人の価値の本質は何だろう?
どれだけ人の役に立つか
それによって
どれだけ相手を、周囲を喜ばせるか
これに尽きると思う。
もちろん、安心とかの感情もありますが
そういったものも、この際「喜び」に含んでしまいましょう。
その方が単純化しやすくて話が早いから。
その価値の大きさは
反応する感情(喜び)の大きさ
反応する人の数
持続する時間
などで決まるでしょう。
一般的には
当たり前の事に対して
価値は感じられないし
誰の役にも立っていないのに
価値がある
とは思われない。
そして、価値は
それを受け取った人が感じる感情なので
発する側は決められない。
自分で決めるものではないということです。
ものを作る我々の手段としては
希少性とか独自性、優位性
品質とか性能とかの完成度
信頼性や耐久性やコスト
そういったものの創造と提供
ということになるでしょう。
なので、それを実現できるようになることが
夢工房で活動する学生達のミッション
ということになるのでしょうね。
その手段を
自分が好きな事で
自分が得意な事で
とすれば、大きな力を発揮できる可能性が高い
乱暴な言い方をするなら
学校で学んでいる若者は
本質的には無価値。
というのはさすがに言い過ぎで
発揮する価値が小さい。
彼らは「これからの人」なので
持っているのは
未来において価値を発揮する「可能性」
この可能性こそが、彼らの価値である
と言っても良いと思う。
人は一人では生きていけない
社会で生きていくためには
価値を発揮・提供する必要がある
そのためのアイデアや手段を獲得する
もしくは、獲得する準備をするのが学校です。
人と同じことができる
言われた事ができる
そして、それが凄くできる
それが学校での評価における「優秀」ということ。
そういうのも大事でしょう。
そして多くの学校では
独自性とか差別化なんてのは評価されない。
というか、できない。
というよりむしろ、そういうことは
やりたくない。
だって、面倒くさいから。
数値化しにくいし、主観的なものだし。
そりゃそうだ。
多くの人間を同時にハンドリングするのだから
そう思うのは当然でしょう。
でもね、そういう組織で成長したら
その当人だって
面倒な事をやりたくない
ってなって当然ではないですか?
でも、皆が同じように
それだけで良いのか?
それだけが良いのか?
一般的に成長は「階段」に例えられます。
あらかじめ決められた階段を昇っているだけで良いのか?
皆が同じように昇っているだけで良いのか?
価値観は同じでなければいけないのか?
差別化は許されないのか?
そしてそもそも
人を喜ばせるための手段を学んでいるのに
自分のための事しか考えていなかったりしたら
それは本末転倒というか
そもそも無理な話ではないか?
社会で生きていく力が無いということになるのではないか?
ということで、心の時代がやってくるのです。