お盆に思うこと

このところ、いわゆる初盆ってやつで
春に突然「喪主」になって困惑しながらも
周囲のサポートのおかげで何とかなりながら
気付いたら、めっきり仏教的な世界に入り込んでいます。

当然ながら、そこで目にするもの、触れるものは
仏教的なアイテムが多いわけで。

位牌にはじまり
お鈴(おりん)とか
香炉とか
墓石とか
お寺での法要があれば
それに伴うアイテムたち

木、石、磁器、陶器、真鍮
などでできた品々
仕上げといえば漆ですかね。
まぁ最近はラッカー系の塗料がほとんどでしょうけどね。

ここしばらくは付き合いが希薄だった
それらのアイテムから
何を感じているかというと

やはり
何となく懐かしく馴染むというか

材質や、仕上げ、手触りや音など

それらは我々と1000年以上
ヘタすれば数千年以上も付き合ってきた素材。

一生懸命生きたら
そんな素材でできた
木の箱に入って
磁器の壺に入って
石の下に入っちゃうのだな。

死んでからも結構忙しいな。

まぁ、それまでは頑張ってみるか。

お寺での気付き

とはいえ、悟りを開いたわけではありませんよ。

今日は亡父の百か日忌という法要を済ませました。
この日を境に嘆き悲しむのはお終い
というお寺のイベントです。

お寺でお経を上げてもらって
当家の場合は、都合により四十九日に
お墓の完成が間に合わなかったので
今日、お墓にお骨を納めるいわゆる納骨となり
お墓の機能がスタートしました。

私は仏教徒であるという自覚は全く無くて
むしろ神社が大好きなのですが
お寺に行ってもあまり違和感は感じないわけで

ということは
やはりある程度仏教に馴染む素地があるってことで
我々日本人の生活環境には仏教が根付いているのだよなぁ
なんてことを改めて実感しました。

こういった全く仕事とは関係ないところから
やはり環境の影響は大きくて大事なのだなぁ
と実感した次第です。

特別なものを普通にする

環境によれば
そんなことも可能になるということです。

コロナ禍一過 その後に向けて2

さて、ここからは
個人的な未来予測の妄想です。

コロナ禍の自粛などにより
在宅勤務(授業)とか
働き方改革によって
労働時間短縮などが推進されています。

これらによって
「やる」が一挙に切りそがれた感があります。

確かに労働時間が短縮されて
生み出す価値の量とか質が変化しなければ
もしくは、向上するのなら
生産性向上
ということになって万々歳なのでしょう。

しかし!
です。

これに対応するためには
それなりのリソースが必要となります。

能力やらノウハウやら
それらがあって達成できること。

もちろん精神力も欠かせませんし
ついでに言うなら人間力が最重要。

そして
今の学生達の世代が求める労働環境は…

クリーンでクリアでホワイトな会社で
言われたことをできる範囲でやれば良い
そんな感じでしょう。

そのイメージから外れると
「自分は向いていない」
とか
「ブラックだ!」
ということになるのかな。

まぁ、彼らの育ってきた環境から考えれば
無理もないことだと思います。

で、結果としては…
大きく二極化する
と見ています。
これはもう、色んな意味で。
多分避けられないでしょう。

その土台はできあがりつつある。

正解が分からないと動けないとか
リスクは取れないとか

自分で考えるのも、行動するのも
リスクを伴うし、面倒

キツイ仕事は嫌で
他から意にそぐわない指示が来るのも嫌で
間違いは許せない

そういったものを回避するために
学歴や資格でなんとかしようとする

と、かなり極端な状態を上げてみましたが
傾向としてはそんな感じになると見ています。

そうなるとたぶん、興味深いことが起きます。

人間による非効率で確実性の低い業務指示より
効率的で確度の高いAIによる業務指示によって
仕事をする方が良い

ってことになりそうではありませんか?

だって、その方が絶対に楽ですから。

これによって「指示待ち」が強化されて…

SF映画でありがちな
コンピューターに人間が従う世界
が実現しますね。

しかも
人が自ら望んでそういう状態になる
という皮肉。

ただしこれは、皆が全て
ということではなく
マジョリティの話。

ここまでが私の妄想です。

この妄想とは真逆な価値観を持った者も現れます。
というか必要です。

そういった価値観が構築ができるのは
せいぜい20代の半ばまでかな
と思っています。
人によっては、それでは遅すぎるくらい。

残念なことに、それ以降では
考え方や、やり方を大きく変えるのは難しいでしょう。

不可能ではないかもしれませんが
若い頃に比べれば、かなり苦労すると思いますし
そもそも変えようなんて思わなくなる可能性が大きい。

大きな価値を生み出すゴールを設定したら
長時間、タフな仕事をする
という手段を選択する必要があるかもしれません。

それをやりたいと思っても
下地が無いと難しい。

好きなことに夢中になって
限界までプッシュできる

そういう資質を持つ者は
いつの世も必要とされます。

これは「思い」とか「考え方」の問題であって
知識とか知能とかの問題ではないのが
難しくも面白いところ。

その準備をしておくのが
夢工房の使命だと思っています。