行動できない理由 勇気の根源と結果

「分からない」
とか
「できない」
と言った場合
考え込んじゃったりしますか?

そういった場合
「分からないからできない」
と理由付けされたりします。

でも
考えているだけでは何も起きませんから
分からない状態は分からないままです。

悩んで行動できないなら
悩み続けるしかなくなります。

さぁこれ、どうするんだ?
というのが今回のお話し。

「分からないから行動できない」
とは言うものの
アイデアはゼロではないはず。

間違えているかもしれない
とか
あまり効果的ではないかもしれない
というアイデアはあったりするでしょう。

でも、完璧じゃないから、それはやりたくない?

悩み続けて時間を使うと…
つまり、行動しないと
どんな良いことが起きるでしょうか?

大抵は何も無いどころか
どんどん良くない状況に変わっていきます。

この状態のまずいところは
悩んでいるときって
何もしていないから何も起きていないのですが
自分は大層考えているので
何かをやっている気になっていることです。

負荷が高い割りには
何も起きない。

対して
行動すると必ず何かしら見えるものがあります。

仮にそれがイマイチなアイデアであっても
イマイチな理由が分かったりします。

それによって前に進むことができます。

でも、イマイチなアイデアで失敗したくないから
考えちゃうんでしょうね。
分かります。

でも、今までそのやり方でうまくいったでしょうか?
恐らくうまくはいかなかったでしょう。

だったら、そのやり方を変えない限りは
結果は変わりません。

さて、なぜ行動できないかというと
勇気が出ないから
というのが大抵の場合の理由です。

この場合、「面倒だから」というのは論外。

勇気を発動する対象は
何かに対する恐怖です。

これに打ち勝つ必要があるわけです。
そうしないと行動に繋がらない。

多くの場合、その恐怖は
何かを失うことに対する恐怖に根付いています。

それにとらわれているから行動できない。

恐怖の対象となりそうなものは何でしょう?

分かりやすいところでは
地位とか財産とか名誉とか?
まぁ、それに類するものですかね。

肉体的なものだったり
精神的なものだったり
するでしょうけど。

まぁ結局は
トレードオフなのですよ。

悩む相手となる成果が欲しいのか
それとも
今持っている何かを失うのを避けたいのか

どちらかしか取れない
と思って決断してみれば良いのですよ。

どうせ若いうちなんて
「失う」とは言っても大したものではないはずだし
そういったものは
成長のための投資ですから。

やらないと分からないことを得るための授業料
だと思ってやってみましょう。

それができる自分になるだけでも
変化できたということです。
すなわち成長です。

そもそも、勇気が必要な行動なんてのは
他人が真似しにくいことですから
それだけで価値となりえます。

それで得られることは
想像以上に大きいですよ。

気付くのは
ずっと先になるかもしれませんけどね

ある日、圧倒的な価値となっている可能性大です。

ま、やらなきゃ今のままですけどね。
どちらが良いですか?

お勉強のお話し

学校では色々お勉強するわけですが…

義務教育の時の内容って
国語や算数、理科などにしても
すぐ役に立ちますよね。

本が読めるようになったり
八百屋さんでお買い物ができるようになったり
自然現象が理解できて、少々利用できるようになったり

いずれも即効性のある内容だったりするわけです。
まぁ、義務教育ですから
そういうものでしょう。

対して
大学の勉強はどうでしょう?

難しい理論とか公式とか
覚えられないと試験で点数が取れなくて留年するとか
そういった問題はあるものの

実生活ではほとんど役に立ちません。

ヘタすると、卒業するまで必要無い内容だったり
一生使わない内容だったりもします。

さらに、一体何の役に立つのかすら分からなかったりもします。

教員がこんなこと言ったら怒られるかもしれませんが
そういうものができるようになるモチベーションの源泉が無いのですよね。

あるとすれば
留年したくない
とかのネガティブ方向の動機です。

これ、どうなんだ?と思いませんか?

