分かる・分からないじゃないんだよ

学校でやることって
分かる・分からない
じゃないですか?

これ
やるべきことはすでに決められていて、答えは隠されている
という環境で使う言葉ですね。

そういった環境で育つなら
やるべきことを考えねばならん
とかいう状況に対応するのはムリかもしれませんね。

だって、正解無いですから。

で、正解があらかじめ決められているなら、調べれば分かるわけですが、そういうのって誰でも分かるわけで、正直なところあまり価値は無いですよね。
それこそネットに繋がったPCがあればOKですから。AI使ったら楽勝でしょう。

なので、そういうのって考えてるわけじゃなくて作業的なのですよね。

そんな風に、すでに決められているもので更生されている環境は安心でもある?

そうかもしれませんが、面白くはないですし、大して価値もありません。
やはり、自分だからこそできた!とか、やり甲斐がないとね。

考えて、悩んで、チャレンジして…
そんな風に試行錯誤して達成するプロセス、ちょっぴり勇気が必要な、成長を含む経験を楽しまないとね。

セルフイメージが自分をつくる

勉強ができる人は良いのでしょうが、できない人は日々学校で、できない自分と向き合うことになるでしょう。

できないのはしょうがない、なんて言ったら身も蓋も無いですし、学校で勉強している以上、何とかしなければいけないでしょう。

ですが、できない自分にフォーカスしたところで良い事は起きません。

自身に対するイメージが、成果に対して大きな影響を与えている
というのは、海外のどこかで行われた実験で明らかにされています。アメリカだったかな?
IQが高かろうと低かろうと、自身が持つイメージが成果を左右するそうです。

自分はダメだ
と思うと、成果は出せません。

ダメだから成果を出せないのではなく、ダメだと思うことによって成果が出せないのです。

ネガティブなイメージがネガティブな結果を
ポジティブなイメージがポジティブな結果をもたらす。
考えてみれば当たり前ですが。

なので、何でも良いからチャレンジして、これならイケる!と思うものを一つでも掴むというのは大事なこと。

言われたことが上手にできなくたって、言われてもいないことができる可能性もあります。
勉学以外のことだって、そこから得られた経験や自信を他のことに活かすことはできます。
しかし、それに気付けるチャンスがあまりに少ないのではないかと思うのでした。

やってみると分かること

成功するためには
熱意とか勇気とか好奇心とか諦めない心とか
そういったもののワンセットが必要となる
とはいうものの…

これ、考えているだけでは良く分かりません。
やってみない限り、何が足りないか分からない。

ただ、経験があまりない場合は、やってみても分からないことも多い。

そんな時は経験者による評価が効いてきます。
そういう意味では学校という存在は大きい。

ただ皮肉なことに、現状の学校はマルかバツかの評価をする場所になっている事がい多いため、その環境に慣らされてきた学生にしてみると
不足しているということは不正解でダメなことだ
と判断する価値観が身に付いてしまうのですね。

確かにペーパーテストでは、そういうことになってしまうのですが、何かをできるようになっていくプロセスでは、不足している状態からどうしていくかが重要。

この現状からどう抜け出すか。
これは問題です。

考えてみれば最近の世の中は、多くのことがマルかバツかで極端に評価されているような気がしなくもない。
ちょっとでもリスクがあれば、それはバツだ!みたいに。
これも学校教育の弊害でしょうか。

「教え」は、教員からの一方通行で
その成果はペーパーテストの正解・不正解で測る
といったことを日々繰り返していたら、そうなるのも仕方ない気がします。

でも、そこから抜け出さないと、チャレンジはできないし、向上心も萎んでしまう。

ともかく
何が不足しているかを知りたい
足りないものが必要だ
と思う気持ちが重要です。

となると、スタート地点である動機が重要ということですね。
これ、知能とかそういうことではなく、心の問題だと思うのですが、どうでしょうか?