で、どうすんだ?

教育って難しいという話をしましたが
結局、唯一絶対の正解なんて無いわけです。

ああしろこうしろ
というのももちろん教育で
言われてキッチリやるコもいるでしょうけど
全員がそのやり方に対応できるわけではありません。
教える方も教わる方も
加えて社会も
それを望まないこともある。
今やそれを望まない場合の方が多い気もするけど。

色々知ることがゴール
というわけではないなら

大事なのは
自ら考えること
自ら判断すること
自ら動くこと

ですよね。

とはいえ、例えば
経験が不十分で
視野が狭くて
どうしたら良いか分からなくなっている相手に
視野広げろ!
とか言ったとしても
どうしたら良いか分からんでしょうね。

なので学生には
こんな世界もあるんだよ
というビジョンの片鱗を見せて
もっと視野を広げてみても良い
もっと自分で決めてみても良い
もっとやってみても良い

ということを実感させるのが重要かと思っています。

もちろん、それで行動すると
最初は大抵失敗しますが
その失敗から目を背けずに
現状を認識して
で、どうする?
という判断を元に
次のサイクルに繋げていく
これで前に進めれば
それは成長できてるってことです。

難しいのは
一般的にネガティブな経験と思われている
失敗に対して
本人が目を背けずに受け止められるか?
教員が失敗を許容できるか?
その辺だと思います。

これ、結構難しいです。

多くの学生は小さな頃から
失敗しないように!
失敗は悪いことだ!
という価値観を持っていますし
それを見守る側も
失敗なんかされたら面倒だ
と思っていますから。

で、やったことが失敗かどうかを決めるのは
評価だと思うのですが
ダメ出しが嫌だからと
評価を避けようとしたりすると
考えすぎて結果を出せないとか
成果を隠すってことになりますし

評価が面倒だからと手を抜いたりすると
成長のサイクルが始まらない
そんなことになります。

なので
考える やる 評価する
というサイクルを
いかにグルグルするかがポイントなのですが
非常に面倒なので結構勇気が必要です。

というわけで夢工房では
学生、教員共に
勇気を持って成長し続けるサイクルを回していく
というのが最重要課題なのです。

教員が知っていることを学生に教える・やらせる
ということをやったところで
そこで起きることは先生にとっては当たり前のことで
新しいことや感動は無かったりします。

でも、良い成長のサイクルができていると
学生達は 教員 が驚くような成果を上げることがあります。

偉そうにこんなことを言ったところで
実際にやるのは難しいのですが
面白いのもこの辺です。

なので、これからも
ジタバタしながら
グルグルしていきます。

日本は思いのほか大きい

住んでいる埼玉から
北海道最北端の宗谷岬までの1500kmを22時間で
九州最南端の佐多岬までの1500kmを17時間で
その両方にバイクで行けました。
やればできるもんだね!
キツイですけど。

さて
皆さん日本は小さい国だと思っているでしょう?

埼玉から本土最北端と最南端のどちらへも1500kmってことは
最北端から最南端までは3000kmですよね。(埼玉経由で)

これ、オーストラリアの南極側のアデレードから
赤道側のダーウインまでの距離と同じなんですよ。

オーストラリアの中央を南北に貫く
スチュワート・フリーウェイ
これがアデレードとダーウインを
3000kmで結んでいるのです。

ほら、日本って結構大きいでしょう。

日本を真っ直ぐに立てて
オーストラリアの地図にはめ込むと
縦方向がピッタリはまる感じです。

え?じゃぁ、オーストラリア縦断は二日で行けるの!?

そりゃ無理でしょうね。

24時間くらいなら徹夜で走れますけど
二日目は無理でしょうから。
ちょっと休まないと(笑)

