自分からやれない理由

最近の若いモンは出世欲が無いとか、かつては草食系とか…
そんなことを言われて久しいですね。
最近じゃそれがデフォルトになっちゃって、あまり言われないのかもしれませんが。

振り返ってみれば、私の世代あたりも多少はそんなことを言われていたような気もします。
だとしたら、30~40年以上前から徐々にその傾向は強くなってきているってことなのかな。

これ、端的に言うとハングリーさが無くなっているというようなことですよね。

何でだと思いますか?

そもそも、最近では自発性を十分に発揮する経験が少なすぎるのは当然として…

「やる」こと自体に疲れちゃってるというよりむしろ、「やらされる」ことに疲れちゃってるというか、飽きちゃってるというか、それが当たり前になっちゃっていて、「やる」と「やらされる」の区別が付いていないというか、そういうことなんじゃないかなぁなんて思うのです。

当事者にとっては、それが普通で当たり前なので、良く分からないのではないかなぁ、とか。

恐らく間違いないのは、自分で考えて、ジタバタとトライする経験が少なすぎたのだろうな、ってことです。
「こうすれば間違いないだろう」と言われることばかりやらされてきたのではないかな。
もちろん、そのお陰で世間で一般的に「失敗」と言われる経験は最小限で済んでいるのではないかとも思うけど。

果たしてそういう人生は、本当にハッピーなのだろうか?

でもこれ、本人の問題だけど、本人だけの責任ではないですよねぇ。これ、以前から言ってますが。

と、こういうのも大変興味深いネタで、日々考えるべきテーマの一つです。

「やる」の戦略

私はこのブログで散々偉そうなことを書いていますが、まだまだなんだよなぁなんて日々思っているのです。
分かっていないことは沢山あるし、結構やらかします。
でも、分かったことや思ったことは明らかにしないとな、と思うのです。

私の「やらかし」には傾向があって、熟成不十分なままアウトプットするようなことが多いのです。
でもこれ、実はポリシーに従った結果なので、ある程度は仕方ないと思っています。言ってみればトレードオフです。
まるで現状を変えたくないがための言い訳のようですが。
今回はそれを説明しましょう。

そもそも、能力の高さで勝負することを捨てているというか、世の中優れた人が沢山いるので、そういう人達と真っ向勝負したら相対的な価値では負けるぞ、というのが前提だったりします。

良い成果を出そうとしたら、彼らと同じようにやったら負けなのです。
だったら、早期に未成熟な成果で良いのでアウトプットして、ブラッシュアップに時間を使って、最終的に求めるレベルに到達すればいいじゃん、という戦略です。

大事なのは、時間は有限なので間違えないように「考える」ことに時間を使い過ぎると、結局残されたブラッシュアップのための時間が無くなるので、早期に未成熟なものを勇気を持ってアウトプットすることです。

考えることはもちろん重要なのですが、むしろ「やる」ことに重きを置いて、それによって分かることでブレークスルーしようということです。

さらにこれ、「やらないと分からないこと」は、いわゆる暗黙知、経験知であって、以外と優位性があったりするのです。
何せ定型的な情報伝達では得られないことですから。

こんな風にやっているのを傍から見ると、デキが悪くてバカみたいに見えるかもしれません。学校なら間違いなく先生に怒られるでしょう。

なので、最初は勇気が要るかもしれません。
でも、繰り返していれば慣れますし、そのうち経験によってそれなりにレベルが上がってきますから、まんざら捨てたものでは無いですよ。

こんな風にやっているので、不十分な間違えたものを発信することが多いかもしれません。
いわゆるポカをやりやすいのです。

これ、恐らくレースとか前職で身に付けた戦略で、それが癖になっています。

スピードが最重要で、やってみないと分からないことばかりだったから。
他と同じことをやっても価値は無いし、良い仕事をするには、どうせトライアンドエラーが必要なのだから、まずはアウトプットしてブラッシュアップすれば良いのだ、という習慣ですね。

そもそもが、そんなにポテンシャルが高い人間ではないという自覚があるので、それを補うためにどうしたら良いのだろうと考えた末の生活の知恵と言っても良いかもしれません。

どうせ考えるなら、こういう「どうやるのか」という戦略を立てるのも良いかもしれません。
ただし、スピード重視なら立ち止まって考えたら本末転倒ですけどね。

価値の正体

学生が学校で何をやっているかというと、端的に言ってしまうと価値を高めるための準備です。ですよね。

かち【価値】
どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。またその大切さ。ねうち

だそうです。

個人だって、組織だって、国家だって、価値が高い方が良いに決まってます。
これはマネーに限ったことではありません。
マネーは価値を数値化して見えるようにしただけに過ぎませんから。
目安にはなりますが、価値とイコールではありません。

なので、金銭の大きさではなく、その根源たる「価値」に注目すべきです。
金額を追うのではなく、価値の正体を見極めるのがまずは重要かと。

大抵の場合、価値は何かを発信することによって発生します。
物体だったり行為だったりします。
発信の対象は、多かったり少なかったりします。

色々な方法や形や量や大きさがあったりするわけですが、いずれにせよ、価値の大きさは…

どれだけ相手のためになっているのか
どれだけ相手が必要としてくれているのか

ということで決まるでしょう。
ですよね?

なので、自分が!自分が!!ということではなく、どれだけ相手のためになるのかということ。ここが最も重要なはずなのに、なぜか自分のことばかり考えちゃう。

で、その中身は?というと…

自分ができないことや、やりたくないことで…

面倒なこと
大変なこと
分からないこと
勇気が要ること
気付かないこと
…だったりします。

というように、価値の本質というか構造というか、そういうのはそれほど複雑なものでは無いわけですが、いざそれを作るとなると、これがなかなか難しい。
そういう自分だって、分かっていても、なかなかできなかったりしますもの。

だから価値があるんですよ。

でも、毎日ちょっとずつでも、それらを積んでいくようなトレーニングはできるはずです。
まずは簡単なことでも良いのでやってみましょう。繰り返して習慣にしましょう。

なにも急に凄いことをやらなくても良いのです。
ちょっぴり面倒なことや、ちょっぴり勇気が要ることで良いのです。
継続すれば基準が変わっていきますから大丈夫。
やると分かることもあるし。

そういうちょっとした変化だって価値観の変化です。
価値観を変えられるって凄いことなんですよ。