そうだ、逆に行こう!

最近は、価値観がやたら均質化していないか
というのが気になるところ。
どうなのでしょう?

ずっと昔から
先生も親も
あーしろ、こーしろ
言う存在で

学生は
文句言いながらやらされてきました。

基本的な構造は
今も昔も変わらない気がしますが

学生達は文句を言わなくなりましたね。

で、先生やら、各種情報やらで得たワードに
多くが飛びつくようになっています。

確実性がありそうなものに乗っかって
楽したいというか、安心したいというか
そんな感じ。

もちろん昔からそういうのはありましたが
なんかこう
合っているとか間違っているとか
ゼロかイチか
みたいな傾向が強くなっている気がします。

そして凄くセンシティブ。

実はこれ
学生に限ったことでは無いな
とも思っていて

多くの人が守りに入っているなぁ
と感じています。
気のせいなら良いのですが。

それでもって
個性的な価値観を持った者が
生きにくい世の中になっている気もします。
これは、単なる趣味とか嗜好とかではなく
本質的な考え方の部分の話ですが。

と、心配しても何も変わりません。
そして我々は評論家でもありません。

夢工房はどうするかというと

そう、逆を行くのです。

それで万事解決…するかどうかは
やってみないと分かりませんけどね。

少なくとも
満足いかない現状に
何かしらの変化を及ぼせますし
やれば何か分かるだろ
ってとこです。

ピースは合体するか

一見関係の無いような
色々な経験を手に入れて

そんなことを続けていくと…

いつかそれらのピースが合体して
形になる

そのような話を聞いたことがありませんか?

事実です。

どんな経験のピースを持っているか
どういう気持ちで何をしているか

そんなことによって
ピースが合体するか否か
そして、それがいつなのかが決まるとは思います。

でも結局は神のみぞ知る
というところでしょうけど。

そういう意味でも
無駄な経験は無いということです。

遭遇したチャンスを素早く掴んで
れらに対して、いちいちそベストを尽くす
そういう姿勢は大事で

それを継続していくと
ピースが合体する小さな機会がやってきたりもするわけで
そういうのって面白いわけですよ。

そういうのが連鎖して続いていく
そんなやり方ができると良いですね。

続けていけば
沢山のピースが合体して
大きな何かができあがる時が来るかもしれません。

細石の巌となりて
(さざれいしのいわおとなりて)

ってところでしょうか。

無駄な経験など無い

失敗したくないと思う気持ち
そのために正解を探したいと思う気持ち
そういうのは理解できる。

なので、行動の結果に対して
望ましいものであるかどうかを判断して
望ましくなかったものを
無駄な経験である
と評価して
それらを避けたい
と思って、悩んで
未来に対する行動を躊躇する

そうなるのは理解できる。

失敗しないことが成功なのであれば
そうやって悩むのも意味があるような気がするけど
どうせ人生に定型的な成功なんて無いので
そういう考え方こそ無駄なのだ
と思う。

人生において無駄な経験など無いのだ。

何をやってどのような結果が出ようと
その経験を未来において活かすのだ
と自分で決めれば良い。

そう考えれば無駄な経験など無い。

そんな風に
未来に活かせる経験という名のリソースは
誰でも作ることができる。

本当に無駄なのは
躊躇して行動せずに
経験の数が増えず
時間を浪費すること。

なので
無駄にしているのは自分自身で

もし
無駄かどうかの判断指針
つまり価値観が
他人の基準に従っているとしたら
それこそが無駄。

そんなのは自分の人生ではないでしょう。

他人の価値観に従うのには理由がある
間違えたくないとか
批判されたくないとか
多分そんなところ。

それが
やりたいこととか、やるべきことよりも
優先されているからだろう。

他人の価値観でやっていくと
面白くならないどころか
恐らく苦しくなるばかり。

だって、そこには自分がいないから。