マキシマムで行こう

どうもビビってると最小限になりますね。
何事も。

夢工房の学生達
色々なタイプがいて
それぞれのタイプが浮いたり沈んだりするわけですよ。
うまくいったりいかなかったりってことですけどね。

まぁ、色々と
能力やら性格やら
あとは今回みたいに
世の中の状況とかもありますよね。

で、チャレンジしている学生達は
ぶっちゃけ成功したいわけですよ。

教員の私が
仮に在学中に成功しなくても
卒業後に世の中の役に立てば…
なんて言っても
成功したいものは成功したい。

そりゃそうでしょうね。

面白いのは
「成功したい!」
というのは自分の欲でしょう?
自我みたいなものですよね。
いや、まさに自我なのかな。

その気持ちが強いと
自分の枠をぶち破るんですよ。

どういうことかというと

いくら一所懸命やったところで
自分にできることには限度があって
それ以上のものを得たいなら
周囲に喜んでもらわないとダメだ
って気付いちゃうんですよね。

自分の力だけじゃ足りない
って。

気付いて覚悟が決まった学生は
まぁ、気持ちいいですよ。

挨拶はちゃんとできるし
周囲の手助けはするし。

もちろん
裏表を使い分けてたりすると
そういうのって分かっちゃいますからダメなんですけどね。

そんなのできるの当然だろう
とか言わないで下さいね。

今どきちゃんと挨拶ができるとか
自発的に他を助けるとか
そんな学生は、そうそういませんから。
言われればやるコはいますけどね。

そういうわけで
腹が決まってる連中は
とにかくやることがマキシマムなんですよ。
もちろん失敗したり
他に色々言われたりもすることもあるでしょうけど
思いもしないところからチャンスが舞い込んできたりします。
そうしてれば普通じゃ得られないものが手に入る。

普通じゃないことをしていると
普通じゃない結果が得られる

こういうのって当たり前なことで
誰でも分かってるとは思うんですが
それができるかというと別問題ですからね。

何でもかんでもマキシマムでやってると
端から見るとバカみたいに見えることもあるし
損しているように見えることもあるでしょうね。

なので、自分のことばかり考えていると
そういうアクションは取れないわけで
頑張っているつもりが
結局は普通のことをやって
普通の成果を出せるかどうかってところで
時間切れになります。
4年なんてあっという間ですから。

あ、何で
挨拶できたり、手助けしたりする学生が成功するかって?

そんなの当然ですよ。

周りがそいつを助けたいって思うから
自分以外のリソースが集まってくるのです。

なので、本来自分が持っている力を超えられるんですね。
みんなの力を集めて。

それに、そういうことを元気にやってると
単純に気持ちいいでしょう?
これ、凄く大事なことです。

まぁ当然のことなんですけど
これをやって失敗したときの恐怖を想像しちゃったら
実践はできません。

なので、そういう人は
こういうことを信じないし認めない。

これね、学生に言ったところで
なかなかできないのです。
難しいことではないのだけど
勇気が要るのかもしれませんね。

やりたいことをやりましょう

ブログ継続1年のプレッシャーから解放されて
正直ホッとすると同時に
ますますとりとめの無い方向性に走り出しそうな予感がしますが
ご容赦下さい。

自身のことを考えてみても
学生と接してみても
日本人って極端だなぁ
と思うのです。

そんなことないですか?

白か黒か
やるかやらないか

二元論に陥りやすかったり

追い詰められるとか
極端な状況にならないと動かないもんだから
やるときは凄い勢いでやって無理が出るとか
時に凄い結果が出ることもあるのでしょうけど。

でも結局
ゴールを設定した戦略的な思考が苦手だったりしませんか?

「戦略手な思考」って
別に難しいことを言っているのではなくて
考える方向が違うだけの話なんですけどね。

こういうの
何も日本人に限らないのかな?
皆そんなものなのでしょうか?

そういうのって
渡世術っていうんですかね。

でも、大事な考え方・やりかただと思うのですが
学ぶ機会がありませんよね。

みんな本を読んだり人から聞いたり
経験を積んだりして学んでいくのでしょうけど
先人達の取り組みと結果があるわけだから
基本的な知識として体系化できそうな気がしますけど。

いや、待てよ。

そんなことをすると
外部から突っ込む教育になっちゃって
結局は意味が無くなるのかな?

いえね、学校で知識を学ぶのは良いんですよ。
でも、それを何のために、どのようにハンドリングするか
そういうことって経験する機会が無いまま
学生達は社会に出て行くわけで
なんかもったいないなぁ、なんて思うのです。

いや、そうじゃないか。

専門的な色々な知識を身に付けたところで
それらがいずれ何らかの形になって…
なんてことは思いのほか無いものです。
そうじゃないですか?

