やりたいと思わないのはなぜ?

何だ、この画像は。

もっとみんなアグレッシブにチャレンジしたらいいじゃないか!
と思うのです。
全員って訳ではないですけどね。
まったりしている人もいないと疲れちゃいますから。

まぁ、夢工房の連中は山あり谷ありで頑張ってるわけで、もちろん他にも頑張ってる人達はいるでしょうけど、もっともっと頑張る人の人口が増えたら面白いだろうな、と思います。

あ、ちなみに、夢工房は収容人数に限界があるので、少数精鋭を貫き通します。
少人数で、やれるとことまでやってやる!

さて、今回のネタはタイトルの通りなのですが、これはとても興味深いと思っています。

だって、小さな子供って我慢できないでしょう?
欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい
自我の固まりみたいなものです。
そして欲求に対するパワーが凄い。
もちろん「やりたい」方向です。

そこから成長していって、徐々に変化していくわけですが…

と、ここまで書いて思いました。
子供の頃に持っていた、「自我」とか「パワー」を失っているわけではないのかな?と。

失敗を恐れずにやりたい(チャレンジしたい)という方向に欲求が向いている人が少ないだけで、これは志向の問題か、と。

例えば「楽したい」という欲求が強いとしましょう。
そういう人は、強烈に「楽したい」が発動しているわけで、楽をするという選択肢を取った瞬間に成功しているわけで、ヘタにチャレンジなんてしちゃうと、トッププライオリティが崩れてしまう。
そういうことか?

小さい頃から「一生懸命勉強して、将来は楽な生活を…」とか言われながら育ってたりすると、「いやいや、楽するのがゴールなら、今この瞬間からだって楽してもいいじゃん」とかなったりして。
いや、どうなんだろう。

まぁ、そういうのって無意識でしょうから、恐らく本人に聞いても良い返答は帰ってこないでしょう。

あとは、「失敗」に対する印象というか価値観というか。
そういうのも効いてるでしょうね。

いやぁ、実に興味深いぞ。
これは、この後も引き続き考えてみましょう。
暇なときに。
…とか言っちゃうような事って、どうせやらなかったりしますが。

どうやって心を鍛えるか

チャレンジするなら失敗は避けられない。

好きなことを勢いに任せて、ちょっとやるだけなら良いのかもしれないけど、そうも行かないときもあるだろう。

いくら能力があっても、それを活かすために、躊躇したり壁にぶつかったときの突破力が必要で、それにはやはり勇気というか、心の体力みたいなものが欠かせないでしょう。

じゃぁ、心を鍛えないとね!
となる。

でも、これは難しい問題。近年は特に。

だって、世の中は心に負荷が掛からないように、いかにストレスを除去するかという方向で動いているわけで、その逆を行く?ということになる。
心に掛かる負荷は罪悪とか不健康みたいな扱いをされる。

なので「心を鍛える」なんて言うと、不条理な環境を思い浮かべるかもしれない。
恐らくそういったことで心が鍛えられる場合もあるだろうけど。

思い通りにいかなかったり、困難に遭遇したり、追い詰められたり、心が折れた状態から立ち直ったり
そういったものから逃げずに向き合う経験が心を鍛えるのは間違いないだろう。

いずれにせよ、困難をどうやって乗り越えるかという経験が必要なのだ。

そもそも困難に接近できるのか?
そして突破できるのか?
それを継続できるのか?

そんなことを考えると、やはり好きなことをやるってのは大事だって事です。
そのプロセスには無駄な経験は無いのです。

面白さは自分で作るもの

仕事においての面白さは自分で作るものであって、他からもらうものではない
そう思っています。
仕事って、自分で面白くしていくんだよ、ということです。

そう思えるか否かが、仕事の価値を始め、色んな事を決めていきます。
まぁ、自発性とか主体性の無い仕事が、良いもの、面白いものになることは無いですね。

そんなのは当たり前といえば当たり前なのですが、そういう姿勢は大事だな、と改めて思ったわけです。

ただ、なんでもかんでも自分で作るぞ!と、自給自足みたいなことができれば良いのですが、なかなかそういうわけにはいかないし、組織で仕事をしているなら、自分が作り出す領域と、他に依存する領域を決めて、相互に得意領域で補完し合って、組織としてのトータルパフォーマンスを上げる必要があります。
なので、自分がやることやらないことを決める必要がありますね。

そういうのも組織で仕事をするときの醍醐味でもあります。
チームワークがうまく噛み合って、大きな仕事が形になったときとなんかは気持ち良いものです。

一方、よく新人にありがちなのは、単に面白そうなところへ行って、面白いものをもらうお客さんのように仕事をしてしまいがちです。
ま、有名な会社に入って、聞こえの良い仕事に就いて、言われたことをやれば良いでしょう、きっと良い報酬と面白い仕事をくれるでしょう、みたいなことですが。

この場合は仕事をするというより、させられるというか、させられたいというか、そういう感じになるのでしょうけど、そういう状態は思いのほか面白くないですよ。
本人はもちろん、誰もがです。

主体性が発揮できなければ依存するしかなくて、他からコントロールされているのが面白いはずはないのです。

いや、でも、楽だからそれで良いってことになるのか?ぜひコントロールされたい!と?

でも、仕事を投げる方は、ずーっと低レベルなコントロールをする労力を払わないとならないわけで、そりゃぁ大変だ。

手にするものに見合うだけの労力を投入しないなら、それはフリーライド(タダ乗り)です。
フリーライダーは価値の供給源に依存しているので、フリー(自由)ではないですが。

仕事を面白くしていけないのであれば、卒業後は「仕事ってのは、嫌なことを我慢するもんだ!」って、我慢大会になっちゃうわけで、そんなのは心にも体にも良くないですね。

仕事を面白くしていくトレーニングって、価値観を変えられるかどうかという問題なわけで、社会に出ちゃうと忙しくてそんなものを構築する余裕は無かったりするのではないかな。
やはり学生のうちがチャンスだと思うわけです。