革です。
要は、大きく変わる前段階として混沌の時代があるということです。

民主主義だって、資本主義だって、人類誕生より前にあったものではなく、後に作り出されて、徐々に形が変化してきたわけで、もちろん今後も変わったり消えてなくなったりする可能性はあるわけで。
ひょっとしたら新しい形の文化が生まれる前段階がやってきたのかもしれません。

どうしようも無い行き詰まった状態になれば、変革を嫌う人だって変わらざるを得ません。

この状態の明るい面を見るなら、これから理想的な状態へ移行するサインみたいなものと捉えても良いのかもしれませんね。

で、どうしましょうか?
混沌の中で、我々が目指すべきゴールは何か?

混乱に乗じて一儲け…
ではありません。
そんなことをするから混乱するのです。

こんな時こそ道徳だと思います。
「得」じゃなくて「徳」です。

徳があるところに本当の価値がある。
もちろん金銭の問題ではなく、それを超えた価値です。

時代は巡るわけで、きっとこの状態は我らの先人がかつて通った道。
その時彼らはどうしていたのか?
そんなことを振り返ってみるのも良いかもしれませんね。

成長するために大事なことは何だろう?

成長とは、単に頭の中の情報量を増やすことではありません。
それも必要でしょうけどね。

チャレンジする学生にとって大事なことは何でしょうか?と言った方が良いかもしれませんね。
そのスタイルは色々あると思いますが、共通することというか、本質的なものを挙げてみましょう。

まずは行動することですね。
行動しなければ何も起きませんから。

そしてスピード。
「後で」は「やらない」とほぼ同義ですからね。
これ、前もネタにしましたが…
「後で」+「やる」
なんてのは
「今はやらない」わけで、そんなのやるうちに入らないでしょう。
ま、ありがちなのですが、「すぐやる」ってのはけっこう難しいことです。
でもそれは、自分でもビックリするくらい大きな違いを生みます。

そして動き出したら諦めないこと 継続すること。
諦めなければ何とかなるものです。
それに、一度止まってしまうと再度動き出すのは難しくなります。
何事に桃慣性力が働きますので。
止まったら終わりだ!
くらいに思っていて良いでしょう。

とはいえ、なかなかうまくいかないのが人生。
そこから変化を起こせるか?これも大事。
「あー、うまくいかないなぁ」
なんて思うこともあるでしょう。
うまくいっていなかったりする現状に対して「なぜ?」と評価するのは良いです。
でも、あまりその状態に執着せずに、次のアクションを決めて変化していけるか。
変化は異なる結果を生み出します。当然です。

そして、信じることとか勇気ですかね。
信じることも勇気が要るでしょうけど。
考えて、決めて、行動して、それらはいずれも勇気や決意が必要でしょう。
「ダメだったらどうしよう」
と思うこともあるでしょうけど、心配しても何も良くなりません。
そんな暇があったら
「ダメだったらこうしよう」
とプランBを考えましょう。

最後に
分からないとき、できないときにどうするか
そんな時に必要なものこそが大事な能力なのかもしれません。
これに対しては適切な、これといったものは無い、というか、それこそ色々工夫して、自分のやり方を構築していく必要があるし、それこそが学びではないかと思うのです。

そこに感情はあるか?

教育に感情が入っていない
そんなことに今さら気付いてしまいました。

何言ってんだって?

それはね、人は理屈では動かないわけですよ。
例えば、「勉強は大事だ!勉強しろ!」と言われて、理屈は理解できますよ。
そりゃ勉強はできた方が良いだろうし、大事なのでしょう。
で、それでやる気になるなら苦労しない。
分かっちゃいるけどやる気になれない。
そういうものでしょう。

つまり、人が動く原動力は感情なのですよ。

でも、その感情に関する学びって無いですよね。
自分のメンタルやマインドを育みコントロールするような学びはありません。
つまり、自身の制御ができるようになる学びは無いのです。
少なくとも授業ではね。
当たり前のようだけど、「大事なことなのに何で?」って言いたくなっちゃいます。

なので夢工房ではその辺を重視していたりもします。
なのですけど、一般的には学校の授業にはそういった内容は無いよなぁ、と今さら気付いたのでした。

技術は人なり
です。