仕事の本質 2

何度も記事にしているネタですが
大事なことだから思うたびに記事にします。
毎回、ちょっとした気付きを加えて
ブラッシュアップしているつもりです。

さて
相手のことを考えられない人っていますよね。
私も人のことは言えないのかもしれませんが(笑)
でも言います。
そういう人、大抵は良い仕事はできません。

だって、仕事は相手のためにやるのだから。

「良い仕事」とは価値のある仕事ですが
「何を」「いつまでに」「どのように」やるか
など、いわゆる5W1Hで考えれば分かりやすいでしょうね。
5W1Hに入っていない「何のために」が最重要だったりしますが。

多くの人は、仕事は自分のためにやるものだと思っている。
たぶん8割くらいはそう思っているのではないかな。
「自分が食うために(仕方なく)やる」って。
「自分が儲けるためにやる」って。
私もそう思っていた頃がありました。

でも、良く考えてみて下さい。

他人が自分のためにやってくれた仕事は嬉しいでしょう?

対価は、それに対するお返しです。

それが理解できれば
良い仕事をするにはどうすべきかは明かでしょう。

自分のために自分一人でやっていきたいなら
石器時代に逆戻りです。

いや、石器時代だって相手(仲間)のために仕事をしていたはず。
狩りをしたり石斧を作ったり
それらは誰でもができることではなかったでしょうから
得意な人が皆のためにやっていたはずです。

なぜ仲間のためにやるかというと
最初は単に、仕事の効率を上げることによって
集団の生存の確率を向上させるためだったり
そんな理由でしょうけど。

こんな例があります。
日本の場合は鏃(やじり)に黒曜石を使うケースが多かったようですが
この黒曜石は日本ならどこでも手に入るわけではありません。
ほんの一部の地域です。
海を渡った離島だったりもします。
でも、それが日本中から出土しています。
翡翠の勾玉なんかも同様ですね。

これらは、かなりの労力を掛けて
相手が必要とするものを入手して運ぶわけで
まさに相手のためですね。
だからこそ
そこで価値のある取り引きが成立して
双方の暮らしが向上していたのでしょう。

仕事の本質に迫る言葉としては
近江商人の「三方良し」などがありますね。
稲盛和夫さんの説いていた「利他の精神」も同様です。

民度がどうとか言われることがありますが
それはまさに相手のことを考えた行動が取れるか
道徳観を持っているかどうか
ということでもあるでしょう。

民度が低いところでは
仕事や経済は持続的に回らなくなって
いずれは崩れていくでしょう。

そういう意味では
学力が高ければ良いのだという
今の教育の在り方は非常に心配ではあります。

まぁ、そのやり方で長年やってきて
現状と今後の方向性を考えると
十中八九ダメな気がしますけど。

何が相手のためになるのだ?
というのがそもそも難しい問題だったりするのですが
そこに技術とかスキルとかを結びつけて
価値を生み出していく
それこそがアイデアの本質なのかもしれません。

この先どうしたら良いか?
答えが見えていでも
今の進行方向から外れるのは勇気が要ります。

それが正解かどうかが分からないから。

正解かどうか分からないことをやると怒られる社会で
チャレンジしろといっても、そりゃ難しいでしょうね。

せめて夢工房では
自分以外のために勇気を持ってチャレンジできる
そんな学生を育てたいものです。

そこで生まれた価値は
巡り巡って自分に返ってくるのですから
最終的には皆がハッピーになれるはず。

感情の正体

不安を感じるのは
脳内の分泌物が原因だそうです。
快楽を感じるのも同様ですよね。

それぞれ異なるある特定の分泌物が出たときの反応が
不安だったり快楽だったりということなのだそうです。

分泌物に対する反応は生物学的というのでしょうか
物理的なものと言って良いのでしょうか
そういうのは良く分かりませんが
分泌物の名称も含めてどうでも良いのです。
専門じゃないから(笑)

