効率とコミュニケーション

「コミュニケーション能力が…」
とか言われたこと、聞いたことがあるでしょう。

それは若い世代に限ったことではありません。

知っての通り
「コミュニケーション能力」は
上手に世間話ができることではありません。

他からの情報を受け取り
理解し、考えて
発信すること
という
一連のスキルと言ったら良いのでしょうか。
まあ、そういうことです。

仕事をする上では基本的に重要です。

そこには
モラルや
マナーや
一般論はあるでしょうけど
正解はありません。

経験を重ねる中で磨いていくものです。

なので
やらないとできるようにはなりません。
失敗しながら磨かないと向上しません。

一般的に
学校の授業では学びません。
数値化して成績表に付けられませんから。

そして
「便利さ」や「効率」という名の下に
我々が捨ててきたものの一つです。

捨てた実感は無いかもしれませんが
長い年月をかけて
少しずつ失ったのです。

そもそも
技術の進歩による利便性の向上
なんてものは
面倒なことをしなくても済むためにやっているわけで
コミュニケーションは
面倒なことの代表格でしょう。

学校でも似たような事になっています。

コミュニケーション能力を数値化して
成績にしたりして評価できません。

なので、そんなものを磨いている暇があったら
テストの成績が向上することを覚える方が
効率が良いわけです。

チームで力を発揮する能力なんてのは
いくら高くても
成績表の上では1点も付きません。

そんなわけで

効率を最優先にして
コミュニケーションは最小限
失敗を、無駄を許さない
正解を求める

そういった方向に進んで
ここまで来ました。

ついでに言うなら
人の持つ問題とか悩みのうち
そのほとんどは
人間関係に起因するものです。

コミュニケーションの途絶は
効率の面で言えば好都合
…のはずが

コミュニケーションを取らずに
問題は解決しないという皮肉。

そして
新しいものは
人と人との関係から生まれることが多い。

そりゃそうです。
「価値」って
「誰か(他人)のため」ですから。

なので
コミュニケーション能力は
価値を受け取る能力
価値を発信する能力
とも言えますね。

「面倒だから」
と切り捨てて良い能力ではない
ということです。

効率追求のトレードオフ

自動車整備工場が減って
ディーラーが残る。

しかし
町の整備工場がなくなってしまうと
あそこに持っていけば何とかしてくれるよ
という商売が無くなってしまいます。

最近では
雑貨屋さんのような商売はほとんど見ませんね。
個人経営の商店は減っています。

で
コンビニとか
スーパーとか
ショッピングモールに置き換わる。

チェーン店のようなところは
あらかじめ決められたマニュアルに
従って仕事が進められるので
効率は良いでしょう。
ラクだし。

お客さんも無駄なく手早く欲求が満たせる。

もちろん
効率を重視しているので
収益は良いわけで
報酬はそこそこ良いわけです。

ラクで儲かる割りの良い仕事
ということになるのでしょうね。
で、多くがそれをやりたがる

でも、何事もトレードオフがあります。

効率を追求してマニュアル化すれば
工夫の余地は最小限で
マニュアルに無いことはできない。

効率を最優先にすれば
そういうことになるのでしょうが
これは大問題です。

最終的には
人件費の低いヨソの国で作られた
安価な製品を買えばいい
ということになっちゃう。
というか
すでになっている。

いざ、自らの力で何か新しいことを…
と思っても
リソースが無いのですよ。

例えば
与えられたことをやる能力があっても
それは
新しいことを生み出す能力とは違います。

そんな能力は授業では与えられないし
成績表に表せないので
ムダということにされがち。

「そんなことやってる暇があったら…」
と言われがち。

そんな社会環境の中で
効率を追求して物質的に満たされても
心が満たされるのとは違うな
ということが分かりつつある
そこが我々の現在の立ち位置です。

これは
理想と現実のギャップが見えてきた
ということでしょうか。

であれば、捨てたものではありませんね。

得か? 徳か?

将来は安定した暮らしを…

と、将来を望むのはよくある話。
なのですが

これ、一体何を望んでいるのでしょうね?

収入に対しての支出の話であって
収入に対する労力で
インプットに対するアウトプットで

いわゆる
「インカム(income)」に対する
「アウトゴー(outgo)」ですね。

同じようなアウトゴーに対して
同じようなインカムが継続的に得られる
といったような感じで

さらに
あわよくば得したい
わけです。

言ってみれば
タイパとかコスパですかね。

違いますか?
昔々、学生の頃
私はそう思ったことがありましたよ。

皆がそんなことを言うので
そういうのもアリなのかな?
と思ったのでしょうね。

速攻で
そんなのくだらねぇ
と思って却下しましたが。

安定なんて
そんな面白くなさそうなことは
きっと自分には継続できない
と思ったのです。

さて、今回は何を言いたいのかというと

「得したい」
と思っているかぎり
「得しない」
ということです。

なぜって、それは簡単です。

そういう人の動機は
「自分が」「得をしたい」
です。

あなたは
「得したいなー、得したいな-」
と思っている人に
得させたいと思いますか?

恐らく多くの人は思いません。

でも、今やそれが「普通」になっていませんか?

相手に得をさせよう
とは思わずに
自分が得したい
と思う。

これは
相手には価値を手渡さないけど
自分は欲しい
ということです。

気持ちは分からなくはないけど
理にかなっていません。

得したい
という心には
徳が無いのですね。

なかなかうまくいかないのも当然でしょう。

ただ
得したい
と思っている状態から
徳のある行動をするには
かなり勇気が必要です。

しかし
勇気が必要な行動の多くには
価値があるのですよ。

対して
勇気の要らない行動の多くは
価値が無かったりします。

そんな事を考えていると
価値を創造するのは
シンプルだけど難しいのだよなあ
なんて思うのです。