冗談はさておき
日中に走って一週間
というのが現実的なところでしょう。
夜は走れません。

カンガルーとかの夜行性の野生生物がいる土地を
夜中に走るのは危険です。

ヤツら、ライトめがけて飛び込んできますからね。
100km/h程度で巡航してるバイクで正面衝突したら
かなりマズイことになるでしょう。

カンガルーは車が来ると道路際に立っていて
もう避けられない
というタイミングで、目の前にピョン!
と来るそうです。
ゾッとしますね。

北海道の夜の走行だって危なかった。
鹿がそこら中にいて、こっち見てますから。
飛び出て来たら最悪です。
これも衝突したらかなりヤバイことになります。

鹿も目の前に飛び出してきて
車の前でピタッと止まったりします
つぶらな瞳で見つめながら。

そうそう、オーストラリアにはラクダがいるんですよ。
昔、内陸部の開拓をする際に中東から連れてきて
大層役に立ったそうです。

その一部が脱走して野生化しているそうです。
季候が悪くて食物が不足しているときに
群れで民家を襲撃することもあるとか。
凄いですねー。

ちなみに
アメリカのロサンゼルスからニューヨークまでが約4500km
一週間じゃ無理そうですね。

オーストラリアのお隣のニュージーランドは
一見小さいようですが
南北の端から端まで走ると
ちょうど2000kmくらいのようです。
意外と大きいです。

オーストラリアもニュージーランドも
モータースポーツ界に大きな足跡を残した人物がいる
魅力的な国なのです。

教育って難しい

「教育」って何だろうな
どうしたらうまくいくのかな
とよく考えるんですが
それは仕事だから当然。
別に嫌々やっているわけではなくて
大事なことだと思ってるんですよ。

さて、一口に「教育」と言っても色々あって
一概には言えないとは思うのですが。

義務教育から大学などの
いわゆる高等教育に向かっていくのですが
多くの場合、教育は
「教えること」
ですよね。
まぁ、読んで字のごとしというか。

小学校から始まって大学卒業までは
だいたい16年間ってところでしょうか。

大抵の場合
その間ずーっと
指示されて やる
ということを繰り返してるんですよね。

もちろん、そういうのはあっても良いとは思うんですけど
とくに義務教育の過程では必要かとも思いますが
16年間も
言われて やる
ってのを繰り返していると
言われないとやらない
言われたことしかやらない
言われてもやりたくない
言われたことなんかやりたくない

のいずれかに落ち着いても
それは仕方ない気もします。
極端な考え方かもしれませんが。

しかも学校では
言われたことができると優秀
とされるわけですから
言われたら できる
が最高なわけです。

言われなくても できる
ってのが本当は最高なのでしょうけど
それは点数にはなりにくいですよね。
そんなの評価する方法もないのではないかな。

で、多くの場合は
どうやって言われたことをやるようにしているかというと

できないと
留年するぞ
とか
就職できないぞ
とか
恐怖でコントロールしているわけですよ。

すると何が起きるかというと
学生は恐怖から逃れたいので

仕方なく最低限やるわけです。

最低限やった成果に対して
評価者が満足いかない場合
もっとやれ!もっとやれ!
となる。

すると言われた方は
ますます嫌になる。

そんなことないですか?

でも、言われたことをやらないと面倒なことが起きるからやるけど
それをやったところで
恐怖の源が発生しなくなって
ホッと安心するのが関の山で
実はハッピーになるわけではないですよね。

もちろん中には
学問の面白さに目覚めたり
できる喜びを感じたり
そうやって伸びていく者もいますが
そういうケースはこの際問題にしません。
問題ないもんね(笑)

と、ここまでずいぶん引っ張りましたが
今日言いたいのは
教育が
「教える」ことが目的になっちゃっていて
「自らが学ぶ」というか
学生自身の成長が軽視されてるんじゃないか
と思ったのです。

「教える」って
そもそも学生を成長させるための手段だと思うんだけど
そっちが主役になってないか
と。

学生が成長するなら
本来は何でもアリでではないか
と。

自ら能動的に成長するようなことをするなら
それが最高じゃないか
と。

なので、そんなふうに自ら学べていれば
外部から無理に突っ込む必要は無いと思うんですよ。

でもなんかこのご時世
もっと突っ込め!もっともっと!
ってなってませんか?

そういうのが嫌で
やる気が無くなるとしても
むしろそれは正常じゃないのか
と思うこともあります。

じゃぁどうしたら良いと思うんだよ?

ですよね。
まぁ、それが重要で難しいところですよね。

例えば
もっと彼らにチャンスをあげるのはどうでしょう?


「それを面白く転がしてみろ」
と。

そういう結果を評価するのは難しいかもしれません。
たぶん数値化しにくいでしょうし。

教育の効率も悪いかもしれません。
みな均一に均質に
ってわけにはいきませんから。
そもそも教育の効率って何なのだ?
誰のためなのだ?
と思いますが。

でも、大事なのは彼らの成長です。
評価することではないでしょう。

もちろん、評価があれば
その後にどうしたら良いか
という道筋は立てやすかったりするでしょうけど
それが本質ではない。

彼らが
もっとやりたい!もっともっと!
となるようにせねばいかんのだろうなぁ
どうしたらいいのかなぁ

夢工房はボチボチ良い感じですが
もっとイケるはずだぞ。

と、今日はこんなことを考えていました。