モチベーションの源はこれだろう

気付いちゃいました。

学生がやる気になってくれれば全てはうまくいくし、楽しい未来が待ってます。
当然です。彼らが未来を作るのだから。

で、そのやる気、モチベーションの源泉となるものは何だろう?というのが今回のお題。

で、今朝気付いたのですよ。

それは想像力です。

スタートからうまくいくまではこんなシーケンスになっていると思います。

まずはゴール設定。
続いて現状と理想のギャップを認識する。
次に、これを埋めたいと思う気持ちが発動。
これがないと行動に繋がりません。
そして具体的な行動をしたら
うまくいくまで諦めないこと

こんな感じでしょう。

最初に来るのがゴール設定ですが、ここで未来を想像しない限りは何も始まりませんし、仮に始まったとしても失速します。

しかし、日頃の行動が「言われたから」「ルールだから」といった外的な動機ばかりだと、想像する必要は無いのですよ。
そんなのばかりだと想像しないことが習慣化します。

皮肉なことに、便利なこと、快適なことに囲まれて暮らしていて、何不自由のない日々を過ごしていれば、別に未来なんて想像しなくても問題は起きません。

そして、外的な動機によって動いていると、自ら設定したゴールに対して云々という考え方ではなく、言われたことをやって、その結果は「なるようになる」といったような「こうなっちゃった」のようになる。

このブログでも何度か記事にしましたが…

「よく勉強して良い成績(学歴)を取れば、将来の選択肢が広がる」
という話をたまに耳にしますが、私はこれには賛同できないというか、それは嘘っぱちだとすら思ってます。

だって、目的無しに広範な知識を獲得すると、時間という最も貴重なリソースを使った末に何かに特化した武器がない状態。だって特化してないのだもの。
それでどうやって選択肢を広げるのですか?
その後の十分に時間が無い状態で、どうやって特定の能力を納得いくまで伸ばすのですか?

我々が柔軟な思考を持ち、フィジカル面でも充実した状態でパフォーマンスを伸ばし、自分の価値観ややり方を確立できる時期は限定されています。
それは二十歳くらいまで、せいぜい二十代の前半だと思います。
人生100年時代とか悠長なことを言っている場合では無いのです。

なので、遅くとも十代の後半には実践的なチャレンジの経験から価値観の確立と強みの獲得を開始しないと、後になってからでは手遅れになると思っています。
人の土台となる人間力は、勉学による知識量によって作られるのでは無く、価値観によって形づくられると思います。

知識やスキルは価値観によって使われるツールです。
理想的なのは、それらを同時に高いレベルにプッシュすることでしょうけど、なかなかそんな理想通りにはいきません。

なので私は、理想のゴールを想像し、チャレンジするサイクルの中で価値観を構築することを優先すべきだと思っています。
これをやらずしてモチベーションを上げることはできないのではないかな。
そのチャレンジの中でもゴール達成に要する知識やスキルは獲得できますし、社会に出てから実戦のフィールドで本格的なレベルにプッシュすることもできます。

ただ、その逆は大変難しい。
社会に出た者なら誰もが分かっていますが、基本的な価値観はそう簡単に変わるものでは無いし、仕事をしていたらそんなヒマも機会もありません。

というわけで、十代後半から二十代の前半には、沢山妄想してジタバタするのが何よりも貴重な経験になる、と断言しておきます。

良い環境を作らねば 2

学校で、塾で、言われたことばかりやって
家に帰ればゲームで…

ゲームね、好きなことをやっているような気がするけど、結局は設計通りに動かされてるだけですよ。
シナリオやプログラムの範囲内から出ることはないわけですから。
まぁ、楽しいのが救いというか、楽しいから逆に困っちゃうというか。

ま、いずれにせよ、言われたことばかりやっていたら、チャレンジなんてする気は起きないでしょう。
で、それが習慣になっちゃうと、言われてやる人になるのは当然。
もちろん、やる内容は最低限。

こういう未来はどうなのでしょう。
面白くないでしょうね。
というか、もっと面白くしたいのです。

どうしたら良いのでしょう?

恐らく環境が変わることが最重要。
彼らだって好き好んでそうなるわけではないでしょうし、そういった環境は作られたもので、それに順応しているだけでしょう。

だったら新しい環境を作れば良いのです。

それは、シナリオが決められた世界ではなく、自分の力を使って意外性や発見の中で立ち回っていく、そんな環境。
そういうのを楽しめる環境。

まず、言われたことをやって、失敗したら怒られる
のようなの環境を変える必要があるでしょう。

失敗を許容する、失敗を楽しめる、そこに発見がある、その経験を未来に活かせる
そういった環境。
そういうのを皆で作る必要がある。
もちろん、教員、学生の双方の努力が必要でしょう。

環境を変えられなければ、「挑戦しろ!」とか言ったところで、「何言ってんだか」となるでしょうね。
そもそもそれじゃぁ、「言われたことをやる」という本質的な部分は何ら変わらない。

と、そんなことを言ったところで、なかなか難しいのですよ。
でも、だからこそ、ですよ。

AIの時代に向けて その2

AIの発展と台頭に伴って、教育がどうなるかというのは気になるところ。

AIによる適切なプログラムや内容、もしくは対応などで教育の質が向上する
なんてことを聞いた覚えがあります。

義務教育のようなレベルで知識を得るのであれば、そういったやり方は効果的…
かどうかは分かりません。
言われたことをやる、という姿勢が強化されちゃったら残念ですし。

というか、知識を与え、それを得るのが教育であり学びかというと、ちょっと疑問。

もちろん知識を得るのがダメってことではありません。大事なことです。

知識を得るのは、凄く広範にわたる学びの中の一部であって、まして定型的なものであれば、それは知識の中のごく一部に過ぎないだろう、ってことです。

そこだけに特化して「効率の良い学びを…」とかいう状態になっているとしたら、ちょっと恐ろしい。

学ぶべき対象って、それこそ無限で、目指すべきゴールや戦略によって、もしくは個性によって変わるべきで、個々のそれぞれが独自のやり方を模索するような機会があって良いと思うのです。

そうしたら、もっと尖って、もっと面白くなるでしょう。

でもそういうのって、きっと効率が悪いことになると思います。
でも、効率が悪い中から生まれること、気付くこともあるわけで、その辺はAIにはできないことなのではないかな。