底を打ったら上がるだけ

今日は当チームのスポンサーであるホンダの青山本社へ活動報告に行ってきました。

もちろん成果が出せなかった訳なので、大した報告はできなくて申し訳ない限りなのですが、皆さんから色々とアドバイスを頂き、学生達にとっては大変貴重な機会となりました。

実は今回の遠征では、図らずも私が以前から気になっていたことが一つ明らかになったのです。
それは
成績が低下するなど、劣化した組織が立ち直ることができるのか?
それはどれほど容易なのか?どれほど困難なのか?
そんなことです。

まぁ、大変困難だったわけですが。
もちろんこれは、私にも大いに責任があることも承知しています。
それも含めて困難さを実感しました。

上昇するにしても、下降するにしても、「慣性力」みたいのは強力に効いてきます。
変化の難しさと、その価値を実感しました。

不謹慎かもしれませんが、それが分かったのは大収穫です。
そして幸いなのは、そんな状態にありながらチームのモチベーションは逆に上がっているということです。

一度底を打ってしまえば、もうやるしかないわけです。どんなチャレンジをしても全てプラスにカウントできます。

実を言うと…この時を待っていました。

ボクサーのリーチの話

ずっと以前にどこかで聞いて、実生活に役に立ったこんな話しを、ふと思い出して学生に話しました。

ボクシングで相手がパンチを繰り出してくるけど、威力のある範囲ってのがあって、その位置にいるのが一番しんどくて恐ろしい。

その恐ろしい状況から逃れる方法は2つだけ。

リーチの範囲外、つまり腕の長さの範囲外に逃げてしまえば、相手のパンチは届かなくなる。

もう一つは、さらに踏み込んで、相手の懐に入ってしまうこと。
このエリアではパンチの威力は無い。

仕事をしていると、やらかしてしまったり、難しかったり恐ろしかったり、困難な状況に遭遇します。
それが価値ある仕事ならなおさらでしょう。

そんな時、腰が引けて動けなくなったり、逃げてしまったり、そんなことが普通かもしれませんが、やらなきゃいけないことはやる必要があるわけで、逃げても何も解決しません。

だったら一歩踏み込め、と。

そういう状況、見る人から見たらバカみたいなのかもしれませんが、どうせ普通のことをやっていたところで何も起きないのですよ。

困難な状況でどうするか?
そこで試されるわけですね。

遠征で見えたこと できないのはなぜ?

遠征に行く前に、この状態では戦えないというのはすでに分かっていました。
その予兆を感じられるのは、年の初めなのです。

例年、そのシーズンの開発をスタートするのは1月です。
まずは企画から始まって、設計、製作、テスト…と進めていくのですが、だいたい企画の段階でどのようなシーズンになるかは見えています。

企画の内容、決定されるまでの期間、そんなことをしている状態の熱意などなど。

今年はマシンが最低限形になった状態で遠征に行きました。
開発内容としては、実にお粗末なものです。

なぜそうなるかというと、やっている本人の人間性がそのままマシンの形となって現れているに過ぎないわけで、さらに言うならアドバイザーである私の状態も関係しているはずです。

そんなマシンを大金をかけてオーストラリアまで送って、ダメなのを承知で大会に参加したのが今回です。
何度か「そんなマシンを送っても意味ないだろう」とは言いましたが、最終的にはチームの意思ということで発送して大会参加となりました。

でも、大会での学生の様子を見られたのは大きな収穫でした。
もちろん、これからどうしていくかは彼ら次第なのですが、私は現状から脱するヒントが得られましたから。
ただ、「こうすればいい」という明確な答えが見えたわけではないので、試行錯誤は続くでしょう。延々と。

さて、ではなぜこのような状態になっているのか?
簡単に言ってしまうと…

  • 主体性が無い
  • 勇気が無い

と、だいたいこれらに集約される気がします。

で、「これらを手に入れろ!」と言ったところで無理なのは分かっています。
今までの環境で、そんなものは必要無かったか、無い方が都合が良かったからです。
彼らが意識的に、自発的にそうなることを選択したわけではありません。

そもそもコロナ禍の自粛環境下で、主体性と勇気を持ってゴリゴリやるヤツなんてのは厄介者だったはずで、大人しく受け身になるなんてのは処世術として必須だったはずです。

今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
今や強固な習慣として身に付いてしまったこの状態を、いかにひっくり返すか。
というか、彼らがそう望まないことには何も始まらないので、そういう環境をいかに構築していくか。
大問題ではありますが、やり甲斐はあるかもしれません。

もちろん、偉そうなことを言っている自分だって、似たような傾向の問題を抱えているはずだと思っています。
まぁ、皆で修行する必要があるってことです。