やはり、好きな分野を学ぶために勉強するのですから
知ったことをすぐ実践できれば楽しくなるし
楽しいことなら当然学習効果は高いのです。
実践を伴うことであれば、忘れることもありません。

凄く当然のことなのですが実際はそうはならず
我が国の教育はこれまで通り
逆方向に行こうとしている気がします。

これでいいのかなぁ
と思う反面

だからこそ夢工房は
為すべき事を為さねばならぬ
頑張らんとな
と思うのです。

我が東京電機大学は
「実学尊重」
ですので、まだマシなのでしょうけど
改善の余地はあるでしょうね。

フラフラしなさい

限界領域でフラフラするのが理想ってことです。
何のことかよく分からないでしょう。

有限な時間の中で
最大限の成果を出すためには
一体どうしたら良いのか?
とか
パフォーマンスを伸ばすには
一体どうしたら良いのか?
というお話しです。

最初にお断りしておきますが
「分かっている」と「できる」は別です。

なので、このブログで偉そうなことを書いていますが
何事においても完璧にできるわけではありません。
でも、ある程度の実体験があるから
自信を持って書いています。

というか、常識的な内容ですが。

ちなみに
本質的なセオリーは
意外なほど異なる分野においても共通です。

理想は
限界ギリギリのパフォーマンスを発揮することです。

そして、それを繰り返していけば
パフォーマンス自体が向上していきます。

しかし、一番の問題点は
限界は目に見えない
ということです。

果たして自分はどこまでいけるのか
それはもう、色んな意味でですが
そもそもそれが分からない。

なので、何をどこまでやったらいいのか分からない。

「分からない」
という感覚は、恐怖というか不安に結びつくので
その領域には近づきたくなかったりします。

そもそも勇気が要りますね。

なので、多くは限界よりもかなり低いところで
足を止めます。

もちろん、限界から遠い領域では
いくら頑張ってもパフォーマンスは向上しません。

それはスポーツのトレーニングと同様です。

ちなみに
トレーニングの主な目的というか効用は二つあります。

一つは限界を押し上げること。

もう一つは
何度も繰り返すことで
考えずともできるようになること。

いずれも限界点を引き上げるために必要なことです。

さて
で、限界を引き上げるためには
限界点を知らなければなりません。

そのためには
一度限界を超えてみる必要があります。
それしかありません。

で、そこから加減していって
「あぁ、この辺が限界なんだな」
と分かったら調整して

限界領域あたりをフラフラしながら継続する
これです。

レーシングマシンをセッティングする際の方法も
似たようなアプローチです。

ちなみに、夢工房に良く来てくれる
元世界GPライダーの上田昇さんから
レースの時の限界点の探り方の一例を聞いたことがあります。

世界GPをラウンドしていると
初めて走るサーキットもあるわけで

勝負の決め手となりがちな
ストレートから第1コーナーの進入など
どこまでブレーキを我慢して突っ込めるかを
真っ先に知る必要があります。

そんな時は決勝前の練習走行時に
ブレーキングの開始ポイントを思い切り奥にとって
あえてオーバーランしてしまうそうです。

で、「あぁ、ここまでは行けないんだな」
と理解して、そこから逆算で最適化していくとのこと。

…言うのは簡単ですが
こりゃ、勇気要りますね。

でもほら、セオリーは一緒なのですよ。

上田さんが世界GPを走っていたときのヘルメットを頂きました
1992年シーズンの時のものですね ウィキペディアより

とはいえ、このご時世
限界点まで近づくようなことは
「ブラック」とか「ハラスメント」とか
そういう分類をされがちです。

ただ、自分で好き好んでやる分には
この限りでは無い。

なので、この先
自発的に動く者と
外発的動機で動く者の差が
もの凄く大きくなるはずです。

だからこそ
好きなことを全力でできる環境が重要になってくるのです。