さて、その分泌物による反応に対して
どう思うかは各人自由に決められるのではないか?
というのが今回のお話しのスタート地点です。

「分泌物が…」とか「化学物質が…」
とかいう話になると
「じゃ、しょうがないよね」
みたいなことになりそうですが
そうでもなくて
実は結構個人差がありますよね。

例えば、「辛い」という味は
実は味覚ではなく「痛み」だそうですが
辛い食べ物を嫌う人がいたり
好きな人がいたりします。
こういうのは直接的な反応だからちょっと違う?
でも、それを苦痛と感じるかそうでないかは
似たような反応なのではないかな。

あることが起きたとき
恐れる人もいれば喜ぶ人もいるわけで
恐怖や不安を煽る
ホラー映画が大好きな人もいるわけです。

ピンチでワクワクする感覚なんてのは
似たようなものなのかもしれません。

ピンチを単に恐れたり
それをチャンスと思えたり
そんなのも人それぞれですから。

あれ?
不安を感じるのは不安を感じる分泌物が分泌された後なわけで
それは不安を感じなければ分泌されないわけでですよね。

ということは
「不安」を感じる可能性のある事象を認識する時点で
受け止め方が違うことによって分泌さるかされないかが決まる
ということになりますね。

なので、分泌物に対する反応という話では無いようですね。

不安を感じる可能性のある事象に対する
受け止め方が問題になるのであれば
その事象に対する理解というか、考え方次第ということで
それは自分で決められるということになりますね。

考え方を変えればいいということです。

まぁ、「そんなの決められない・変えられない」と思ったらそれまでですが。

ほら、これでまた自分自身のコントロール掌握へ
一歩近づいた気がしませんか?

教育も変わらねばならんでしょう

大学入学共通テストなんてのを毎年やってますね。
私は毎年、試験監督として関わっています。

規模も内容も大変なイベントですよ。
まぁ、効率を求めるとああいう形になるのでしょうね。

でも、あれでいいのかな?
と思ったりもします。

あの試験でうまくいくと
人生うまくいくのか?
と。

あの試験でうまくいく人が
多くを幸せにするのか?
と。

昔は良かったのかもしれませんけど。

ちょっと前の話ですが
世界規模で超ビッグなビジネスをしている
ある有名企業が
今後の求人では大卒・大学院卒ではなく
高卒・高専卒に力を入れていく
と言い始めました。

これはあまり外に出ていない話で
もちろんニュースなどにはなっていませんが。

うん、分かる。

もういい加減限界なんですね。

学力という形式的な知識を得ることに特化した若者が
開発業務に適応できないことが分かったのでしょう。

だったら
そういうスタイルに染まる前の
真っさらで素直でパッションに溢れた若者が良いということでしょう。
その方が可能性がある
と。

それを社内で育成していくということでしょうね。
体力のある会社だからできることではありますが。

これがうまくいき始めると
流れが大きく変わりますよ。

学校は大きく変わる必要に迫られるはず。

ひょっとしたら
既存の学校の枠にとらわれない組織が生まれるかもしれません。

そもそも
何事も変化が無くそのままで
永久に情況が保たれるなんてことはないので
いつか必ず変化の時がやってくるのです。

私のような大したことがない人間が
なぜ偉そうにこんなことを言えるかというと
常識だからです(笑)。

多くが今のままで永遠に継続できる
継続すると思い込んでいたりします。
あらゆることに対してではなかったりしますが
ある特定のことについてはそう願っている場合が多い。

教育なんてのはまさにそういうものですよね。
世の中は、その時々によって
大事なものが変化したりすることがあるわけですが
その大事な何かのためにやっているのですから
その「何か」(目的)が変われば
やり方(手段)も変えざるを得ません。

何のためかは良く分からないけど
手段を積み上げれば
何か目的ができるだろう
みたいな今のやり方はボチボチ限界でしょう。

何のためか良く分からないことをやっていても
楽しくないので成果は上げられないし

そんなことでも我慢してやれば
将来の選択肢が増えるよ
なんて理由は成立しないのではないか
と思うのですが
どうなんでしょうね。

色即是空 空即是色