自動運転の現状から見る気質

自動運転タクシー、アメリカの一部ではWaymo(ウェイモ)なんかが実際に運用してますね。中国でもやってるそうです。
色々トラブルはあるようですが、そういったことから経験を重ねてブラッシュアップしていくのですね。

アメリカなんかは、法律で禁止されていなければやって良いという国です。
フロンティアスピリット(開拓者精神)ってそういうことです。
もちろん責任は伴うわけですが。

そんなふうに、禁じられていなければやって良いというのをネガティブリストによる行動と言います。

対して我が国では、自動運転とかはもちろん、新しいものがなかなか公共の場に導入されにくい印象がありませんか?

我が国は、法律で許されたものはやって良いというポジティブリストによる行動の国なのです。
なので、絶対安全じゃないとやっちゃダメ!となりやすい。

ということは、失敗の経験を活かしながらブラッシュアップしていくというやり方は受け入れにくい。

ネガティブリストもポジティブリストも、それぞれ一長一短なので、単純にどちらが良いとかいう話では無いですが。

しかし、その基本的なやり方というか、考え方というか、そういうのって社会全体に影響を及ぼしているわけで、もちろん教育の現場でも、恐らく家庭でも、基本的なスジはそうなっているわけです。

となると、うまく行く保証の無いことをやる、つまりチャレンジはしにくいわけで、こりゃ参っちゃうなぁってな話なのです。

でも、チャレンジはしないと成長はできないし、価値は生み出せないわけで、どうにかこうにかやっていかないとね。

なので、チャレンジを許容し、推奨する場が必要なのです。
「場」としてある程度外部から隔絶というか、独立というか、外部の空気感と切り離されて独自性を持つのは大事なのです。

現状に満足いっていないなら、満足いくであろう空気感に変える必要があって、我々夢工房は、そんなのを日々工夫しているわけです。

面倒で勇気が要るけど、だからこそ価値がある。
面倒で勇気が要るけど、だからこそ面白いのです。

キミはどうする?

「どんな風に生きていくか」
なんて言ったら大げさかもしれないけど

多くの経験を積みながらチャレンジしていくのは
「自分はこうする」
を作っていくため。

「自分は…」ですよ。

「普通は」ではないし、ましてや正解不正解という話でもありません。

こういうの、何て呼んだら良いのでしょうね。
個人的な哲学みたいなものかな。

何かをやるときのプロセスの骨組みみたいなものかな。

いや、単に「考え方」で良いかもしれませんね。
行動の上流にあるものですから。

で、知識やスキルは実行・実現のための道具に過ぎないので、必要なら身に付ければ良い。

そんな風に考えています。

もし「自分はこうする」が無くて、「普通は」とか「正解は」といった考え方だけだとどうなるでしょう?

誰がやっても同じになるものを追求することになります。
全く面白くありませんね。
独自性とか競争力も無くて、その価値は最低限になります。

そう、常識的なものや正解を積み上げたところで、行き着く先はつまらなくて価値の無いものになったりするのです。

そんなことは普段考えないかもしれないけど、当然のことです。
普通な当たり前のものに価値を感じたり喜んだりする人はいない。

価値ある製品の開発をする人になりたいなら、この「自分はこうする」を作り上げる必要があるってことです。

これは、与えられた知識を頭に入れて、正解を積み上げていっても手に入りません。
チャレンジして多くを経験しながら、トライアンドエラーで作り上げていくものです。

さて、キミはどうする?

考えて、決めて、やる

考えて、決めて、やる
人のやることは、基本的にはこうですよね。

でも、便利な世の中では、あまり重視されていない気もしますがどうでしょうか?

あまり考えなくて済む
決める(決断)する必要が無い
あまりヘビーに「やる」必要は無い

でも、便利で快適ってそういうことですよね。
そういう負荷が低減されるのが「楽」ってことですから。
なので「夢が叶って良かったじゃん!」ってなことなのですが、当然ながら「何かが足りない」って感じもするのです。

まぁそりゃそうですよね。
楽ちんってことは、そこに自分の能力や労力とか個性を入れ込む余地は少なくなるわけですから、「誰でもいいじゃん」ってことになるわけで、それがメリットでもあるのです。

世の中には、そのメリットを享受することを追求する人がいる反面、その逆を行く人がいます。

開発の仕事をしたいなんてのは、当然ながら「逆をいく人」であって、便利とか快適とか、価値を作って供給する側の人です。

で、気になるのは、学校での「言われて」「やる」では、社会に出てから必要な、「考えて、決めて、やる」に繋がっていかないのではないかな、ってところです。

だって、「考える」と言ったところで、教科書ベースの理論とか公式とか、すでにやり方が明確化された過去の情報に沿って「やる」わけで、それは考えると言うよりも「作業」に近いのではないかな、と思う。

そしてもちろん何かを自発的に決めているわけではなく、すでにやることは決められていて、「やる」と言っても、それは自発的にやっているわけでも無い。

とはいえ、それらに意味が無いとも言えないので、そうしたい人はそうしたら良いのだけど、リスク覚悟で、自分で考えて、決めて、やってみたいって人にはストレスが溜まるだろうなぁ、と思うのですよ。

ここまで書いてふと思うのは、これは「失敗はネガティブなものである」という価値観で捉えるとそうなっちゃうのかなってことです。

だって、経験も無い者が、チャレンジしたらうまく行かないことがあって当然なのです。
それを避けたいから理論的な裏付けで固めれば、そこには正解しか無いわけで、失敗の経験なんて無くなるよね、とか、効率良いよね、ってこと?

リスクを取ってチャレンジする経験が無いこと自体が失敗ではないかと思うのだけどなぁ。
それに、失敗やら成功やらの中から工夫するとか、色々と幅広い経験をして、一見効率が悪い生き方をしても、最終的にはそれらの経験が活かされるわけだし、だからこそ面白いんじゃないかな。