教育の新しい形を模索しないとね

大層なタイトルですが、中身はシンプルです。
ニュージーランド視察に行って、少しずつ整理できてきた気がします。

教育はなぜ必要か?

それは
生きる術を手に入れるため

それに尽きるでしょう。

そこにはもちろん
知識やらスキルやら、もちろんウェルビーイングなども含まれてくるわけですが。

知識や経験を
自己の十分な動機無しに、他者から突っ込まれる
それも教育でしょう。

しかし、もっとも身に付くのは
内的な動機によって、自ら掴みに行く
当然ですが、これです。

そして、最も難しいのが
そのためにはどうしたら良いか?

「内的な動機によって、自ら掴みに行け!」
と言ってしまったら、その時点でそれは外的動機で、本末転倒です。

言い方が悪いかもしれませんが、我々日本人にとって学校は、知識を突っ込まれる所です。
「やらされる」と言ったら良いでしょうか。

先生が、決まったテーマの知識を伝達し、それを受け取って理解する

という特定のスタイルだけが存在します。

それが合っている人もいるでしょうし、それを望む人もいるでしょう。
なので、完全に否定するつもりはありません。

ただ、この単一の手段しかないために、力を発揮できなかったりする人は多いと思っています。

最近、不登校が多いと聞くでしょう?
恐らくこれも根源の一つとなっていそうな気がします。

自ら掴みに行く、チャレンジする「場」があっても良いと思います。
そして、知識を実践まで繋げる「場」。

人は、必要性を感じたときに一番よく学ぶのですから。
それに、目の前で形になっていく学びは面白い。

社会人なら皆分かっています。
業務上、必要性を感じて自ら学ぶ時って、凄く身に付く
ということを。

だったら学校に、ずっと必要性を感じていられるような環境があったら良いと思うのです。
もちろん学校なので、サポートは必要でしょう。
その役目が教員。

そこに、日本ならではのエッセンスを加えていき、オリジナルの形を作っていく。
そんな工夫が必要なのではないでしょうか。

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