「うわぁ、すげぇ!」たのめに

学校で授業で教えているお勉強
それらはツールとしては有用…かもしれません。

断言できないのは
ヘタすると
卒業すると
テストが終わると
ほとんど忘れちゃうから。

その知識を何かに使ったり活かしたり
ってことになると話は別なのですけど
覚えただけの知識なんて、そんなものです。

個人のパフォーマンスを向上させることは重要でしょう。
お勉強も頑張って下さい。

さらに

視野が狭くて利己的だったりすると
どうにもならんのですね。

夢工房で学生達を見ていると
そんなことが良く分かります。

良く考えてみましょう。

学校では個人のパフォーマンスのためのことばかりやってます。
加えて、知識に関することばかりです。

すぐに忘れちゃいそうなことを
個人レベルでやるのです。

で、次は社会に出るわけですが
そこでは…

知っていればなんとかなる
なんて仕事は無いし
個人で完結しちゃう仕事も
ほとんどありません。

特に企業でものを作るような仕事の場合
チームで力を合わせて
皆のために
お客さんのために
仕事をするのです。

個人のパフォーマンスでは勝負になりません。
だから組織があるのです。

そのためには
組織で強力なパフォーマンスを発揮できるよう
下地を作っておく必要があります。
言ってみればトレーニングですが。

なぜって、その方が絶対に面白い仕事ができるから。
なぜって、社会に出てからトレーニングなんかしてたら時間がもったいないから。

皮肉なことに
視野が狭く利己的な状態では
いくらやっても面白くなりません。

当然です。

チームで力を合わせて
個人では到底為し得ないことをやって
「うわぁ、すげぇ!」
が起きるから面白いのです。
それがチーム外からなら
なおさら嬉しいでしょう。

でも
「うわぁ、すげぇ!」
を起こすためには
壁にぶつかったり乗り越えたり
必要なことが沢山あるわけで

本人達は必死にジタバタやっているわけだけど
ふと気付くと、凄い成長をしていたりするんですよね。
本人は全く気付いていないところが、これまた面白いですけど。

そんな中で得た経験は
本やネットでは決して手に入らないし
ちょっとやそっとじゃ忘れたりしません。

ピンチはチャンス それは教育も同じ

大学へは、次のステージのために
つまり、社会に出て仕事ができるようになるために行くわけですが、果たしてそうなっているのでしょうか?

まず一つ。
社会に出て仕事をするというのは
他に提供するための価値を生み出すことなのだけど
そもそも、これはどういうことなのかが分かるようになっていない。

そして二つ目。
そのためには何が必要なのか?

それが問題です。
恐らく、これといった確実な答えは無い。
正確には、いつの世でも通用する恒久的なものは無いと言ったらいいのでしょうか。

特にインターネットが一般化して、実用的なAIが出現して、経済や環境やエネルギーなど
様々な問題が深刻化してきたらなおさらです。

今は過渡期で混沌としている渦中にいるのかもしれません。
これからどのような世の中になっていくのかを明確に言うことはできないでしょうが、今までと違う状況になるということは言えるのではないでしょうか。
ものごとの価値自体が変化してきています。

学校にいる人間として考えてしまうのは
では、何を変えるべきなのか?
です。

教える内容は、時代に沿ったものにする必要がありそうです

…って、本当にそうなのか?
教える内容の問題なのか?それだけで良いのか?
新しい知識さえあれば、新しい時代にマッチした新しい価値を創り出せるのか?

「教える」
という形そのものは、そのままで良いのか?

教える(言う) – 覚える(やる)

この方法(形式)だけで良いのか?

良くないです。
恐らく、頭の中に突っ込む知識の量とか質だけの問題では無い。

ものごとの価値だけが変化するのではなく、仕事の仕方そのものも変化するのだから、知識だけの問題では無いはずです。

ひょっとしたら、学校だけの問題では無く、学生の、家庭の、社会の問題でもあるかもしれません。
なので、学校だけで何とかなる話では無いのかもしれません。

とはいえ、学校は大事でしょうね。
人づくりから始めないと社会は変わらないから。

何にせよ、このままでは行き詰まるのは必至で、チキンレースの様相を呈してきたぞ…なんて思っています。
チキンレースはちょっと違うかもしれませんね。
そのまま行っちゃうと崖から落ちちゃうのだけど、崖までの距離は分からない。その状態から道を逸れて、何があるか分からない暗闇に突入できるかい?
みたいな感じですかね。

でも夢工房は、昔からどうなるか分からない暗闇で、「あそこに光があるぞ!」って信じて全力疾走してきたようなものなので、何を今さら…って感じなのですけどね。
ただ、時代に合わせた微調整と、コロナ禍のリハビリみたいなものは必要でしょうけどね。

