そうだ、逆に行こう!

最近は、価値観がやたら均質化していないか
というのが気になるところ。
どうなのでしょう?

ずっと昔から
先生も親も
あーしろ、こーしろ
言う存在で

学生は
文句言いながらやらされてきました。

基本的な構造は
今も昔も変わらない気がしますが

学生達は文句を言わなくなりましたね。

で、先生やら、各種情報やらで得たワードに
多くが飛びつくようになっています。

確実性がありそうなものに乗っかって
楽したいというか、安心したいというか
そんな感じ。

もちろん昔からそういうのはありましたが
なんかこう
合っているとか間違っているとか
ゼロかイチか
みたいな傾向が強くなっている気がします。

そして凄くセンシティブ。

実はこれ
学生に限ったことでは無いな
とも思っていて

多くの人が守りに入っているなぁ
と感じています。
気のせいなら良いのですが。

それでもって
個性的な価値観を持った者が
生きにくい世の中になっている気もします。
これは、単なる趣味とか嗜好とかではなく
本質的な考え方の部分の話ですが。

と、心配しても何も変わりません。
そして我々は評論家でもありません。

夢工房はどうするかというと

そう、逆を行くのです。

それで万事解決…するかどうかは
やってみないと分かりませんけどね。

少なくとも
満足いかない現状に
何かしらの変化を及ぼせますし
やれば何か分かるだろ
ってとこです。

心配と信頼

人を心配するのって
どんなときですか?

色んなケースがあるでしょう
なので、一口には言えないかもしれません。

良くあるところでは
親が子を
先生が学生を
とかですね。

そういったケースでは

自分が望んでいる状態に相手がなってくれそうもない
とかでしょうか。

「相手のためを思って」
と口にしたりしますが…

それが本当に相手のためなのかどうかは
けっこう判断が難しかったりします。

なぜって
心配による行為が…面倒を見たりすることですが
それが自分の欲によるものだったりするからです。
自分の価値観を相手に押しつけようとしていたり。

あと、本質的な「心配」という感情では
そのままでは相手はダメだと思っているが
相手との関係上
放置するわけにはいかない
そういう状態では
相手を信用していない
ということもあるでしょう。
そもそも、相手を「ダメ」だと思っている前提があります。

大抵の場合は、意識的にダメだとは思っていなかったりしますが
そういうのもけっこう伝わってしまうものです。

「ダメ」だと思われている者が
何とかなろうとするかどうか

これはけっこう微妙なところで
人にもよるとは思います。

人によっては
ダメなんだから、やってもしょうがない
となるかもしれないし

そういう状態に我慢できないので
何とかしてやる!
となるかもしれない。

ネガティブ側の見方としては
こんなところでしょうか。

色々あるかもしれないけど
経験しながら学んでいくだろうから
コイツは結局大丈夫!

と思っていたら
本人の判断に任せて良いと思います。

でも、勇気要りますけどね。

色んなケースがあるでしょうけど
心配する・される
という関係では

経験がある者と無い者
という関係でしょうから

時として任せる
時として導く

その辺のサジ加減が大事で難しいところ。

何にせよ
手取り足取り教えてしまう
これは最悪。

言われたことをやるだけになるし
考えなくなるから。

いやー、教育は難しい。
というか
人間関係は難しいです。

正解は無いし、終わりも無い。

でも、だからこそ
面白かったりするのです。

仕事柄、そんなことも
しょっちゅう考えていたりします。

ピースは合体するか

一見関係の無いような
色々な経験を手に入れて

そんなことを続けていくと…

いつかそれらのピースが合体して
形になる

そのような話を聞いたことがありませんか?

事実です。

どんな経験のピースを持っているか
どういう気持ちで何をしているか

そんなことによって
ピースが合体するか否か
そして、それがいつなのかが決まるとは思います。

でも結局は神のみぞ知る
というところでしょうけど。

そういう意味でも
無駄な経験は無いということです。

遭遇したチャンスを素早く掴んで
れらに対して、いちいちそベストを尽くす
そういう姿勢は大事で

それを継続していくと
ピースが合体する小さな機会がやってきたりもするわけで
そういうのって面白いわけですよ。

そういうのが連鎖して続いていく
そんなやり方ができると良いですね。

続けていけば
沢山のピースが合体して
大きな何かができあがる時が来るかもしれません。

細石の巌となりて
(さざれいしのいわおとなりて)

ってところでしょうか。