心の時代がやってくる

いやね
別に
これからはスピリチュアルな世の中に突入するぞ!
とかいう話ではないですよ。
するかもしれませんが(笑)

今までの時代は
言ってみればテクノロジーの時代だった気がします。

産業革命以降が顕著ですが
新しい技術が次々に出てきて
その技術によって色々メリットがありました。

物質的に豊かになったのはもちろん
環境とか医療とかが進歩して
新生児の死亡率が下がって
寿命が延びて
人口が爆発的に増加して
生産人口が増えて
経済が成長して

という感じで
パワフルなループが回っていたんですね。

そんな中で我が日本国は
先進国とガチンコ勝負できるだけの軍事力を手に入れて
(もちろん戦争は良いことではありませんが
それだけの力を手に入れたのは事実です)
戦争でボロ負けしたにもかかわらず
高度経済成長を遂げて
一億総中流なんていう凄い状態になりました。
もちろん、その過程には色々と外的な要因とかもあったのでしょうが
そこは今回の本質ではありませんので置いておきます。

その後もバブルがはじけたり
色々あるわけですが
なんだかんだで日本は技術の国
ってことになってますね。

なので
みんなで技術を学べばハッピーに!!

本当はそんなことなくて
まず技術がそこにあったわけではなく
最初は誰かが何かを考えるところからスタートしていたはずですよね。
なので本当の根源にあったのは
熱意とか思考だったはずです。
知能やらの前に、心の部分が大事だったはずです。

その証拠に
松下幸之助さんや稲盛和夫さんは
皆さんご存じの通り
立派な考えを持って仕事をされて成功している。

今までの日本は
テクノロジーの威力があまりに強力だったので
まず技術ありき
のように感じているのではないでしょうか。

その結果
生活水準が高いにもかかわらず
幸福度は低い
なんてことになってます。

技術レベルは高いけど
心のレベルがなおざりになっちゃったんでしょうね。

本当に欲していないのに
外部から「技術」を突っ込まれれば
(いやいややらされる状態)
それなりのものは持っている状態にはなるかもしれませんが
それを駆動するための心が不十分な状態になります。
なので
せっかくの技術は有効に活用されない。

なんてもったいない!

高度経済成長までは
これでも良かったのかもしれません。
でも
そういう時代は終わってしまいました。

これからも技術は重要で
ますます生活における重要度は増してくるかもしれません。

技術の重要性は「あたりまえ」になってくるでしょうから
足りない「心」をどうやって成長させるか
これが重要性を増してくるでしょう。

心が成長すれば現状の技術に不足(ギャップ)が生じる
そのギャップを埋めようとする欲望がパワーの根源です。

たぶん
日本ってそうやって成長してきたのではないでしょうか。

これ、みんな気付いてるんでしょうけど。
今さらですが言ってみました。

学校は変われるか

世の中がコロナ禍を機に
大きく変わろうとしています。
というか
すでに変わりつつある。

ここで大変興味があるのは
果たして学校は変われるのか
変わるとしたら
いつ、何をきっかけにして変わるのか
ということです。

もちろん自分の職場だからというのもありますが
学校って、未来を作る人たちをつくるところですから
とても重要なのです。

科目が増えたり減ったりというのはこれまでもあったし
最近では授業がオンラインになる程度の変化はしていますが
基本的なやり方や評価方法などは
ほとんど変わっていないと思います。
恐らくここ100年以上変わっていないでしょう。

基本的に学生は
その昔ながらの評価のために学校に行ってます。
主体性がなかろうが
モラルが崩壊していようが
そんなことは重要ではない。

皆に同じことを覚えさせる
どのくらい正確に覚えているか確認する
教員は、それを数値化して評価する
それが現状やっていることです。

はっきり言って
正確に覚えていることに価値があるなら
なにも人じゃなくても
安いパソコン買ってきてやらせた方が良いでしょう。
検索だってネットでいくらでもできますし。
世の中がAI頼りの方向に変化していったら
どんどんそうなっていくでしょう。

学校の授業だって
見て、聞いて、覚える
とか
単に「知る」
が目的であれば
何も学校に行く必要は無いですね。
ネットで何とかなるレベルです。
きっとこれからは
そういう情報やツールが充実していくでしょう。

黒板を見て書き写すために
わざわざ学校に行くなんてのは終わっちゃうでしょうね。

すでにYouTubeなどでも
かなり有用な情報を得られるようになってきましたし。
インターネットを通じた情報伝達は
今後ますます発達するでしょう。
それを貯めたり取り出したりするのも
デジタルな世界なら容易です。

なのでこれからは
目に見える形式知について
「何を知っているか」
だけでは不十分になっていって
やらないと分からない暗黙知(経験知)によって
「何ができるか」
がより重要視されてくる
そんな時代になるでしょう。

というか
すでにそれはが大事だということは
多くの人が分かっていると思うのですが
定量的な評価指針が無かったり
見える形で証明できていなかったりするから
現状を変えられないのではないでしょうか。
(どうなるか分からない未来に向けて
証明を求めるとしたら滑稽ですが)

