正攻法なんてやめてしまえ

成功法は興味深いですけど。

「正攻法」ってありますね。
凄く分かりやすくて…

凄く不利です(笑)

なんで不利かって?

だって、正攻法なんて
みんな思い付くのだから
多くが同じようなことをやる中で
独自性とか優位性を出しにくいじゃないですか。
ムチャクチャ不利ですよ。

それに面白くない。

そういうのが好きだったり得意だったりする人は
どんどんやればいいのですけどね。
そうではない人も多いはず。

そもそも正攻法で成果を出せる人って
いわゆる「優秀な人」なのでしょうから
そういうのは得意な人にお任せするのが一番。

そうでない君は、工夫しましょう。

戦略は色々あります。

そもそも人がやらないこと、やりたがらないことをやるとか
普通の人がやらない次元でやるとか。

もうちょっと具体的なところだと
正攻法の人が取りそうなやり方の逆を行くと良いと思います。
ゴールから行く!
これは後述します。

彼らは結構「形式知」が好きな傾向があります。
なので、実践知に特化して強化するのはお勧めです。

学校で勉強していると
基本とか小さな要素から学びますよね。
それが何のためなのかは気にせずに。

で、ひたすらコツコツ積み上げる。
それが目標に到達するための方法と信じて。

でも、そのやり方だと
ライバルが異常に多いので
ものすごい過当競争になりますし
できることが限定的になります。

工科系の大学なら座学で勉強して
それが開発者への道だと信じているのでしょうけど
「知っている」と「できる」は全然違うことです。

学校の学びって、すごく汎用的なので
色んなことに利用できる可能性はありますが
目的意識は必要ありませんし
基本的には、言われたことをやっているだけです。
それでも大変なのは分かりますけどね。

でも、そもそも
目的意識を持てない開発者ってどうなんだ
と思います。

それに
言われたことができたところで
これまた開発者としてどうなんだ
と。

開発者って
目的無しに言われたことをやる人
ではないですから。

座学の勉強が重要なのは分かりますが
正攻法が苦手な人にそれをやらせても
パッションやクリエイティビティには繋がりません。
非常にもったいない。

それを一所懸命学んでいるだけでは
労力が大きい割に実践面があまり強化されないし
皆で同じようなことをやっているので
強みを作り出しにくい

なので
ゴールから物事を見る必要があります。

「こういうの作りたいよね!」
からです。

そのために必要なことを学んで、やってみる。

上位概念のイメージから
具体的なところに落とし込んで
細かいことを学んでいく。
自然とそういうことになります。

もちろん、その課程では
うまく行かないことも多いので
それを乗り越えるために努力すると
知識もパッションもクリエイティビティも手に入る。
なので凄く成長しちゃいます。

なんたって
「作りたい!」
って自分で言っちゃってるので
やるしかない。

それをチームでやれば
コミュニケーション能力とか
チームワークなんて
自然と手に入ります。

ものづくり教育が盛り上がっていた頃は
そういうアプローチが多かったのですが
なぜか最近は下火になっている気がします。

面倒くさいんでしょうね(笑)
やる方もやらせる方も。

それに、現状のシステムを作っている人達は
正攻法で努力して成果を出せた人達でしょうから
その方法がいいのだ!
と信じていて、皆にそれをやらせようとするでしょう。
そりゃ当然です。

それを否定しちゃったら
今までの自分の努力を否定するようなことになりますしね。

もちろん、現状のシステムはあっていいのですけど
多様性を許さないのは、ちょっと怖いことだな
とも思います。

なので、夢工房のような環境を維持してくれている
我が東京電機大学は素晴らしいと思うのですよ。
日本最古の技術者育成学校は伊達ではない。
自画自賛!いや、ほんとに。

面白くないとハマれない

今日は日曜日ですけど
夢工房にはボチボチ学生達が集まって
色々やってます。
全員が来ているわけではないですが。

日曜も来るような連中は
土曜日はもちろん
ウイークデーも来ているわけで
休み無しで毎日ものづくりをしていることになります。

「日曜も来い!」

とか言っているわけではないのですが
やりたいヤツはやってます。

逆に、強制していたら
そんなに頑張れないでしょうね。

何でそんなに頑張るの?
というと
そりゃぁ面白いからなんでしょうね。

面白いと思って
一所懸命やってるヤツは
面白いくらい成長します。

面白いと思っていることを頑張りたいなら
できれば天井無しで頑張らせてあげたいものです。

成長期には、そういう経験がすごく大事ですから。

「1万時間の法則」
ってのもありますよね。
十代のうちに1万時間の練習をすることで本物になれる
ってやつです。
彼ら、そんなのを地で行ってます。

成長が早い者は
学生のうちに結構な成果を残しますが

遅咲きタイプでも
社会に出てから活躍します。

好きなことに
とことん取り組めるというのは大事なことです。
それこそが才能や強みなのかもしれません。

こういう経験によって得たアドバンテージは
社会に出てから、より効いてくるはずです。
この差は埋まりません。

だって、社会に出たら
こういう経験はできないのですから当然です。

ものづくりは未来だ

そんなふうに思うのです。

この場合の「ものづくり」は
何も物体に限りません。

ソフトウェアだったり
アート作品だったり
クリエイティブなもの全般です。

もちろんクリエイティブじゃなくてもいいのですが。

何でそんなことを思ったかというと
教室で学ぶ知識って
100%過去のことで
もちろんそれは重要なのだけれど

過去のことを知っていたからといって
それが未来をつくることに繋がっていくかというと
そんなことはないだろうな
と思ったからです。
現状維持には、とても役立つだろうけど。

もちろん、知識が未来をつくり出す
そんなこともあるでしょうけど
それは知識のお陰じゃなくて
それをハンドリングする人の
パッションによるものです。

何かをつくり出すって
新しいことをやるという意味だから
やってみなければ分からない世界です。

勇気を持って
やってみなけりゃ分からない世界に
ぶち当たっていける若者を量産するための工夫はなされているかというと
そんなことは無いですね。

一部の学校は先進的なトライをしているようだけど
決して多くはないです。

でもまぁ、そりゃぁそうでしょうね。

やってみなけりゃ分からないことをやっている連中なんて
どうやって評価したらいいのさ?

そういうことをやってみよう!
と言うのも勇気が必要だったりするのかも

そういうことじゃないかな?
だとしたら、既存の学校の枠では
どうにもならないでしょう。

でも、大事なのは
その時の評価じゃなくて

将来どうなるか?
ということですよね。

なので、やってる最中は
それが役に立つのかとか
競争力があるのかとか
そんなことは分からない。

やっている最中は
可能性は感じるかもしれないけど
確証が持てない
定量的には評価できない
そういうことになるでしょう。

確証とか保証が欲しい人には耐えられないかもしれない。

でもね、そもそも
形式的な知識を持っていれば
成功するとか
幸せに慣れるなんて
一体誰が保証してくれるんだい?
と思っちゃうんですよ。

まぁ、でも
そっちの方が説得力ありますからねぇ。
一見、もっともらしいですものね。

まぁ、そういう教育システムという大枠は
偉い人達に任せておくとして

我々は我々でできることがあるわけだから
そのフィールドでベストを尽くさせてもらいましょう。

ものづくりで未来をつくる!

なんかどこかの企業のキャッチフレーズみたいだ(笑)