ダメじゃないものが良いわけではない

何が言いたいかというと

新規でものを作ったりするとき

良いものを作りたい

と思うべきで

ダメなものを作りたくない

と思うべきではない

ということです。

分かりにくいですか?

ダメじゃないものを考えて作っても
良いところがあるとは限らなくて
良いところが無いなら
受け手の心は動かないよね
ということなのですが。

それに、大抵の場合
狙い通りにいくことは少ないので
狙ったボーダーのちょっと下あたりに着地しちゃうことが多いですね。

すると
ダメじゃないもの
を作ろうとしたのに
ちょっとダメなもの
ができちゃいます。

なので、ダメじゃないことをやろうとしたのに
ガッカリする結果が出ちゃいがち。

まだ理由があります。

別に良いものではない
そんなものを作るのに
ワクワクしないでしょう?

ワクワクしないのに良い仕事できるのですか?
というのもあります。

ダメじゃないものを作る時って
ダメじゃなくするために
「やる」より「考える」のボリュームが大きくなって
仕事が遅くなりがちで
モチベーションを上げにくい。

すると、モチベーションが上がらないから手が動かない
手が動かないから結果が出なくて
次にどうしたら良いか分からなくて
モチベーションが上がらなくて、さらに考え続ける
というサイクルにハマって
どんどん時間が無くなる
ということにもなりがち。

あと、これは人にもよるのかもしれませんが
良いものを作ろうと思っていると
作りたくて仕方ないから
早め早めのアクションになって
やったことの結果が早い時期に見えます。

なので、仮に失敗しても
モチベーションが高いのでアイデアも出るし
その原因を改善する余裕もできる。

それに、失敗のリカバリーができれば
それは結果としては「できている」ということになるので
意外とモチベーションが上がったりすることがあります。

モチベーションのついでに言うと

よく
「モチベーションが上がらないからやる気が起きない」
と聞きますが
やらないからモチベーションが上がらないのです。

何でもいいから
必要だと思うことをやってみれば
何かしら結果が出て次が見えてきます。

そんなもんだと思います。

学びの心はどうなっちゃってるの?

とか言って
別に大したことを言いたいわけではないのですが(笑)

「学び」
とかいうと
やはり学校での授業などの勉強を考えちゃいますよね。

言われて
やる
です。

もちろんこれも「学び」で
大事なことの一つです。

そんな経験も大事だし
自分が必要とも思わなかったことを
与えられる
そんな側面もあるわけで。

でも、大事なものが欠けている気がして仕方ない。
そもそも「学び」って何なのだろう?

授業で扱うような
定型的な知識を
受動的に取り入れることだけが学びなのか
というと
もちろん決してそんなことはない。
それは誰でも分かっていることだと思うけど。

不定形な知識(に限らず)を
主体的に得ていく
これも学びなのであって
むしろそっちの方が定着しやすく
精神的にも健全なのだと思うのです。

そういったことをやる時って

言われたからやる
ではなくて

やってみたいからやってみた
そしたらこうなった

みたいなアプローチになると思うのですが
そこには
自発性という最も大事なことがベースになっています。

好きなことをやっているなら
本気で観察して記録を取ったり
色々工夫してチャレンジしたり
懲りずに何度もトライしたり
大事なことがたくさん経験できて
さらに実体験として身に付くはずなのです。

もちろん、知らないことに向き合うのなら
多かれ少なかれ困難があるのは当然で
好きなことなら諦めずに
頑張って乗り越えようとするでしょう。
これは、自律的に成長するってことですよね。

対して
言われて覚えた知識なんてのは
卒業したら、ほとんど忘れちゃいます。

あと問題なのは
やらされる中にも
何かしら喜びがあることもあるでしょうけど

自発的に何かをやったなかから得られる喜びは
その大きさも
発生する頻度も
桁違いだと思うのです。

喜びが無い中で
「自発的に勉強せい」
なんてのは非常にキツイ。

さて
この、自発的に好きなことをやってみる
というような授業形態

以前、ものづくりの重要性が叫ばれて
盛り上がっていた時期には
あちらこちらで盛んにやっていたはずです。
(これ、以前にも記事にしましたが)

ところが今は
かなり下火になっていると思います。

たぶん理由は色々あって

ITの台頭によって
ハードウェアが盛り上がっていないとか
そもそも、ものづくりの経験がある世代がリタイヤしてきているとか

そしてたぶん
これが最も大きな理由ではないかと思っているのですが

ものづくりの授業は非常に面倒なのです。

そもそも、良いとか悪いとか
主観的な評価が出てきちゃうので
点数を付けにくくて
評価もしにくいし

うまくいかない学生や
サボっちゃう学生をどう扱ったらいいのやら
とか

各人の能力差があったり
取り組んでいるテーマの難易度がバラついていたりして
日程の管理もしにくい。

ものをつくると怪我なんかも付きものなので
色んな意味でリスクはあるし
安全管理とか多くの教員の経験のないことも必要だし。

とにかく面倒なのでしょうね。
まぁ、分かる気がします。

でもね、学校で面倒だからといって
やらなかったら

未来の社会が
もっと面倒なことになるんじゃないですか?
と言いたいのですが
どうなんでしょうね。

で、何度も言わせてもらいますが
夢工房は頑張りますよ。

2・8の法則 再構成なるか

自発性を高めるには
想像性を高めるには

どうすればいいんでしょうね。

自分がそうなりたいのなら
自身の希望に従えば良いだけで
話は簡単。

でも、こと他人のこととなると
結構難しい

学校でも家庭でも職場でも
みーんな悩んでいることでしょう。

あーだこーだ言って
あれこれやらせる?

そういうケースが多いのかもしれないけど
それでうまくいくなら苦労しませんね。

やらせたら
やらされる人になっちゃいますものね。

結局のところ
よく言われる
2・8の法則とか
2・6・2の法則みたいに

2割は言われなくてもやるけど
残りの8割は言われたらやる(2・8の法則)

残りの6割は言われたらやるけど
あとの2割は言われてもやらない(2・6・2の法則)

みたいなことになるのだろうとは思います。

もちろんこれは
各人の行い全般について言えることではないとは思うので
あることに対しては積極性を発揮するけど
別のあることについてはフォロワーになっちゃう
というようなことはあるでしょうけど。

おや?
だとしたら
うまいこと仕事を分解したり再構成したりして
タスクに多面性を持たせたりすると
色んな特性を持った者それぞれが
アプローチしやすくなったりするのかな。

立体的に2・8の法則を組み立てる…?
うん、これは実験してみる価値があるかも。

というわけで
複数人で構成されるチーム全体の
自発性と創造性を高めるなんてのは
とても難しいことなんですね。

だとしても

だから諦める

なんてのは選択肢に無いわけで
何とか底上げして
面白くやっていきたいわけです。

20年やってみても
どうしたら良いかなんて
まだまだ分かりませんし
終着点は無いのだと思います。

でも、色々試して色々変えて
それで継続できているというのは幸いなことです。

まだ納得できる成果は得られていないとしても
指示しなくても自発的に頑張る学生が集まっていて
それが継続できている
というのは、なかなかイケてるのではないか
と、自画自賛しているわけです。

でも、これ
環境だって、風土だって
自分一人でやったわけじゃないのですけどね。

先人がいたり、頑張った卒業生達がいたり
この環境を許容してくれる大学や
応援してくれるスポンサー方のお陰なのです。

一人じゃ、なーんにもできませんから。

今宵も頑張る学生達
たぶん2・6も2・6・2も、すでに破っている気がしますが