夢はあるかい?

「世界最速のインディアン」という映画があります。
バート・マンローというニュージーランド人のおじいちゃんが、バイクでの速度記録を狙うという、事実に基づいたストーリーなのですが、劇中でバート・マンローが言った台詞が

If you don’t follow your dreams you might as well be a vegetable.

「夢を追わないなら野菜になったも同然だ」とでも訳すべきでしょうか。
映画の話なので、彼が本当にそんなことを言ったかどうかは分かりません。
でも、良い台詞ですよね。

私も、夢が無かったら何のために生きてるのか分からないだろう、なんて思います。

大きくても小さくても
明確でも不明確でも
夢を持っているというのは大事なことです。

最近の若者は夢が無い
とか言われることがありますが、そんなことはないと思います。
人に言えるほどのことではないと思っていて、否定や批判を含む評価を恐れているケースが多いのではないかな。

人に比べてどうこうではないので、別に気にすることはないと思うのですが、やはり気になるのでしょう。

私は、まだできていないことを「できると思える」ことも才能だと思っています。

でも、それを実現していくには、スタート地点から、チャレンジの過程で味わうことになる否定や批判や、それによって感じる劣等感を処理しなければなりません。
我が国では、これは結構難しい。
何とかならんかな、と思います。

この辺は学生達を見てきて分かってきたこともあるので、少しずつ明文化してみましょうか。
夢工房では、最も重要なことの一つですからね。

手段と目的の混同に気を付けよう

手段と目的が混同されるているとか
それらの区別が付いていないとか
これは良くある話です。

特に日本の教育現場では。

昔から
四の五の言ってる暇があったら勉強しろ
学生の本分は勉強だ
みたいな感じでしょう。

勉強ができるようになっておけば選択肢が広がる
とか言いますが、そうはいきません。

おっと、このままでは脱線しそうだ。
学校教育を例に取ると、手段と目的の混同が説明しやすいのです。

本来
教育は何かのための手段に過ぎないはずで
学力だって何かのための手段に過ぎないはず。

そう考えると
「知っている」ことに価値がある
なんておかしいと思うでしょう。

学力は何かのために必要なはず。
その目的は何か?
というのが曖昧になっていないか?

下手したら、手段と目的を同列視していたり
下手したら、目的より手段を優先していたり
そんなことになっていたりしないだろうか?

と、教育を例に取るとこんな感じなのですが
似たようなことは世の中に沢山ある気がします。

「お金が欲しい」
なんてのもそうじゃないでしょうか。

大事なのは
「何のために?」
というゴールのはずなのです。

こうすればうまくいく 11

行動を起こすまでが速い

これは絶対条件だ!
といっても良いほど自信があります。

自分の経験からもそんな気がしていましたが、それに加えて当研究室に所属した学生達の動向を振り返ってみても、それは実感できます。

今まで、クルマの頂点F1に2名、バイクの頂点MotoGPに2名の開発者を輩出しましたので、これは間違いないでしょう。

うまくいくヤツは、すぐやる。

「好きなことだから早くやりたい」
そういう気持ちが強いのでしょうね。
そして行動力もある。

まだあります。

ゴールに向けて行動するとき
つまりチャレンジするときに不足があるのは当然です。
なので…
現状の把握ができて、ゴールまでのギャップを把握できる
そういった見積もり能力というか、想像力も大事。

不足していること、つまりプロセスにおいて必要なことは、やりながら手に入れていく
そんなダイナミックさも必要。

準備万端整えて、石橋を叩いて…
というタイプは、やりたいことができずに時間切れになることがほとんど。
大抵は、考えているうちに時間切れになります。

だって、やらなきゃ分からないことなんて、考えても分かるわけないのです。

あとは

変化できる+頑張り続けられる
という感じかな。
ダメなら変える。
そして継続する。

これ、好きなことをどうしてもやりたいから、そうなるのでしょうけど。

変化しない+頑張り続ける
いわゆる一本調子なやり方は、いつか折れる。

だって、ダメなやり方でハードにプッシュしても、結果は変わらないのですから、継続できるはずはありません。

そもそも、好きでもないことは本気でプッシュできないし、継続は難しいわけで、やはり好きなことをやるってのは最重要なのでしょうね。

「好きこそものの上手なれ」
って言うじゃないですか。
みんな、それ信じてないのですかね?

学生達を見ていると
やりたいことを我慢しすぎたり
やりたくないことをやらされすぎたり
そういう経験が多いと、とても難しいことになるのだろうなぁ
なんて思うのですよ。

そういうの、一般的には「良い子」に分類されるのでしょうけどね。