なので、まずはゴールありきで
(「これやりたい!」と強く思えること)
そのために特定の学問が必要だ
(自ら「必要だ」と思うことが重要)
というなら分かるのですが
どうもそうはなってないですよね。

なので、学生は
何の役に立つか分からんけど
難しいんだけど
やらなきゃいかん
みたいなことになっていて
そんなのモチベーションが上がるわけなくて
で、つまらないからうまくいかない
そんなことになってないでしょうか。

もちろん全員がそんなことになっている
なんてことは無いのでしょうけど
大方は、そんな感じではないですか?

これ、書きながら
似たようなネタを繰り返しているな
と自覚しているのですが
やはり一番気になるのはこの辺なんですよね。

やっぱりね、好きなことを
バリバリ能動的にやらないとダメなんじゃないでしょうか。

この学校で学べば…
とか
この資格を取れば…
とか
この会社に入れば…
とか
誰々がこう言ってたから…
とか

で、そうすれば
将来安泰だとか
生涯年収が
とか思っているかもしれませんけど
そもそも途中で嫌になっちゃったら
お終いでしょうに。

そもそも
自分が安泰とか、儲かるとか
そんなもんのために仕事してたら
それを得るための我慢比べみたいになっちゃいますよ。
それでハッピーなわけないでしょう。

それに、みんな同じようなことを狙ってるんだとしたら
そこには希少性とか独自性とか無い訳でしょう?
それじゃぁ、そもそも価値が無いんじゃないかな。

だったら、やりたいことを突き詰めるとか
とにかく色々やりまくるとか
そういう方が健全で面白いんじゃないかなぁ
なんて思ったりしてるんです。

ま、結局は
何をどうしようと自由なので
自分が信じたとおりに頑張るのが良いのでしょうね。
そうすれば後悔はしませんよ。

そうそう
迷っちゃダメよ。
気持ちは分かるけど、時間がもったいないから。
やってみて失敗しても
長い目で見れば損にはならないから大丈夫。

うん、思った通り
話の筋が通って無いぞ。
タイトルに困るな。

放置といっても簡単ではなかったり

何かネガティブなことが起きた時には
自分のせいにしてしまえ
というお話しを以前しました。

難しいかもしれません。
でも、こういうのが
チャンスの分かれ道だったりするんですよね。

あとね
困難に遭遇したり
アイデアを出す立場に立った時に
心配しすぎたり
一つのものにフォーカスしすぎたり。

そんな時こそ
最初にワーっと考えを広げておいて
選択して
それから集中する
そういうプロセスが欲しいところです。

今回こういう話しをするのは
別に何かあったわけでは無いのですが
授業で学生が議論しているのを
横目で見ている時に
ふと思い出したりするんですよ。こういうの。

「あぁ、ありゃぁうまくいかんだろうなぁ」
って。

学生が反面教師で
学生から学んでるんかい!?

そうです。
学生から気付かされることは沢山あります。

で、授業中にそういうことについて
指摘するのかと言われれば
しないのです。
しないことにしてます。

以前はしてましたけど
最近はやめました。
ニコニコ見てるだけです。

というのも
そういうのを授業中に指摘しても
あまり…というか、ほとんど効果無いんですよ。
学生は「先生に怒られた」くらいにしか思いません。

そもそも授業を「やらされて」るんですから
そういう状態に対するするアドバイスは
言葉を柔らかくしても
「叱責」のような捉え方しかされません。

なので放置です。
放置じゃ聞こえが悪いかな。

やってみて
失敗して
その後に本人が
「何とかしたいぞ」
と思った時になら
アドバイスが「入る」でしょうね。

それに
失敗しないようにアドバイスしたところで
全く本人のためにならんですよ。
成長を妨げているようなものですから。

これ
単に放置しているだけ
と何が違うかと言えば
「必要な時が来たらフォローする」
と決めてるくらいの違いなんですけどね。

フォローする必要が無い時に手出しをすると
どうせ「やらされる人」になるだけです。

もちろん学生が失敗の末に
勝手に成長しちゃうこともあって
それはそれで大成功で理想ですね。

色々余計な手出しをすれば
中には感謝してくれる学生もいるかもしれませんが
どうでもいいんですよ、そういうの。

余計な手出しをしてしまう動機としては
大抵は
自分が学生に感謝されたいとか
先生って凄いって思われたいとか
学生がヘマこくと後々自分に面倒が掛かるとか
自分本位な欲だったりするんです。

そういうのが自分のゴールなのではなく
彼らが社会に出て
何かの役に立ってくれるのがゴールですから
いいんです。

なので、可能な限り
失敗の芽は摘まないことにしてます。

そんなの意地悪ですか?
いいんですよ、そう思われても。

失敗して
苦労した後の成功の方が
より面白いでしょう?

その成功がやってくるタイミングが
在学中なのか
社会に出てからなのか
それは本人次第ですけどね。