転んでもタダでは起きん!

最近は再び感染が拡大して
もうすぐ始まる大学の後期授業は
再びオンラインに戻ることになってしまいました。

一般学生はもちろん
夢工房の学生達の活動も
さらに厳しいことになるでしょう。

現状の夢工房では
人口密集地や感染者が多い地域に住む者
飲食店でアルバイトをしている者
公共交通機関を使わざるを得ない者
などはオンラインで
感染者が少ない大学周辺に住む者が
入室人数を制限した上で
夢工房に来て製作作業などをやっています。

やりたいことができなかったり
作業負荷のバランスが悪かったり
色々困難はありますが
この状況が彼らにとって
一方的な損失かというとそんなことはなくて
この厳しい状況でいかにやるべき事をやるか
そんな難しい課題に直面して
色々な工夫をして
さらに成長するのだろうと思っています。

やりたいことが十分にできないのは
大変残念なことなのですが
こんなムチャクチャな状況って
人生を通じて、そうそうあるものではありません。

なので、何も困難がない中で過ごすより遙かに
危機対応などの能力や
強靱なマインドが身に付くと信じています。

この経験は、きっと将来役に立つはずです。

ただ、こういう異常時においては
通常できたことを色々と中止せざるを得ない
そんなことになっていますが
中止されたものが今後どうなるのか
その辺が気になるところではあります。

「コロナ禍だから中止」
それは十分理解できますが
恐らく多くのものが
終息後に以前の通りには戻りません。

前職では、色々と新しいことにトライさせてもらいました。
必然的に今までやってきたことを、やめたり変えたり
といったことも多かったのですが
そんな時にボスに

「やめるのは簡単だけど、失った文化は復活しないぞ」

と言われたのを思い出します。

もちろん夢工房でも
やめたり変えたり
が沢山発生したのですが
どのようにやめるか
どのように変えるか
または
何を継続して
何を変えないか
今回の場合は命が掛かってますので
その辺の判断は難しいところです。

「転んでもタダでは起きないぞ!」

というネタを仕込みながら転ぶ

そんな気持ちが大事なのだと思います。

まだまだ弱音は吐きませんよ。
無理はできませんけどね。

正解とか不正解とか 2

仕事が教育なもんで
教育について考えちゃうのは当然なのですが
こんなこと考えても1円にもならないのが現実。
でも考えちゃうのは、この仕事が好きだからなのかな。

学校が今のようなスタイルで教育するようになって
150年くらいでしょうか?

もちろん、その利点もあるけど
欠点もあるわけで
これがベストだ!
なんて答えはいまだに無いわけですが

最近の傾向として懸念しているのは

正解・不正解

みたいに、二元論的な考え方が蔓延していることです。

蔓延というより、そればっかり。

これ、学校に限ったことではないでしょうけどね。
学校がそうなっているってことは
社会もそうなっているわけで
その逆もしかりでしょう。

確かに、学校で机の上での勉強をしている限り
正解とか不正解とか
そんな風にバッサリやっちゃった方が
色々都合が良いでしょうね。

これが正しくて
これが間違ってるんだ
とやった方が面倒が無くて評価しやすいし
学生にとっても
正解を覚えれば良いのだから楽ですよ。
それ以上考える必要は無いですから。

ただ、これをやると
「正しいのかどうか良く分からない」
そんなことについて考えなくなります。

もちろん良く分からないことについては
興味を持つことは無くなる傾向になるでしょうね。

だって、そんなの考えても
何一つ良いこと起きませんから。

つまり
未知なものに対する興味を失うってことかな。

あれ?
それって、学びの根源にある
大事なものを失うってことじゃないのか?

あら、これは大変!

とはいうものの
そんなの授業でどうやってやるんだ?
ということになるでしょう。

そういうわけで
夢工房では学生が興味を持つものを
一所懸命やるわけです。

で、もちろん
うまくいかないことは山ほど出てきますが
そんなのを見ながら
「これが問題なのか?」
「こうすると良くなるのでは?」
というネタを発見して
学生達と色々試しているわけです。

技術的なことに日々向き合いながら
焦点を合わせているのは
主に考え方やメンタル面です。
それによって「もの」が作られるのですから。

これ、言うほど簡単ではありません。
人間はロボットではないですからね。
言ったらできる訳ではないし
言われたことをやるだけでは
そもそも価値がありません。
皆が同じになってしまっても
価値が無いし面白くありません。

もちろん、簡単ではないだけに
面白さとか、やり甲斐があったりするわけです。

チャレンジできる環境が重要です

若者に
「チャレンジしろ」
と言ったところで
なかなかそうもいかんのよ。

というのは
本人も含めて何とかしたいところでしょうけど
まぁ難しいですね。

原因の一つは
失敗は悪いことだ
のような価値観がガッチリ根付いている
というのがあって
そんなリスクを取りたくない
ということでしょう。

もう一つはルールとの付き合い方にあるのかな
なんて思っています。

ここにも書きましたが
何とかするのは言うほど簡単ではないかもしれません。

物事は大抵がそうですが
そもそもの最初は
ルールなんて無かったか
ユルユルだったはずです。

そんな中で目標を達成するために
思い付く限り色々やるわけですが
そこに徐々に規制が入ってきて
そのうちルールが複雑化してきます。

で、ルールありき
みたいにになってしまう。

産業界はもちろん
スポーツだってそうでしょう?
訳わかんないもの多いですよね。

そうなると
「まずやってみよう!」
のようなことは難しくなってきて
何かをやるには
まずルールを理解しなければならない
となって
複雑化したルールとのお付き合いが始まるわけですが
やりたいことをやっているのか
ルールにやらされてるのか
訳分からないことになったり
面倒だからルールなんてそもそも見ない
みたいなことになったり。

とか、色々あって
「言われたようにやれば良い」
のようになっちゃうのではないかな。

他にも色々あるのだろうけど
今日はこんなことを考えていました。
後期の授業も近づいていますので
そのネタを考えていますと
この辺を考える必要があるのです。

失敗は不安だし
ルールを守れないのも不安に繋がるでしょう。

成長していけば
いずれはゴッツい不安と向き合う時が来るでしょうけど
ビギナーのうちは
まずは面白い領域に入っていくことが重要なわけで
不安感は邪魔になります。

学生がレーシングカーを作って運用するなんてのは
色んな意味でリスクだらけです。

考えて、作って、壊して
そういう学びですから。
だからこそ大きく成長するのです。

そんなチャレンジは彼らにとっては冒険なわけで
不安はあって当然です。
なので、冒険ができるようにするためのセーフベースが必要なのですね。

そのためには、不安の要因になるもの
失敗などを受け入れることができる環境・風土が必要なのですね。

幸いなことに、本学は校風として良い風土を持っていると思います。
あとは、指導者の度量の大きさが鍵になるのでしょうね。

いやー、参っちゃうな、こりゃ。

というのも
教え過ぎや放置は、そもそも学びにならないし
モノがモノだけに危険も伴います。
そのへんのさじ加減というか
バランス感覚は難しいところです。

ま、四の五の言ってないで頑張ろう!
やりながら自分も学んでいくのです。