成長するために必要なこと

どう考えても
好きなことをやらないと
成長するのは難しいのではないかと思うのです。

あと、どうせやるなら
やることを好きになる
ということも大事です。

チャレンジしないと。

それはもう、ヘタでもダメでもいいから。

学校で長い時間を過ごすと
正解以外はアウトプットできない
みたいな価値観が定着するのですが
これは大問題です。

そんな訓練をされていれば
正解のために考えることは
多少は上手になるのかもしれませんが

そもそもそれでは
正解が無い新しいことについて
対応することができません。

それでも学校の中では良い評価を得られますが
それだけが人の価値を決めるものでは 無いし
それで社会に出て価値を生み出せるようになるわけでも無い。

どうもそれが上手にできても
成長している
というのとはちょっと違う気がします。

では、どうすべきか。

色んな方法があるのかもしれませんが
一つはこんなところでしょうか。

まずはアウトプットして評価を受ける
これが大事。
これは、多かれ少なかれチャレンジする
ということになります。

そして評価を受けること。
満足いくものでなければ
いわゆる「ダメ出し」みたいなことになるのですが
ダメなものに対してダメなことが分かる
というのは大変貴重な機会です。

それに対して考えてリトライする。
これをグルグル回していけば
ものごとは必ず良くなっていきます。

アクションとしては、考える、行動する、改善する
の3つだけ。
アウトプットとリファインの繰り返しです。

これを締め切りまでに、どれだけ回せるか
設定したゴールに到達できるか
そのために、どのように時間や労力を配分するか
それだけのことです。

必要なのは
ダメかもしれないものをアウトプットする勇気
否定的な評価を受け止める度量
改善するための労力
そんなところでしょう。

そんなことを考えていると
禅問答もそういうものなのかな
なんて気もするのですが
どうなのでしょう?

いずれにせよ
成長するためには
努力は当然ながら
諦めないということが最も重要なわけで
そのためには諦めたくないと思わせるような
好きなことをやるのが大事なのだろうな
と、つくづく思うのです。

自由に伴うもの

興味深いテーマなので何度もネタにしていますが
自由は大事です。

自由は「自分に由る」
「自分で決める」ということです。
自分で決めるのだから
責任は自分にあるのは当然です。

責任を持ちたくないということになれば
自分で決められないということになります。
それでは自由ではなくなってしまいます。

自分で決めないということは
責任は他にあるということになります。

そういうトレードオフです。

なので、いざ「自由にやる」となったら
自分で決めて行動するとなったら
「腹を決める」のが重要なのですね。

責任を引き受けるのは勇気が要ります。
もしダメだったら批判されたりしますものね。

でも、だからこそ分かることや、得られるものがあるわけで
そういう経験を積み上げていくことって大事です。

勇気を育むもの
勇気を持ちたいと思えるもの
そういものを持ちたいと思う経験

そんなことが夢工房にあるべきなのですね。

次の世代に託すもの

「若い世代に同じ苦労を味わって欲しくない」
良く言われる言葉です。
というか、良く言われていた、といった方が良いのかな。
かつては、特に戦時を過ごされた方から聞くことがあったと思います。
でも、最近ではあまり聞かないかな。

これ、単に「苦労して欲しくない」と捉えることができるし
本人もそういうつもりで言っていることが多かったのかもしれません。

気持ちとしては大変ありがたい。
実際に、苦労のタネを除去しようと頑張って下さる方もいる。

その結果として、次の世代が実際に苦労なく生活できたとしたら、それは本当に幸せなのかというと、そんなことはないと思います。

数十年前の子供時代は、未来はクルマが空飛んで、人の代わりに機械が何でもやってくれて楽ちんな生活がやってくる、なんて脳天気な未来予測をしていたりしたわけですが、そんな未来はやってくるはずもなく、そんな未来が本当にやってきて、我々人間が何もしなくて済むようになったら、それこそ存在する価値すら無くなってしまうわけで、そんな想像すらできなかった恥ずかしい過去は誰しも持っているのではないかと信じたい。

苦労の質と、本人がどう捉えるかという価値観の問題もあると思うので一概には言えませんが、次の世代は、その世代が担うべき固有の苦労があるわけですし、先人が除去してくれた苦労の先にある苦労をすることになるのだなと思うのです。まぁ、当たり前のことなのですが。

それを見つけたり、関わることができなければ、存在意義とか存在価値が得られなかったりするわけで、むしろ苦労することが生きていることの証だったりしないでしょうか。

まぁつまり、現代に生きる我々は、現代ならではの苦労のタネを見つけて頑張るからこそ生きている実感を得られるわけで、その辺は腹を決めないと面白くならないだろうな、なんてことを考えていた次第です。