日本人が頑張れた動機

日本は国土面積が小さく、資源を持たない(弱)小国だ

我々は、何となくそんな風に思いがちではないでしょうか。
これ、最近に始まったことではありません。

でも実はそうではない。
西欧の人などは、そうではないと知っているそうです。

今やGDPが3位とか4位とか、フラフラしてはいますが
かなり昔から世界のトップランカーの一員です。

が、我々はそう思ってきた。
その危機感に対する反骨精神が
頑張る動機の一つとなってきたのは事実でしょう。

今や反骨精神なんてのは
ほとんど死語扱いですが…
ナントカ精神なんて言葉は
軒並み死語ですけどね。

反骨精神は
困難が無くなり
恵まれた環境になれば必要無いし

心の原動力となる反面
管理する側からすると
厄介な特性だったりすることもある。

そこには、衝突とか軋轢とかが発生しがちだけど
従順になってしまえば面倒が無くなる。

個人的には、新しい動機が必要だけど
危機感だけが動機では、ちょっと不健全な気がするので
やはり夢というか、共通のポジティブなビジョンが必要だと思っています。
じゃないと、やってられないですから。

と、ここまで書いてきて
近代の日本にポジティブなビジョンとかキャッチフレーズがあったのかな?
と思ったので調べてみました。
代表的なところでは以下の通りです。

  • 所得倍増計画(1960年代)
  • 日本列島改造論(1970年代)
  • 構造改革(2000年代)
  • アベノミクス(2010年代)

うーむ、何か違うぞ。
これらは「政策」と呼ぶべきなのかな。

少なくともゴールではない。
手段です。
手段は何かのためにあるべきです。
一体何のためだったのだ!?

続く

日本の教育の未来 4

仮に教育の現状を色々と変えられるとして
色々言ってきたこれらを、大学生の年齢である
18歳から22歳くらいの年齢層でやろうとしても
なかなか難しいかもなぁ
と思うのです。
不可能ってことではないですよ。

というのも
高校までの環境で
基本的な姿勢というか
考え方というか
思い方というか
心の使い方というか

何かそういうものが形作られていて
18歳くらいから変えるってのは
なかなか大変なのですよ。

繰り返しますが
不可能ってことではありません。
だから夢工房でやってます。

大枠や本質からものごとを考えるとか
ゴールから逆算するとか
手段と目的の違いを理解するとか
メンタルやマインドによる行動と結果の違いを理解するとか
リスクと価値の意味を理解するとか
もう言い出したらキリがありませんが

そういったことの基本的な部分は
義務教育の終了時点から構築すれば
かなり面白いことになると思うのです。

16歳くらいの多感な時期だったら
いくらでも変われますから。
本当は幼少の頃から
もっと自由にできると良いのでしょうけどね。

何で義務教育が終わったはずの高校で
義務的なことばかりやらせる内容なのか…
そういうシステムだからってことなのでしょうけど
それはなぜなのか、何のためなのかは
ちょっと理解できません。

…あ、受験のためですね!?
その先のためでは無さそうです。

まぁ、それを言うなら
大学も似たようなものなのかもしれませんが

あらかじめ決められたことをやらせる割りには
未来における責任は誰も取らないわけで
というか、そんな責任は誰も取れませんけどね。

という風に
思うところは色々あるわけで
せめて夢工房にいる学生達には
そういったことを経験を通して理解して
自力でゴリゴリ行けるようになって欲しいなぁ
と願ってます。

日本の教育の未来 3

どうも今は「やらせる」の限界に達しようとしている気がします。
もちろん「やらせる」にも良いところはあるのですが
全員に対してこんな風にやっていくのは無理があるのではないかと思うのです。

そもそも、今の学校教育のスタイルは
各専門ごとに、何でも知っている先生が
担当ごとの知のエキスパートとして知識を伝授する
というスタイルになっていますが

インターネットが発達したこのご時世
「知っている」に関して言えば
ネット検索した方がよほど効率が良い。

形式知の量では、先生はネットに到底叶わない。

自分が本当に知りたいと思うことに関しては
学校よりネットの膨大なリソースの方が優れています。

もっとも、情報の精度などを判断できるとか
能動的に情報を取りに行けるのであれば
という前提がついてしまいますが。

結局、知識の伝授のみを目的とした学校の役割は
ある意味すでに終わっちゃってるのでは?
と思います。

自ら知識を得ようとしない者に対して
進級とか卒業を楯に無理矢理突っ込む
という機能が学校にある点に
存在意義があるような無いような…

「そんなこと言ったって
未経験の学生に大したことができるわけないだろう」

どうでしょうね。
それは正解でもあり不正解でもあると思ってます。

実は、ここが凄く重要な点だと思うのですが
サポートする側が
「彼らにはできるはずだ」
と信じられるかどうかが
結果を大きく左右するのではないでしょうか。

「どうせできない」
と思えば、それに準じた対応になります。

「どうせできないのだから
すべきことを指示しよう」
とか
諦めるとか。

そもそも、相手から信じられていないのに
成果を出そうなんて思えないでしょう。
そういうのって、言うとか言わないとか以前の問題です。

で、今や教員が知識の伝達をする必要があるのか?
全く無いとは言わないけれど

「まぁやってみな」
と、やりたいことをやらせてみて
その結果(数字ではなく)を評価するとか

考え方とか、暗黙知とか
そういったことを伝えるとか

そんなことで、彼ら自身が思いとか考え方を形にして
実社会に対して価値を発信できるようになる手助けをする

とまぁ、その辺が重要なのだろうな
と思っています。