「正解」と「良いもの」はだいぶ違う

学生は正解を求めるのがお仕事です。
そればかりずっとやってきたのだから仕方ない。

でもこれ、以外とやっかいなのですよ。

どういうことかというと、正解って大抵一つです。
そりゃそうです。
一つの問題に対して一つの答えを出す。

そして、その正解を早く出したくなる。
一見良さそうですね。
時間は大事ですし。

でもね、このアプローチでいくと、良いものを作るのが難しくなるのです。

説明しましょう。

例えば、クルマに使用するある部品を考えて設計するとしましょうか。
学校の思考方法に慣れているとこうなります。

まず問題にフォーカスする。
部品の働きとか、要求性能とかですかね。

そこですでに狭い範囲に視野が狭まっていて、限られた範囲のみで成立性とか構造とかを考え始めます。

ここで早期に色んなものを絞っています。
早く一つの答えを出したいから。
そして部品の構造やら材料やらを決める。

一見それで良さそうです。
何が悪いのでしょう?

最初から絞っていることです。

「良いもの」を作りたいなら、良い必要があります。
でも、最初から狭い領域で考えたものは良いものではありません。
比較対象に対して良いわけではないから。

本来であれば、最初に環境とか条件とかを確認したり考えたりしたときに、その状況下ではどのような選択肢を取り得るのかを「広げて考える」必要があります。

なので上流段階で考えつく限りの選択肢を挙げてみる。
まるで方向性が違うアイデアなどが複数出るのが理想です。
そしてそれらを比較しながら相対的に良いものを選定する。

そう、良いものにするなら、相対的に優劣を見る必要があるので、複数の選択肢が必要なのです。

でも、学校のお勉強では、問題を出されたらそれを解いていくわけで、問題を出されたらそれを広げるなんてアプローチは採りません。

これ、半ば反射的にやっちゃうので、理屈で分かっていてもなかなかできないのですよ。
トレーニングが必要です。

意識しなくてもできるようになるために経験を重ねる。
それがトレーニングです。

夢工房の学生達も、毎回これで苦労しています。
でも、実戦ベースで経験を積んで習慣化しちゃえばどうってことはないのですけどね。