最初から理想像を探す必要は無い…かも

やりたいことを探す
自分の理想を探す

そんな話を聞くことがあります。
気持ちは分かる。

理想を追求すること自体は否定はしませんが
足を止めて、そんなことを考えていても仕方ないのですよ
というお話しです。

入り口になる、いわゆる「とっかかり」は見付かるでしょう。
恐らく結構簡単に。

でも、その状態で
理想像は探しても見付からないかもしれない。
周囲の容易に見える所には無かったりするから。

それは高い山の頂上にあったりする。
だったら、山を登らないと拝めない。

それは地中に埋まっていたりする。
だったら、掘らないと拝めない。

そんな感じ。
つまり、やってみないと分からない。

やってみて、それ以上ないところに到達したら分かる
ってことではないですよ。

山に登って周囲を見渡したら
もっと高い山が見えるわけだし
掘ってみたら
まだまだ掘れることが分かるわけだし

まずはやってみる
そこで見える景色がある
ってことです。

チャンスがあったら掴んでみましょう。
それができるかできないか?
それが自分に合っているか?
そんなことを考えても仕方ありません。

どうせ最初はできもしないし
合ってもいません。
だって、やったことがないのだから。

間違えないように
失敗しないように

立ち止まって探して、考えていたら
山に昇る時間も、掘る時間も無くなりますから。

上りながら、掘りながら、走りながら考えたら良いですよ。

ガッツは別に古いものではない

「何かにチャレンジして
できなかったときや
失敗したとき
残念な気持ちになるのだけど

よく考えてみると
心の片隅に
やらずに済んでホッとする気持ちがあって
今まで、それに慣れていた」

そんな話を学生から聞きました。

うん。分かる分かる。
背徳的な安堵感とでも呼ぶべきでしょうか。

それを意識していたり、していなかったり
許していたり、許せなかったり

色々でしょうけど
ヤツとどう向き合って
どう付き合っていくかで
結果は大きく変わるんだよなぁ

なんて思いながら彼の話を聞いていました。

ヤツの存在を無視したり
それに慣れたりするのは

本来
やりたいこと
やるべきこと
があったのに

できない
やらない
ということになるのを
自分で決めてしまっているので
自分への裏切りになります。

自分を裏切ることに慣れるとどうなるでしょう。

色んなことに対して
できる気になれない
ということになるでしょうから
あまり面白いことにはならないでしょうね。

というわけで

望み通りにならなかったときに
心の片隅に現れる、ヤツを放置しないってのは
思いのほか大事なことなのです。

ヤツをどのように扱ったか
それによる結果は
年を追うごとに大きくなっていくはず。

結局、大事なのはガッツってことになるのでしょうね。
最近めっきり耳にしなくなった言葉ではありますが
別に不要になったわけではありません。

基本と言うならここからだ

知識があればやりたいことができるとか
望む会社に入れるとか
そんなの嘘っぱちだ
という話です。

いや、それは言い過ぎか。

今回言いたいのは
知識やら学力やら言う前に
できなきゃならんことがあるでしょう
ということです。

それは例えば…

ちゃんと挨拶する
とか
声が、表情が明るい
とか
元気がある
とか

小学生がちゃんとやっていることです。

基本が…みたいなことを言いたくは無いけど
いや、まぁ、基本か。

そういうのバカにしちゃいけませんよ。

なぜかというと
人は理屈では動かなくて
感情で動くから。

いくら言っていることが正しい
間違ったことは言っていない
としても

暗くて元気が無くて
景気が悪い雰囲気で接してきたら
そんなのは受け入れられないし、従いたくない。

たとえ理屈が正しくても
嫌なものはイヤなのです。

ルールとか
答えとか
そういう形式的なことのみを重視して
人の気持ちを軽視したら
うまくいくはずありません。

明るく元気に人と接すれば
大抵は結果が違ってきます。
当たり前だけど。

嘘だと思うなら試してみたら良いです。
絶対に良い結果が得られるから。