彼らがチャレンジするかしないかは…あなた次第だ

最近の若いコには夢がない
なんて言うけど
周囲は彼らに何を望んでるの?
何度も出してるネタで恐縮ですが。

人に迷惑掛けず
聞き分けが良くて(おとなしく言うことを聞いて)
ケンカしないで(闘わない)
勉強ができて

でもって

大きな夢を持って
明るく元気で
チャレンジ精神旺盛で
地頭が良くて

…って
無理言ってんじゃねぇ!
そんなこと言ってるあんたはどうなんだ!?
って話じゃないですか。

そもそも
聞き分けが良くて闘わないチャレンジ精神旺盛なヤツって
どんな人間だよ、それ。
失敗しても諦めないで頑張り続けるヤツって
頭悪いって言われちゃうんじゃないの?

それに
その要求を満たしたとしたら
本当にハッピーになるんですか?

だいたいね
失敗を恐れてチャレンジできない人がいっぱいいる中で
若いコ達がチャレンジするわけないですよね。

いやいや
今回こんなことを言うのは
別に毒吐いて暴れたいからじゃないんですよ。

奴らに燃料を供給しましょうよ。
と言いたいのです。

今日はオンラインのミーティングで
15に人あまりの1年生を含めた学生達と一緒に
チューニングメーカーとして有名なヨシムラとか
モリワキについてディスカッションしたんです。
主にヨシムラ創業者の吉村秀雄さんとか
モリワキ創業者の森脇護さんのチャレンジとか。
YouTubeの動画を見たりして。

そういう熱いストーリーは
ちゃんと伝わりますよ。
もっとも
彼らはレーシングカーを作ろうって連中だから
というのもあるでしょうけど。

たぶん彼らは
言われたことをやり続けても
それがどんなにできるようになっても
将来面白くはならないだろうな
ってのを分かってるんじゃないかな。

チャレンジしてみたいけど
失敗した後どうするべきか
その辺がよく分からない。
そんな情報提供されないし

もちろん周囲も
「失敗しないように」
って言うし。
「そんなことしてたら~みたいになっちゃうぞ!」
とか脅すしね。

何とか面倒なヤツにならないように
恐怖でコントロールしようとする。

実はそんなことしていると
未来はもっと面倒なことになるのに。

なので彼らは
失敗しないようにチャレンジしたい
…って、それ
そもそもチャレンジじゃねぇだろ!
って話になっちゃう。

でも、周囲には参考になるロールモデルいないし
テレビ見てもネット見ても
失敗して吊し上げられる大人ばかりが目に入る
そりゃ困っちゃうだろうな。

じゃぁ、今の自分でもできることないかな~?

…って、あったら大学来ないだろ!

やはりね
年長者がやるしかないですよ。
そういう環境を作るしかない。

みんながみんな
年甲斐もないチャレンジしたら
社会が混乱しちゃうかもしれないけど(笑)
いや、そうでもないかな。

「ほーら、オレ、こんなことやっちゃうぞ~!
キミたちもやろうぜ!」
みたいな社会になったら面白いんじゃないかな。

そんなの面倒?
そりゃそうだ。
面白いものって大抵は面倒なもんですよ。

このご時世、そんなの難しい?
百も承知です。
だからこそです。

そういうお前はどうなんだって?
はい、ごもっともです!!

問題を突き抜けろ

問題の発見・解決とその能力は重要だとずいぶん前から言われてきました。

問題自体の捉え方にも色々あって
いわゆるネガティブな問題らしい問題を問題とするのが一般的ですが
これから取り組もうとする事柄自体を問題(課題)と捉える
という見方もありますね。

でも、ここでは前者の問題らしい問題を問題としましょうか。
ネガティブなヤツ
マイナスなヤツです。

誰もが何かしら問題を抱えているものだと思います。
一個も無いって人はそうそういないかもしれません。

日々、その問題に向き合って
四苦八苦してたり
どうしようかな~と悩んだり
してるのでしょうか。

問題は解決して当然とも言えますね。

でも
問題が存在する状態がマイナスだとすると
問題が解決された状態はゼロ

頑張って解決したところで
プラスではないですね。

何より問題なのは
問題に対峙したときの心のあり方です。

ネガティブな出来事を解決しなければならないという
心が萎縮してしまった状態で
最高のパフォーマンスは発揮できないでしょう。

なので
物事の明るい側を
狙えるトップエンドを見て
最高のパフォーマンスを発揮できるように頑張りましょうよ!

