ゼロヒャク思考…で良いのか

ゼロヒャク思考見たいな二元論で考えていると、メンタル疾患になりやすいのだそうです。
それはそうだろう。 

世の中の事なんて、大抵はきっちりゼロとかヒャクとかなっていないから。
なので、そのどちらかにしたいなんて希望は叶いません。

学校の教育は、「正解」か「不正解」かで評価します。「できた」か「できない」かです。。
なので当然「正解」を求めるわけで、100点は「完璧」です。

こんなことが生活の中心になれば、当然ながらその他のこともこの価値観に引っ張られるでしょう。
ものごとは「正解」か「不正解」かだ!みたいに。
もちろんそれは、無意識下で。

正解を追求するのは立派なことかもしれませんが、世の中に完璧なものなんて無いと言い切っても良いほど存在しません。

成長においても同様で、ゼロの状態から一気にヒャクにはなりません。
ちょっとずつの変化を繰り返して、徐々に成長していきます。

ゼロヒャク思考でいくと、毎日徐々に成長していても、「まだ完璧じゃない」が繰り返されます。
やってもやってもまだ完璧にはなれない。

そして、その不十分なところにフォーカスし続けていると、「できない感」が習慣として定着してしまう。
それによって「どうせ…」となってしまうこともあります。

ところが、やる気があって頑張る者の心にも影響が及んでいることがあります。

何かをやるときに、ゼロの状態からいきなりヒャクを目指すなんてのがありがちな話です。
当然、そんな方法は思い付かないので考えるわけですが、考えたって無理なものは無理なわけで、どこまでも考えて考えて…時間切れとなりがち。
それによって「やる」経験をすることができずに、知識も経験も得られない。
当然自信も身に付かないので、次のゴール設定は「最低限」を狙うようになったりします。

それを何とかするために、あまり高いところを狙わずに、基本的なことをコツコツと…?

惜しい!

ゴールは高い方が良いのです。
じゃないと、そもそもモチベーションが上がらない。

問題は、その高いゴールに達成するために、まずやることは何か?というところまでのブレークダウンができないことです。

そのために必要なのは、想像力とか経験とか、やはりチャレンジする勇気だったりします。

よく「小さな成功体験を」とか言いますが、いつまでも小さい事ばかりやりなさいということではありません。
デッカイゴールのために、小さい成功からスタートして、継続しましょうよ、ってことです。
やめなければ失敗ではありません。
続けられるようにする工夫も大事ですね。

効率を上げるなら「単能」だが、ジェネラリストも必要だ

我々日本人は色々できなければならない。
なので、効率は低い。というか効率を上げにくい。

なので先進各国の中でも生産性が低い、ということになるのでしょうね。

ただ、その反面メリットもある。
色々分かったりできたりする…こともある。ということ。

ただ、これは難しいことでもある。
色々やって、多くをそれなりのレベルにするというのは大変だから。

生産性を向上したいなら、単能にすれば良い。
何かに特化すれば効率を上げやすい。

指示された少ないことを徹底的にやれば効率を上げることができる。
能力が低い者でも単能でやれば、その分野では能力が向上して効率を上げられる。

と、少々聞こえの悪い表現をしてしまったけど、こんな言い方もできる。

何かに集中して特化すれば、当然ながらリソースを集中して成果を上げやすくなる。
その結果、スペシャリストとして成果を出せる可能性も高まる。

欧米諸国は、社会が二極化していて、その割りに生産性が高いというのもこういうことが理由でしょう。

つまり、能力が高かろうが低かろうが、単能化して何かに特化することによって、効率を向上して成果を上げられるということ。

多岐に渡る分野それぞれのスペシャリストが集まって力を合わせることができれば、全体的な生産性を向上できる。
となれば、それらをまとめ上げるジェネラリストが必要になりますね。

そしてこれは、すでに問題化しているとも聞きます。
今までは、スペシャリスト上がりの有能な人が全体の取りまとめをするようなやり方で来たのだけど、これからはそれではうまくいかない気がします。

だって、ジェネラリストを育成するような教育はされていないから。
日本の教育って、上の学校に上がって行くにしたがって、どんどん細分化して専門化していきます。
そんな環境で成長したら、細かい物しか見られない、小さな事しか考えられない、ってことになります。

よって今後は、ジェネラリストをどのように育成するかが重要になりそうです。

今うまくいっていないのは、各分野が細分化して、より狭く深くなっているとか、現場・現実・現物から離れているとか、若い頃から限定された領域で成長するからとか、色んな理由があるでしょう。

さて、どうしましょうか?

こういうのって、これといった正解は無いとは思いますが、とりあえず「知っているだけの人」ではダメです。
現場・現実・現物を知らなかったりして、相手の心を動かせないから。

やはり手を使ってモノを触りながら、実体験を積んで成長する必要があるのではないでしょうか。それがチームで経験できればベストです。

モノに関わる仕事であれば、本質はモノの中にしか無いわけで、理屈よりも実体、要素よりも全体を捉えることができる教育が必要かと思います。
チームで何かを作り上げる経験も欠かせません。

そして、成長中は暗中模索なので色々試す必要があるわけで、その時期の効率は悪い。
というか、効率の良い学びなんてのは、最低限で安全な領域しか知ることができないので、ある程度悪い方が良いはずなのですけどね。

チームを取りまとめるジェネラリストは、労力も能力も必要だし責任はあるしで、なかなかタフな仕事ですが、最もダイナミックで満足感を得られる仕事でもあります。
そういったことを学生のうちから経験できたら最高でしょうね。

彼らの情熱に影響を与えるもの

どうもうまくいかない原因は、一般的に推奨されることが悪い方向に働いている気がしてなりません。

例えば「真面目さ」なんかに代表されると思います。
この「真面目さ」をどう捉えているか。

出過ぎたことをしない
かな。で、
失敗せず、最低限にやる
というのが方針ですかね。

確かにそれなら管理側に余計な手間を掛けず、最低限の労力でボーダーをクリアするようなやり方になるかもしれません。
いわゆる効率の良いやり方かな。

そもそもそれは、ゴールとすべきものではなく「手段」なので、手段と目的がひっくり返っている。

でもそれが学校で自然と養われてしまっている気がしています。

それを学生に突きつけて、「そんなんじゃイカンじゃないか!」と言ったところで、そもそもそういった効率の良いやり方を彼らに提示したのは、我々年長者です。

「一生懸命勉強して、将来楽に暮らしていけるように」
とか
「自己の利益を最大化するように」
とか
「効率よくやれ」
とか。

「トレンドを考えて、それに乗っかるように」
なんてアドバイスもするでしょう。
そもそも好きでもないトレンドに乗るためのことなんてやったところで、うまくいくはずないと思うのです。

そんなことを繰り返していくうちに、自分の理想とか好みとか、そういった最も大事なことから離れていって、自分の理想を想像する力を手放してしまう。
そうなったら、何かに夢中で取り組むような、成長するために最も大事な資質を失ってしまいます。本来、そういう資質は誰しも子供の頃に持っていたはずなのに。

結果、「楽して得して効率よくやろう」みたいなことになっちゃうのは仕方ない気がします。
パッションが無くてチャレンジできなかったりするのは、アドバイスや周囲の情報を重視した真面目さから来ている気がするのですけど、どうでしょうか?