それにそもそも
やらないと分からない暗黙知を身に付けさせる
(あえて「教える」とは言いません)
それ自体に抵抗があるようにも見えます。

人にどれだけの価値を提供できるか
人の心をどれだけ動かせるか
そのためにどれだけチャレンジできるか
そのためにどれだけ自身が現状から変われるか

そういうのを学校で身に付けられると良いのですが
それらは数値化して定量的に評価しにくい。
今の学校には
学力を測る物差ししか無いからです。

もちろん学力が無意味とは言いませんが
それは社会から学生に求められる価値のほんの一部に過ぎません。

経団連の新卒採用アンケートなどを見れば分かるように
今や求められるものは定量的に測れない能力が中心です。
(本当は「今や」ではなく、ずっと昔からですが)

人の生活や社会の形態はすでに大きく変わっていて
ここに来てさらに大きく変わっていくとしたら
今のままでは
社会からのニーズを裏切り続けていくことになります。

ただ
大学という巨大な組織で現状から大きく変えるのは
大きなリスクが伴う(ように感じる)でしょうね。
そもそも
どうすべきという正解が無いから。
それに大きな組織特有の「慣性力」もある。

でも
きっとどこかの勇気ある組織が先陣を切ってやるでしょう。
現状がダメなら留まる理由はありません。
たとえリスクがあっても
早くスタートを切れば
それだけ色々なものが見えるので早期に最適化ができます。

学生がどんどんチャレンジして
その中で必要な知識や技術を得ていく
その成果を見ているみんながワクワクするようなことを継続していく
そういうのが理想なんだと思います。

「バカの壁」の養老先生でしたっけ
「論文はスルメだ」って仰っていたの。
本物の「イカ」が大事なんですよね。
現場・現実・現物で勝負ですよ!

というわけで
100年を超える歴史を持つ我が東京電機大学
次の100年に向けて色々試行錯誤して
学生がより大きな価値を身に付けられるよう
いずれ変貌の時がやってくるでしょう。

なんたって
「技術は人なり」
「実学尊重」
という実に本質に迫る看板を掲げてますから。

私の手元でチャレンジしている/していた学生達が
未来に向けてのテストベッドのような役割を果たすことになって
少しでもお役に立てたら最高です。

彼らがチャレンジするかしないかは…あなた次第だ

最近の若いコには夢がない
なんて言うけど
周囲は彼らに何を望んでるの?
何度も出してるネタで恐縮ですが。

人に迷惑掛けず
聞き分けが良くて(おとなしく言うことを聞いて)
ケンカしないで(闘わない)
勉強ができて

でもって

大きな夢を持って
明るく元気で
チャレンジ精神旺盛で
地頭が良くて

…って
無理言ってんじゃねぇ!
そんなこと言ってるあんたはどうなんだ!?
って話じゃないですか。

そもそも
聞き分けが良くて闘わないチャレンジ精神旺盛なヤツって
どんな人間だよ、それ。
失敗しても諦めないで頑張り続けるヤツって
頭悪いって言われちゃうんじゃないの?

それに
その要求を満たしたとしたら
本当にハッピーになるんですか?

だいたいね
失敗を恐れてチャレンジできない人がいっぱいいる中で
若いコ達がチャレンジするわけないですよね。

いやいや
今回こんなことを言うのは
別に毒吐いて暴れたいからじゃないんですよ。

奴らに燃料を供給しましょうよ。
と言いたいのです。

今日はオンラインのミーティングで
15に人あまりの1年生を含めた学生達と一緒に
チューニングメーカーとして有名なヨシムラとか
モリワキについてディスカッションしたんです。
主にヨシムラ創業者の吉村秀雄さんとか
モリワキ創業者の森脇護さんのチャレンジとか。
YouTubeの動画を見たりして。

そういう熱いストーリーは
ちゃんと伝わりますよ。
もっとも
彼らはレーシングカーを作ろうって連中だから
というのもあるでしょうけど。

たぶん彼らは
言われたことをやり続けても
それがどんなにできるようになっても
将来面白くはならないだろうな
ってのを分かってるんじゃないかな。

チャレンジしてみたいけど
失敗した後どうするべきか
その辺がよく分からない。
そんな情報提供されないし

もちろん周囲も
「失敗しないように」
って言うし。
「そんなことしてたら~みたいになっちゃうぞ!」
とか脅すしね。

何とか面倒なヤツにならないように
恐怖でコントロールしようとする。

実はそんなことしていると
未来はもっと面倒なことになるのに。

なので彼らは
失敗しないようにチャレンジしたい
…って、それ
そもそもチャレンジじゃねぇだろ!
って話になっちゃう。

でも、周囲には参考になるロールモデルいないし
テレビ見てもネット見ても
失敗して吊し上げられる大人ばかりが目に入る
そりゃ困っちゃうだろうな。

じゃぁ、今の自分でもできることないかな~?

…って、あったら大学来ないだろ!

やはりね
年長者がやるしかないですよ。
そういう環境を作るしかない。

みんながみんな
年甲斐もないチャレンジしたら
社会が混乱しちゃうかもしれないけど(笑)
いや、そうでもないかな。

「ほーら、オレ、こんなことやっちゃうぞ~!
キミたちもやろうぜ!」
みたいな社会になったら面白いんじゃないかな。

そんなの面倒?
そりゃそうだ。
面白いものって大抵は面倒なもんですよ。

このご時世、そんなの難しい?
百も承知です。
だからこそです。

そういうお前はどうなんだって?
はい、ごもっともです!!