どうしたいのか?

自分のやりたいことが分からない
自分のやるべきことが分からない

何じゃそりゃ?

と思ってしまうけど、今や意外と普通に見られる光景ではないかな
という気がする。
もちろん、この場合の「やりたいこと」とか「やるべきこと」は、趣味とか内的な満足で終わることではなく、自分の枠の外側と関係することです。
仕事なんかがそうですね。

一体何でそんなことになるのか?

それは簡単で、「やるべきこと」が与えられてきたからです。
なので、「どうすべきか」を考えてしまう。
「どうしたいか」ではなく。

これ、どう思いますか?

他から与えられる「やるべきこと」
与える方は、相手のためを思って(と思っている)「やるべきこと」を指示します。
そうすれば失敗がないとか、間違えないとか。

もちろんその価値基準は、自分が持っている価値観の物差しです。

その指示に従っている限りは評価されます。
出来が良いとか、真面目とか。
そして、メリットは、「やるべきこと」を考える必要が無いということです。

でも、「自分はこうすべきなのだ」という指針というか哲学を持つことができません。
もちろん、そういう状態だとチャレンジはできません。
他人から言われたことをやるのって、当人にとってはチャレンジだったりすることもありますが、あまりチャレンジっぽくは無いですよね。

で、最近気付いたことがあります。

「自分はこうすべきなのだ」という指針を持たない人って、文句が多くないですか?
まあ、それはそうなのです。
他人が決めた「どうすべきか」が意に沿わなければ、そりゃぁ文句も言いたくなるわけでね。

その辺が
ものごとを
他人ごととしてとらえるか
自分ごととしてとらえるか
で結果が変わってくるとか、そういうことなのでしょうね。

と、そんな偉そうなことを言ってる本人も結果を出さないとね。

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