勢いのあるヤツには敵わない

先日、卒業生が夢工房に来てくれて色々話ができました。
日々楽しく仕事できているようです。
良かった良かった!!

彼曰く

「勢いがあれば何でもうまく行きますね!」

チャンス(かもしれない)と見れば
「あ、それやります!」
で、うまくいっていて
面白そうな仕事に次々に関わることができていると。

そりゃそうだ。全くもってその通り。

大抵は、チャンス(かもしれない)ものが来た時に
「できるだろうか?」「失敗しないだろうか?」
とか
「(自分が)得するだろうか?」「(自分が)損しないだろうか?」
みたいなことを考えちゃうんですよ。
で、やるかどうかを考える。

それが普通と言えば普通なんですけどね。
でも、そんな風に損得を考えている間に
チャンスは走り去ってしまいます。

それに、勢いがあるヤツって
ちょっと躓いたくらいじゃ諦めないから
最終的にはうまく行く
というか
うまく行くまで諦めなければ
うまく行くのは当然です。

そして、チャンスに即反応できるヤツって
期待できるんですよね。

なので、チャンスがそこに集中するのは当然です。

そして、そんな風に動くヤツは
経験の数がドンドン増えていくので
パフォーマンスがグイグイ伸びていきます。

そう考えると
早く成長するためのロジックって
実に単純なのだけど
そのための理解を妨げる先入観があります。

何だと思いますか?

「それには能力が必要だ」
という思い込みです。

一見もっともらしいですが…
では、能力がある人間が
そもそも初期段階において
能力を手に入れるためにどうしていたでしょう?

経験が必要ですよね。

やらないと分からないことに囲まれた世界で経験を積むには
やるしかないのですよ。

やらないと分からないことに対して

「分かったらやろう!」

なんて考えるのはナンセンスではないですか?

「うわぁ、すげぇ!」たのめに

学校で授業で教えているお勉強
それらはツールとしては有用…かもしれません。

断言できないのは
ヘタすると
卒業すると
テストが終わると
ほとんど忘れちゃうから。

その知識を何かに使ったり活かしたり
ってことになると話は別なのですけど
覚えただけの知識なんて、そんなものです。

個人のパフォーマンスを向上させることは重要でしょう。
お勉強も頑張って下さい。

さらに

視野が狭くて利己的だったりすると
どうにもならんのですね。

夢工房で学生達を見ていると
そんなことが良く分かります。

良く考えてみましょう。

学校では個人のパフォーマンスのためのことばかりやってます。
加えて、知識に関することばかりです。

すぐに忘れちゃいそうなことを
個人レベルでやるのです。

で、次は社会に出るわけですが
そこでは…

知っていればなんとかなる
なんて仕事は無いし
個人で完結しちゃう仕事も
ほとんどありません。

特に企業でものを作るような仕事の場合
チームで力を合わせて
皆のために
お客さんのために
仕事をするのです。

個人のパフォーマンスでは勝負になりません。
だから組織があるのです。

そのためには
組織で強力なパフォーマンスを発揮できるよう
下地を作っておく必要があります。
言ってみればトレーニングですが。

なぜって、その方が絶対に面白い仕事ができるから。
なぜって、社会に出てからトレーニングなんかしてたら時間がもったいないから。

皮肉なことに
視野が狭く利己的な状態では
いくらやっても面白くなりません。

当然です。

チームで力を合わせて
個人では到底為し得ないことをやって
「うわぁ、すげぇ!」
が起きるから面白いのです。
それがチーム外からなら
なおさら嬉しいでしょう。

でも
「うわぁ、すげぇ!」
を起こすためには
壁にぶつかったり乗り越えたり
必要なことが沢山あるわけで

本人達は必死にジタバタやっているわけだけど
ふと気付くと、凄い成長をしていたりするんですよね。
本人は全く気付いていないところが、これまた面白いですけど。

そんな中で得た経験は
本やネットでは決して手に入らないし
ちょっとやそっとじゃ忘れたりしません。

ピンチはチャンス それは教育も同じ

大学へは、次のステージのために
つまり、社会に出て仕事ができるようになるために行くわけですが、果たしてそうなっているのでしょうか?

まず一つ。
社会に出て仕事をするというのは
他に提供するための価値を生み出すことなのだけど
そもそも、これはどういうことなのかが分かるようになっていない。

そして二つ目。
そのためには何が必要なのか?

それが問題です。
恐らく、これといった確実な答えは無い。
正確には、いつの世でも通用する恒久的なものは無いと言ったらいいのでしょうか。

特にインターネットが一般化して、実用的なAIが出現して、経済や環境やエネルギーなど
様々な問題が深刻化してきたらなおさらです。

今は過渡期で混沌としている渦中にいるのかもしれません。
これからどのような世の中になっていくのかを明確に言うことはできないでしょうが、今までと違う状況になるということは言えるのではないでしょうか。
ものごとの価値自体が変化してきています。

学校にいる人間として考えてしまうのは
では、何を変えるべきなのか?
です。

教える内容は、時代に沿ったものにする必要がありそうです

…って、本当にそうなのか?
教える内容の問題なのか?それだけで良いのか?
新しい知識さえあれば、新しい時代にマッチした新しい価値を創り出せるのか?

「教える」
という形そのものは、そのままで良いのか?

教える(言う) – 覚える(やる)

この方法(形式)だけで良いのか?

良くないです。
恐らく、頭の中に突っ込む知識の量とか質だけの問題では無い。

ものごとの価値だけが変化するのではなく、仕事の仕方そのものも変化するのだから、知識だけの問題では無いはずです。

ひょっとしたら、学校だけの問題では無く、学生の、家庭の、社会の問題でもあるかもしれません。
なので、学校だけで何とかなる話では無いのかもしれません。

とはいえ、学校は大事でしょうね。
人づくりから始めないと社会は変わらないから。

何にせよ、このままでは行き詰まるのは必至で、チキンレースの様相を呈してきたぞ…なんて思っています。
チキンレースはちょっと違うかもしれませんね。
そのまま行っちゃうと崖から落ちちゃうのだけど、崖までの距離は分からない。その状態から道を逸れて、何があるか分からない暗闇に突入できるかい?
みたいな感じですかね。

でも夢工房は、昔からどうなるか分からない暗闇で、「あそこに光があるぞ!」って信じて全力疾走してきたようなものなので、何を今さら…って感じなのですけどね。
ただ、時代に合わせた微調整と、コロナ禍のリハビリみたいなものは必要でしょうけどね。

ま、「面白くなってきたぞ!」ってことです。