とか言うと

「お前、そんな偉そうなこという前に
やることがあんだろ!?」
とかいう台詞が聞こえてきそうですね。

そうそう
昔からよく言われましたよ。
で、嫌々ネガティブなものに
渋々対峙して

それを何度も繰り返すうちに
そういうロジックが癖になっちゃって
意識せずとも自然にそういう行動を取っちゃうようになりました。

それが正しいやり方だ
とか
その方が楽だ
とか
自分を騙したりしながら。

でもね
そんなロジックに従ったところで
大して良いこと起きないんですよ。

そんなのやって
夢が叶った!
とか聞いたこと無いですよ。

なので
そんなもん突き抜けてしまえ
って話ですよ。

安全・安心でいいのかい?

世に「安心・安全」というワードを
よく見るようになってしばらく経ちますね。
「当社は、安心・安全のために~」とかね。
いつ頃から言われ始めたのだろう?

安全というのは危険の無い状態で
それによって安心という気持ちが得られるのですから
本来はこの2つのワードを並べるべきではない気がしますが。
まぁ、揚げ足とりはやめましょう。

恐らくきっかけは
安心や安全に対して十分ではないと感じ始めたから
もしくは
安全であることが付加価値として前面に押し出せるようになってきたこと
そのあたりではないかと思います。

諸々の偽装問題や震災の時の原発事故などがあったり
自動車の衝突安全などの装備の付加などが前面に押し出されてきたり
環境問題なんかもあるでしょうね。

さらに深掘りしても面白いかもしれませんが
ここで言いたいのはタイトルの通りです。

もちろん生活する上で安全・安心は重要です。

もちろん業種や製品によっては
シンプルに
安心を提供する
ということに特化している場合もあるでしょう。

製品開発においては
安心を得られるレベルというのは当然のことで
その先にある付加価値をいかに高めていくか
ということろが勝負でしょう。

「安心」を辞書で引いてみると

心が安らかに落ち着いていること。
不安や心配がないこと。

とあります。

今回は何が言いたいかというと…

学校で、安全だの安心だのをゴールにしてしまうと
面白くないんだよね
ということが言いたいのです。
ワクワクしないんですよ。
やる気が出ない。

もちろん
組織として学生に安心を提供するのは重要なことです。
これを否定する気は毛頭ありません。

ここで言いたいのは
果たして安心を得ることが学生にとってのゴールとなってしまって良いのか?
ということです。

安心をゴールにして
それを得るために努力した場合
うまくいくと安心が得られるわけですよね。
ということは
うまくいかないと安心すら得られないということででしょう?

もちろん安心を求める学生がいても良いと思います。
でも
ワクワクすることをやってくれる学生もいてくれないとつまらないんです。

それに
学生自身にとっても大事だと思うんです。

仮に
「ボクはマトモなところに就職できれば満足(安心)なんです」
とかやられちゃうと
就職がゴールになってしまうわけでしょう?

安心が欲しければ
そのために必要な最低限のことをやるんでしょうけど
仮にそれがうまくいかなかったら
就職すらできないわけでしょう?

ゴールは就職じゃなくその先にあるんじゃないの?
自分が満足すればおしまい?
お客さんは満足させてあげないの?

(自分の)安心を求めてたら
(自分が)安心を得るのは結構難しいかも。

でも
何かワクワクすることにチャレンジしていたら
最低限なんかじゃ満足できないわけで
就職なんてできて当然でしょう。
その先に本当に欲しいことがあるんですから
安心を突き抜けちゃう。

そういうことなんですよ。

でもまぁ、こういうのって「振り子」みたいなもので
そのうち逆側に振れる時期が来るのでしょうけどね。

それを待ってるわけにもいかないな
とね。