教育ママの話

ずっと気になっていて記事にしたかったのですが
誤解を招きそうで躊躇していたことを今回のネタにしてみます。
これを書かないと次に進めない気がしたので。

今、下巻を読んでいるナシム・ニコラス・タレブの著作、「反脆弱性」(原題:Antifragile: Things That Gain from Disorder)にあった以下の内容がとても気になっています。
まさに日本における教育の危機の根底にあるのはこれではないかと思うのです。
タレブが書いているのだから、恐らく欧米先進国における共通の問題なのでしょう。

部分的に引用します。

かつて、生物学者で知識人のE・O・ウィルソンは、子どもの発達をいちばん阻害するのは何かと訊かれて、教育ママだと答えた。
彼はプロクルステスのベッドという概念こそ使わなかったが、見事に同じことを言い表わしていた。彼は、教育ママが子どもの本能的な生命愛を阻害していると訴える。
だが、問題はもっと根深い。教育ママは子どもの生活から試行錯誤や反脆さを取り除き、子どもを生きた世界から遠ざけ、(自分の思い描く)現実の地図どおりに動くオタクへと変えてしまう。優等生だけどどんくさいヤツ、ひと言でいえば、動きの遅いコンピューターだ。彼らは、あいまいさに対処する訓練も受けていない。

プロクルステスのベッド Wikipediaより

これ、簡単に言うと、いわゆる教育ママが我が子を心配して、自らの価値観と経験をベースに、子供に具体的な行動を指示したり制限したり強要することによって残念なことになっている、ということですね。

「教育ママ」とは言っていますが、別に性別は関係ないでしょう。
パパだって先生だってやってますもの。

ただ、昔はこういった「心配」という感情ベースでの教育は主に母親がしていて
父親は「そんなの放っておけ」「好きにやらせたらいい」みたいなケースが多かったのではないかと思います。
その両方があってバランスが取れていたのではないかな。
ま、家庭によるのでしょうけど。

ともかく
このようなケアというか指導というか
それらは我が子を守り導くという
愛情に端を発するのは間違いないでしょう。

学校の場合は、似たような動機があったり
業務上の都合があったり
そんな風にやっておけば無難だろう
というのがあるのかもしれません。

少なくとも
教育ママと同じようにやれば
教育ママからクレームは来ないでしょう。

良い学校に入れて
良い会社に入れて
安定した人生を歩ませたい

ということです。

そもそも
いわゆる「良い学校」や「良い会社」に入っただけで
安定できるのか
というのは大いに疑問ですが。
特にこれからの世の中では。

安定したら、それは幸福なのか?
というのもありますが
その辺は価値観の問題ですかね。

ともかく問題は
守れば守るほど弱くなってしまう
指示すればするほど考えられなくなってしまう

失敗させたくない
遠回りさせたくない
傷付いて欲しくない

という気持ちは理解できますが
それらは全て
成長するためには絶対に必要な経験です。

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