間違った「我慢」が多いのです

メンタル面で色々とアドバイスをくれる
ある先生が
「最近は何を我慢するかが間違ってるんだよ」
と言っていたのを思い出しました。

これ、言われた時にはピンとこなかったんだけど
今更ながら思い出して
その通りだなぁ
と思ってます。

これ、どういうことかというと

子供の頃って
誰しも欲しいものを我慢させられる
そんな経験があるでしょう?
大人から言われて。

そんなことばかり経験しているから
いつしか「我慢」ばかりして
欲しいものや、やりたいことがあっても
それを得るために行動しなくなってしまって
それが当たり前になってしまう。

技術が活かされるのは
クリエイティブな人間がアイデアを作っていく時なんだけど
そういう時って
達成感とか、喜びとか、充実感とか
そういったものに向かうための
ポジティブな感情を持っていないと無理なんですね。

で、「我慢する」ということは
その「ポジティブな感情」を起動するスイッチに対する
カバーみたいな役割になってしまっているんだけど
そんな状態になっていると
感情的にはネガティブな方向に行ってるんですね。
やりたいことを我慢してるのだから
当たり前ですが。

本来我慢すべきなのは
スイッチを押すのを我慢するってことじゃなくて
まずはスイッチを押してしまって
欲しいもの、やりたいことを得るために
どのような方法があるのかを考えて
そのために必要な行動を我慢してやる
できるまでやる
という「我慢」なんですね。

何とかこれを一周回してしまえば
ポジティブな感情をどうやったら得られるか
というのが分かる。

「我慢」の使い方が間違っていると
うまく行かないことがあると
「自分に向いてない」
とかなっちゃったりするんだけど
これは習慣化された間違った「我慢」が原因だぞ
というのが今回言いたかったお話し。

もちろん、これを何とかするには
本人の気付きが重要だけど
我慢しないことを受け入れる「器」も必要なわけで
チャンスなどを含めた環境ですね
その辺を何とかしていきたいものです。

やりたいことや思い付いたことを
バーン!とやっちゃうのって
結構大事なことなんです。

想像力を伸ばそう

常々、人は文明や文化の発展に伴って
色々得てきたのだけど
失ったものは何だろう?
なんてことを考えてます。

自然豊かな職場にいると
自然との対話能力は失ってるんだろうな
なんて思います。
自然に対する感性ですね。

昔の人は、こんな自然に囲まれていたら
もっと色々感じていたんだろうな
と思います。

今の人は
木の葉の露に人生のはかなさを見る
とか
夕日に切なさを感じる
みたいな感性は無くなってきているのではないでしょうか。
これ、自分だけ?

まぁ、日頃使っていない
感性とか能力は低下しても不思議ではありません。
だって、普段必要ないもんね。

とはいえ、生き物として持っている
根源的な本能レベルのことは
そうそう失わないでしょう。

では、人間特有の能力は何か?

代表的なのは言語ですかね。
あとは想像力かな。
未来を予測する能力。

動物は地震を予知する
とか言いますが
あれは想像したりしているのではなく
実際に予兆を感じているのでしょうね。

人はそういうのは
そもそも持っていないのか
それとも劣化しちゃったのか

ともかく人は
時間軸を未来に向けて引き延ばして
そこで何が起きるかを想像できます。

この能力は必要なら使って磨かれるでしょうし
必要なければ使わずに劣化するでしょう。

どんな能力も、若いうちに鍛えれば
大きく伸ばせるのは自明です。

逆に、若いうちに停滞してしまったら
その後に伸ばすのは難しいかもしれません。

ずいぶん長い前振りになりましたが
20代前半って
人の人生を決定づける重要な時期だと思うのです。

その貴重な時期に
ヒーヒー言いながらものを作るって良い経験だな
と思うのです。

想像力(創造力)と行動力があって
それを実践した経験があれば
大きく人生が変わっていくはずですから。

あとは作った「もの」が自身を評価してくれます。
その「出来」が
「今のお前はこんなもんだよ」
と。

そうしたら、あとはどうしたら良いかを考えて
またやってみる。

そのうち
「あ!そうか!」
という気付きがきたりしてね。

そうすると引き出しが増えて
想像力も伸びる。

ものづくりって凄いです。

正解とか不正解とか 2

仕事が教育なもんで
教育について考えちゃうのは当然なのですが
こんなこと考えても1円にもならないのが現実。
でも考えちゃうのは、この仕事が好きだからなのかな。

学校が今のようなスタイルで教育するようになって
150年くらいでしょうか?

もちろん、その利点もあるけど
欠点もあるわけで
これがベストだ!
なんて答えはいまだに無いわけですが

最近の傾向として懸念しているのは

正解・不正解

みたいに、二元論的な考え方が蔓延していることです。

蔓延というより、そればっかり。

これ、学校に限ったことではないでしょうけどね。
学校がそうなっているってことは
社会もそうなっているわけで
その逆もしかりでしょう。

確かに、学校で机の上での勉強をしている限り
正解とか不正解とか
そんな風にバッサリやっちゃった方が
色々都合が良いでしょうね。

これが正しくて
これが間違ってるんだ
とやった方が面倒が無くて評価しやすいし
学生にとっても
正解を覚えれば良いのだから楽ですよ。
それ以上考える必要は無いですから。

ただ、これをやると
「正しいのかどうか良く分からない」
そんなことについて考えなくなります。

もちろん良く分からないことについては
興味を持つことは無くなる傾向になるでしょうね。

だって、そんなの考えても
何一つ良いこと起きませんから。

つまり
未知なものに対する興味を失うってことかな。

あれ?
それって、学びの根源にある
大事なものを失うってことじゃないのか?

あら、これは大変!

とはいうものの
そんなの授業でどうやってやるんだ?
ということになるでしょう。

そういうわけで
夢工房では学生が興味を持つものを
一所懸命やるわけです。

で、もちろん
うまくいかないことは山ほど出てきますが
そんなのを見ながら
「これが問題なのか?」
「こうすると良くなるのでは?」
というネタを発見して
学生達と色々試しているわけです。

技術的なことに日々向き合いながら
焦点を合わせているのは
主に考え方やメンタル面です。
それによって「もの」が作られるのですから。

これ、言うほど簡単ではありません。
人間はロボットではないですからね。
言ったらできる訳ではないし
言われたことをやるだけでは
そもそも価値がありません。
皆が同じになってしまっても
価値が無いし面白くありません。

もちろん、簡単ではないだけに
面白さとか、やり甲斐があったりするわけです。