鈴鹿8時間耐久ロードレースに向けて

今日は、元GPライダーの上田昇さんが来てくれました。

上田さんのチームTeam NOBBYは現在
鈴鹿の8時間耐久ロードレースを中心に活動されています。
コロナ禍に伴って同大会は過去2年間中止でしたが
今年は開催の方向で動いているので活動再開です。

何せプライベーター最強のチームですので
久々の鈴鹿8耐ではぜひ頑張って欲しいところです。
エントリー名は「Team Frontier」で
すでに出場権は得ています。

というわけで
今日は、タッグを組ませてもらっている当研究室にて作戦会議でした。

現時点においては、まだ表に出せない情報ばかりですが
今年から投入するニューマシンを前に色々と検討を進めていました。

今年のレースでは
当研究室からいくつかの秘密兵器の投入と
チームクルーとして3名の学生の参加を予定しています。
皆さん、ぜひ応援お願いします。

当研究室が直接関わらせて頂いているのは上田さんのチームですが
卒業生達が勤務する会社からそれぞれ出場するので
サーキットでは、上田さんや卒業生達が久々の再会を果たすことにもなるのです。

迷わずにやろう

学生のうちには色々経験しておくに越したことはない
というより
学生のうちにしかできないことってあるわけですが

これに関しては
「これをやっておくべきだ」
というより
「自分が大事だと感じた事をやるべきだ
しかもすぐに!」
と思うのです。

でも、いざその状況になると
迷いが出るでしょう。

でも、迷って考えて
その後にどうなるかというと

やらない

そんなことないですか?

迷ったらダメなんです。

迷うときに何を考えているかというと
大抵は失敗したくないということです。
あとは「面倒くさい」ですね。

考えているというより
無意識レベルで「失敗したくないシステム」と
「面倒くさいシステム」が
自動的に発動している状態かもしれなくて
その場合、それは意識に昇ってこないので
迷っていること自体気付いていないことすらある。

さてさて
この状態では、やるかどうかを考えているようでも
発動している「システム」は無意識下にあるので
考えていません。

考えを支えているのが考えていないシステムだという
訳が分からない状態です。

まぁ、人の思考なんて
そんなものかもしれませんけどね。

経験を重ねて年齢を重ねても
結局は、この無意識の働きからは逃れられないわけで
問題は、我々の人生における行動のほとんどは
無意識が支配しているということです。

若い頃は、経験が少ない故の恐れなどから
迷いが出たりしますが

それを繰り返していくと…つまり習慣化すると
どんどん固定化されていって無意識は強化されるでしょう。

そうなると、自動的にうまくいかない
ということになります。

だったらどうしたらいいかというと
迷わずにやれ
ということになります。
しかも若いうちに。

最終的にうまくいくためには
失敗も含めた経験は重要ですし

「面倒くさい」は、何度もやって習慣化すると
何と!
面倒くさくなくなるのです。
だって習慣だから。

習慣は、自分にとって「当たり前」で「普通」ですので
そうなってしまうと負担ではなくなります。

バイクやクルマに乗ったりレースをやったりすれば
行き詰まったり失敗したりするものですが
それらの経験は凄く役に立ちます。

今思えば、それらをやる時に迷いはありませんでした。

16歳でバイクの免許を取ったときに始まり
18歳でレースを始めたいと思ったとき
すぐにやりたかったので
手元にあったスクーターで始めたり
その頃に、初めて行ったバイク屋さんで工具を借りたら
店主が国際A級ライダーで
「お前、明日から俺のメカやれ」
と言われて、即答即決でレースのメカニックを始めたり

考え無しで色々やって
見ようによってはバカっぽくて
実際バカだったのかもしれませんけど
色々ありましたが全く後悔なんてしていなくて
むしろ、もっとやっておけば良かったかな
とも思うのです。

それらの経験は、その後の考え方や仕事に大いに役立ちましたし
お陰で面白い人生になったと思っています。

そもそも、レースの経験がある人から
やらなきゃよかった
なんて聞いたことがないのですけどね。

もし、失敗というリスクを避けるのが
人生のトップ・プライオリティであるなら
お勧めのやり方があります。

やらないこと
絶対にチャレンジしないことです。

絶対に失敗しませんから。

続 手段と目的とライバルと

前回はエコランカーを例にとってお話ししました。

手段を固定化してしまうと
目的は制限されてしまうわけで
そんなんじゃ勝負になりませんよ

という内容でした。

カッコイイ部品などの目に見えるものって
そもそも何かのための「手段」なのです。

その魅力的な目に見える「手段」はとても魅力的で
「良いもの」に思えます。
つい使ってみたくなっちゃう。

でも、そいつを主役にしたりすると
問題が起きます。

この「良いもの」というのは
「何か」に対して「良いもの」なわけで
その「何か」はなにかというと
戦略だったり戦術だったりします。
これらは目に見えません。

実は「良いもの」は
あらゆることに対して無条件で「良い」わけではなく
大抵は、ある特定の戦略を取ったときに
効果を発揮するためにつくられています。

なので、メリットとデメリットを内包しているのですが
「良いもの!」と思っちゃうと
デメリットは見えません。

F1マシンは速いけど
どんな状況でも絶対的に速いわけではありません。

どんな最新兵器も
あらゆる状況において絶対的に有効なものはありません。

それらは、ある特定の条件下で性能を発揮して
優位性を得るために考えられたものだからです。

そして、その優位性を得るために
必ず何かを犠牲にしています。
目には見えませんが。

そして、それを採用するということは
優位性を発揮する条件など
戦略も含めて採用することになるのですが

戦略は目に見えませんし
そもそも、他人が考えた戦略を
ヘタするとライバルが考えた戦略を採用しても
オリジナルに勝つのは難しい。

他人の土俵で相撲を取っている状態です。

それに、すでに目に見えている手段を採用するのだから
そういうことのハンドリングに長けたライバルが出現したら
そこでお終いです。

なので、目に見えない大きなところから考えて
優位性を発揮できる戦略を考えて
そのための具体的な手段をつくって実行する。

目に見えない大きなことを考えて
その実現のために
目に見える小さなものをつくるのです。

自分の土俵を作っちゃうということです。

そんな風にできたらいいですね。

目に見える小さいものからつくりはじめて
その集合体を構成していく

よくやってしまいがちですが
これは逆です。