争ってばかりじゃダメか?

そりゃまぁ、戦争はダメですけど
今回はちょっと違うお話しです。
いや、ひょっとしたらあまり違わないかも。

私なんかの世代は例えば
「レースで勝つ!」
なんてことをゴールにセットすれば
無条件で燃える動機になったものですが
どうもこれからは違うのではないかな
という気がしています。

今考えてみたら
そういう単純な動機って
結構底が浅いというか
「で、その後どうすんの?」
と言いたくなるような感じですよね。

でも、これからのご時世は
「その後」「その先」が大事なのではないかと
そんな気がしているのです。

「カネが欲しい!」
「で、その後どうすんの?」
みたいな感じ。

これが競争社会の終わりってヤツでしょうか。

かつてはゴールとしてセットできたものが
今では単なる手段と化している。

いや、そうじゃないな。
実は「かつてのゴール」はやはり手段で
それによって手に入る感情が欲しかったのでしょうね。

良く考えてみたら
私なんかの世代が欲していた感情って
小さな自己満足に過ぎなかったのかもしれません。

個と個の相対関係での優位性で得られる優越感とか
そんなものが欲しいものだったのかもしれません。
だから個人単位での争いが動機になったのかも。

戦後の復興とか、それに続くバブル経済なんかが背景にあったら
そうなるのかもしれません。

今はその先に行こうとしているのでしょうか。

自分だけの満足では小さすぎて
もう動機にならないとか?

だとしたら今まで続いてきた争いの世代は
終わろうとしているのかもしれませんね。

では、その先はどうしたら良いのでしょう。

それを模索していくのがこれからの時代で
新しい価値観が生まれるのかもしれません。

これは引き続き考えていくことにしましょう。

見えるものと見えないもの

技術が発達してきて
物理的なものとか
定型的なものとか
見えるものとか
数値化されたものとか
そういったものの価値が高まってきました。

そういった状態では
見えないものは
なおざりにされがち。

ですよね?

多くの学校では
何を覚えたか
何ができるようになったか
のような「見えるもの」「測れるもの」が重視されます。

社会に出れば
目に見える数値
お金を重視します。

そりゃ、お金はあった方が良いのでしょうけど
いっぱいあれば、すなわちハッピーというわけではありません。

別に見えるものや測れるものを否定したいわけではなくて
そういったものを手に入れるのだって
実は見えないものが根底にあるんだよね
というお話をしたかったのです。

だって、そういったものを手に入れるために頑張るのだって
心の問題でしょう?

でも、心の問題は
低く見られがちじゃないですか?

欲しいものが手に入ったり
やりたかったことができるようになれば
心が豊かになって自信が付く?

それ、逆ですよね。

心の問題は
超絶に重要なはずなのに
多くが重視していないですよね。

これ、残念なことですが
チャンスでもあるかもしれません。

で、どうすんの?
というのが今の課題です。


依存の話

人は一人じゃ生きられないので
人間社会は相互依存なわけでで
お互いに価値のやりとりをしながら
何とかうまいことやっていたりするわけです。
ギブ・アンド・テイクってやつですね。

ギブせずにテイクばかりしようとする
「効率の良い生き方」というか
「都合の良いやり方」をしようとすると
大抵はうまくいかなかったりします。

残念ながら、そういうことって
若いうちは気付かなかったりするものですが

子供は親に完全に依存する状態からスタートするので
ある程度は仕方ないのですが

大学生ともなると
そういう状態から徐々に脱していって
いわゆる独り立ちをするために学ぶわけで
そういう状態って難しいですよね。
本人にとっても
周囲にとっても。

既存の状態から変化するって難しいものです。
自身の考え方や、やり方を構築する時期なので
その「難しい時期の過ごし方」が重要です。

そこに親なり教員なり
時として、メディアやネットや企業の情報などが入ってきて
本人をコントロールしようとします。

それは自分が思ったようにしたいから。

「心配だから」
なんてのは良く聞く話ですが
それは自分が心配したくないだけの話です。

学生本人にとっては
自分で考えて試して
何をすると何が起きるのかを知って
その経験を使って自身を構築して
未来をつくっていく必要があるわけで

それが「外部の指示で動く」
なんてことになってしまうと
結局は、自分で考えられない、決められない
ということになります。

テストの問題を解くばかりが
「考える」じゃないのですよ。
もっと大事なことがある。

依存の難しいところは
依存されていると気持ちよかったり
(頼りにされているという満足感)
依存していると楽だったり
(勇気が必要な判断や行動は不要)
双方ともメリットがあることです。

ただ、夢工房みたいにチャレンジする環境だと
下手な依存は厄介です。

もちろん一人じゃできないことをやっているのだから
相互依存は必須なのですが…

相手が自分の想像の範囲外のことをやろうとした時に
果たして許容できるか?

相手の想像の範囲外のことをやることができるのか?

これは本人のパフォーマンスはもちろん
学生と教員の関係にもよるし
学生と親の関係にもよるでしょう。
つまり環境にもよるということ。

でもやはり、本人が
「早く一丁前になりたい!」
と思ってくれないとね。

なかなか難しい問題ですが
何か魅力的なロールモデルでもあるといいのかな?

ま、これも引き続き検討しながら
トライ・アンド・エラーで模索していきましょう。