ま、「面白くなってきたぞ!」ってことです。

新しい技術は奇妙だったりする 5

いい加減、軍用機も飽き飽きかもしれませんが…

最後はノースロップ・グラマン製のステルス爆撃機B-2 スピリットです。
これまた輪を掛けて奇妙です。UFOです。
現在は、後継機のB-21があるのですが、そちらはデビューしたてで情報がありません。

WIKIPEDIA “B-2”

機体全体が翼で、胴体らしきものや垂直尾翼がありません。
こういうのを全翼機と言います。
英語ではFlying Wing…そりゃそうだろ、って感じですが。

この全翼機、余計なものがないために、空気抵抗が少ないとか、軽く作れるとか、ステルス製が高いとか、メリットはあるのですが、もちろんトレードオフのデメリットも持ち合わせています。

安定性が低いのです。
上昇・下降する方向の動きをピッチングと言いますが、そちらはもちろん、手裏剣みたいに回転する方向のヨーの安定性も低いです。
まぁ見たまんまですかね。
でもこれは、フライ・バイ・ワイヤで何とかしています。

設計開始が1978年で、初飛行が1989年なので、開発機関はおおよそ10年。
対して、前に紹介したF-117の開発機関は、1978年から1981年の3年間です。
機体の大きさや先行研究の有無など、条件はかなり違いますが、やはりスカンク・ワークスの仕事の速さは際立っていると思います。3年で戦闘機を仕上げるなんて。

軍用機に関するネタをいつまでも書いていても仕方ないので、最後に運用面に関しての奇妙なアイデアをご紹介して終わりにしましょう。

先に紹介したSR-71ですが、記事中で「冷間時に燃料が漏れる設計」だとご紹介しました。
でも、離陸前の駐機中には燃料を満タンにしないのだそうです。

どう運用するかというと、満タンでは無く、しかも燃料が漏れた状態で離陸して、上空で給油機によって燃料を補給して、満タンになったら加速して機体温度を上げて漏れを止めるのだそうです。

満タンじゃ無くて軽い方がすぐに離陸できますし、そもそもジェット燃料は、ヤバいところに漏れ出ない限り、そう簡単に火は付きませんし、SR-71に使用した燃料は、さらに引火しにくいそうです。

でも、そんな使い方は思い付きませんよね。

似たようなことは戦闘機にもあります。

戦闘機にはミサイルやら何やら、たくさんの武器を搭載できるのですが、その状態で満タンにすると重くて離陸できないそうです。

なんだそりゃ?って感じでしょう。

なので、武器をフル装備して重くなった戦闘機は、燃料を満タンにせずに離陸して、やはり給油機で満タンにするとのこと。

なので空中給油機の役目は、戦闘機の航続距離を伸ばすためというのは当然ながら、戦闘機をフル装備で運用するためには欠かせないそうです。

まだあります。

フル装備の戦闘機や、燃料満タンでフル積載した旅客機は重いです。
ところが降着装置の強度は、その重量に耐えられなかったりするそうです。着地の衝撃や、減速時のブレーキの力も加わりますから。

これまた、なんだそりゃ?でしょう。

では、どうするか。

空中で燃料を投棄して軽くします。
戦闘機なんかは、ミサイルが爆発しない状態で、海に向けて発射しちゃうとか聞いたことがありますが、詳しくは知りません。
ともかく、そんな風にして軽くしないと着陸できないそうです。

「じゃぁ、もっと丈夫に作ればいいじゃん!」
と思うでしょう?

そうはできません。
丈夫に作ると重くなるのです。

重くなると性能が低下します。
その低下した性能をリカバリーするために、エンジンのパワーが必要になります。
エンジンをパワフルにすると、発生した力に耐えるための丈夫な構造によって、また重くなります。
重くなった機体を支えるために、さらに丈夫にする必要があって、そうするともっと重くなります。
そうするとエンジンのパワーが…とグルグル重量が成長していってしまうのです。
運動性能や燃費は悪化して、航続距離は短くなる一方です。
これはクルマの設計でも同様です。

ものを作る時のアイデアは、意外と難しいものです。
だって、何か製品を設計する時って、その「もの」だけにフォーカスしがちで、慣習やら、先入観にとらわれがちだから。
で、ついつい手段にとらわれてしまって、ゴールを見失いがち。

今回の例で言うと
「燃料漏れちゃダメだよね」
とか
「重量に耐える設計は当然だ」
というところからスタートするのが普通でしょう?

でも、本当に欲しいゴールは、その飛行機で何をしたいのか?
何のための飛行機なのだ?
ということです。
それを達成するための手段は自由なのです。

今回ご紹介した奇妙な飛行機達やアイデアは、日頃直接利用できるようなものでは無いでしょうけど
「そんなのアリなのか!?」
と、硬直した思考をぶっ壊して、視野を広げるための刺激としては大変有用なのです。