うまくいくいかないはマインドの問題

学生のチームの面倒を見ていると
組織がうまくいくためにはどうしたらいいのか?
どうしたらうまくいかなくなるのか?
といったことを
しょっちゅう考えています。

うまくいく・いかない
この二つは対極にあるので
理屈は同一線上にあって
片方が分かれば、もう片方も分かる
という関係です。

そもそも、何で組織があるかというと
一人じゃできないデッカイ事をやるためです。

なので
組織にいわゆる優秀な人間がいれば
良い成果が出せるかというと
決してそんなことは無いのです。

人が一人でできることは限られているから。

凄く知っている者が
凄くできる者がいるとしても
その知識やスキルをどう使うかが問題です。

往々にして、どう使うかは組織の長が考えて指示すべき
なんてことになっていますが
学生のチームでは
リーダーだって発展途上です。

メンバーとしては
リーダーに指示されたことをやるのは最低限必要なことですが
言われたことをやる人間の集合体になってしまっては
先はしれています。

言われたことをやる

一見、これをキッチリやれば良さそうなものですが
とんでもない。

これ、多くの場合は
どういう意味かというと

自分のことだけ考えて
最低限のことをやる

ってことですよね。

自分のことだけ考えられても困っちゃいますが
加えて、最低限だとなお困ります。

言われたことができたなら
最低限じゃなくて最高じゃないか!
とお思いなら
それは間違っています。

要求レベルに達したら
それは最低限、要求レベルを満たした
と言うのです。
マイナスではないけどゼロです。
価値はプラス側にあります。

加えて言うなら
ベストを尽くした結果、失敗して
リカバリーして最低レベルを満たした
というならまだ救われるかもしれません。
その経験は次に活きるから。

でも、最初から最低限レベルを狙ったら
経験が不十分な者であれば
間違いなくマイナス側に着地します。

これは能力の問題ではなく
マインドの問題です。

誤解を恐れずに言うなら
自分のことばかり考えて生きているからです。

そういうマインドでは
何度やっても同じ結果になるし
知識やスキルを身に付けたところで
それらの使い方が変わらなければ結果はさほど変わりません。

チームがそういうマインドで動いていたら…
それはもう残念なことです。
やる前から結果は見えています。

ずいぶんきつい表現になったかもしれませんが
たぶんこれは本人には責任はありません。
環境の問題です。

常々思うのは
今の世の中って
そんなのばかりじゃないのか
ということです。

最低限、国民としての義務を果たしている
とか
誰にも迷惑掛けてない
とか

なんかこう
最低限のことやってるんだからいいじゃないか
みたいな感じです。

ともすれば
自分のことばかり考えて
資格やらスキルアップやら言いますが

全然良くないです。

知識があれば
スキルがあれば
いいじゃないか!

全然良くないです。

その方向で来て
今のワクワクしない世の中になっているのでしょう?

その方向のまま
もっと強化したら良くなる?
ホントなんですか、それ。

なので夢工房では
学生の好きなことを全力でやる傍ら
人としてどうあるべきか
ということにも力を入れているのです。
むしろそっちが重要です。

そうすれば、自ずと知識だってスキルだって欲しくなりますよ。

もっと言いたいことはあるのですが
それは次の機会に。

何のために?を考えよう

若いころはそれなりに野心があったりして
そのために一所懸命なるのは良いと思います。
それによってパフォーマンスは向上するし
いろいろ経験できますからね。
この場合の「野心」とは
自我に基づくものです。
自分が得するためですね。

でも、それなりに経験や年齢を重ねると
自分のことばかり考えていても
あまりうまくいかないことに気付いたりします。

自分の欲ばかり満たしていても
あまり満たされなかったり
小さいことに終始しちゃったり。

何かやるのは良いですが
やはりどれだけ周囲の役に立つか
それが重要なのでしょうね。

得ばかりじゃなくて
徳について考えましょうよ
ってことなんですけどね。

いささか話が説教じみていますが
これは年始に
貢献
という志を立てた自分自身への
説教だったりします。

結局、自分のためのことばかりやっていても
それはまさに自己満足に終始してしまうわけで
結果として小さな価値になってしまったり
諦めるのも簡単なんですよね。

それに、自身の小さい価値観にしがみついているから
悩みも生じるわけで
小さい執着を捨てていくのも今後のテーマだったりします。

この辺はこれから継続的に試したり考えたりして
整理したりしていくことにしましょう。

どうせすぐに答えなんか得られなくて
まだまだ先は長いでしょうけど
人生は有限なので
「後で」とか「そのうち」
というわけにもいきません。

ま、ボチボチやっていきましょう。

続・技術の発展とのトレードオフ

技術が発展すると
何かしらのトレードオフが起きるということで
前回はエネルギーの消費という観点に着目しました。

まぁ、良いことばかりじゃないよね
ということです。

今回は人間の能力に着目してみましょう。

そもそも
どうして技術を発展させるかというと

楽したいからです

ですよね?

身近なところで言うと
カーナビを使って運転していると
地理やルートを考えたり
覚えたりする必要は無くなります。
便利でいいね!

でも、労力を払わなくて良くなった反面
今まで必要だった能力は必要なくなるわけですね。

今まで使っていた能力があるなら
多少それが衰えたところで
あまり問題は無いのかもしれません。
それがどういう能力なのか分かっているから。

でも、そもそも地図を見たり
その地図の中の空間における
自分の位置や経路を認識したり
推測したりする能力を
獲得する機会が無かったらどうでしょう。

これ、いわゆる空間認識能力
ってヤツです。

これは、クルマに乗るときだけではなく
他のことに応用が利くのです。

例えば
目標を達するために何かに取り組んでいたりするとき
今の自分が置かれた状況と
ゴールまでにやるべきこと
そういったものを
あたかも地図上に自分がいるように認識して処理する
とか。

安全で快適で便利で
やるべき事は常に外部から指示される
という環境で生活をしていたら
そんな能力は必要ないでしょうけど

一歩、そういう環境から出ると
途端に重要になったりします。

「出なければいいじゃん!」
というわけにはいきません。

そもそも便利な環境は
自分以外の誰かが
考えて、作って、提供してくれたものです。

例えば
学生として生活していると
大抵は消費者としての経験しか無いわけで
当然、提供される側ですが

学生生活が終わって
仕事をするとなると
それらを提供する側に回るわけです。

立ち位置が一気に変わるわけですが
これはなかなかキツイ状況でしょうね。

技術が発展すればするほど
そのギャップは拡大していくのではないかな
と思っています。

今回はカーナビを例に挙げましたが
こういうのは、そこら中に見られると思います。

クルマをはじめとする乗り物の性能向上
天気予報の精度向上
インターネットをはじめとする情報関連の発達
あらゆる製品の安全性向上
などなど

みーんな便利になって良かったね!
なのですが
同時に何かを手放しているのだ
ということも分かっていると良いのではないかな
なんて思っています。

近所の公園から
エキサイティングな遊具が無くなったのを見て
「これで安全で安心だ」
と思う人もいれば
「そんな環境で成長して将来大丈夫だろうか」
と思う人もいます。

そもそも最近は子供は公園で遊びませんけどね(笑)
似たような事例はそこら中にあるわけで
世の中「絶対」なんてことはないので
色々変わっていくのです。

そんな中で
自分はどうすべきかを考えて
試していくのも面白いでしょうね。