心の問題はほとんどが無意識

さんざん「心の問題だ」
なんてことをネタにしてきましたが

むしろ重要なのは意識よりも無意識かもしれない

かもしれないではない!
間違いない
重要なのは無意識。

我々の行動のほとんどを支配しているのは
無意識だから。

どうやって無意識を形作っていくか?
やはり習慣しかないと思う。
つまり日頃の心掛けと行動。

そのためには理想が必要
これが動機となるから。

では、高い理想を持つためにはどうしたら良いか?
これまた問題。

そのためのきっかけが必要でしょう。

となると
やはり環境ということになるのかな。
環境から気付きを得るだろうから。

では、誰が環境を作るのか?

それは気付いた人がやるしかない。

これ、自分のためではないです。
今まで利己的にやってきた人間が
そんなことをするのは勇気が要りますよ。

でもたぶん、頑張っていれば
回りまわって自分に何か返ってくるかもしれないけど
それは求めるものではないですね。
そんな欲を出しながら
うまくやれるほど器用ではない。

それができるか?
どれだけできるか?

やっぱり夢工房、頑張るしかないな。
頑張って続けるしかない。

どうするかは、やりながら考えよう。

争ってばかりじゃダメか?

そりゃまぁ、戦争はダメですけど
今回はちょっと違うお話しです。
いや、ひょっとしたらあまり違わないかも。

私なんかの世代は例えば
「レースで勝つ!」
なんてことをゴールにセットすれば
無条件で燃える動機になったものですが
どうもこれからは違うのではないかな
という気がしています。

今考えてみたら
そういう単純な動機って
結構底が浅いというか
「で、その後どうすんの?」
と言いたくなるような感じですよね。

でも、これからのご時世は
「その後」「その先」が大事なのではないかと
そんな気がしているのです。

「カネが欲しい!」
「で、その後どうすんの?」
みたいな感じ。

これが競争社会の終わりってヤツでしょうか。

かつてはゴールとしてセットできたものが
今では単なる手段と化している。

いや、そうじゃないな。
実は「かつてのゴール」はやはり手段で
それによって手に入る感情が欲しかったのでしょうね。

良く考えてみたら
私なんかの世代が欲していた感情って
小さな自己満足に過ぎなかったのかもしれません。

個と個の相対関係での優位性で得られる優越感とか
そんなものが欲しいものだったのかもしれません。
だから個人単位での争いが動機になったのかも。

戦後の復興とか、それに続くバブル経済なんかが背景にあったら
そうなるのかもしれません。

今はその先に行こうとしているのでしょうか。

自分だけの満足では小さすぎて
もう動機にならないとか?

だとしたら今まで続いてきた争いの世代は
終わろうとしているのかもしれませんね。

では、その先はどうしたら良いのでしょう。

それを模索していくのがこれからの時代で
新しい価値観が生まれるのかもしれません。

これは引き続き考えていくことにしましょう。

見えるものと見えないもの

技術が発達してきて
物理的なものとか
定型的なものとか
見えるものとか
数値化されたものとか
そういったものの価値が高まってきました。

そういった状態では
見えないものは
なおざりにされがち。

ですよね?

多くの学校では
何を覚えたか
何ができるようになったか
のような「見えるもの」「測れるもの」が重視されます。

社会に出れば
目に見える数値
お金を重視します。

そりゃ、お金はあった方が良いのでしょうけど
いっぱいあれば、すなわちハッピーというわけではありません。

別に見えるものや測れるものを否定したいわけではなくて
そういったものを手に入れるのだって
実は見えないものが根底にあるんだよね
というお話をしたかったのです。

だって、そういったものを手に入れるために頑張るのだって
心の問題でしょう?

でも、心の問題は
低く見られがちじゃないですか?

欲しいものが手に入ったり
やりたかったことができるようになれば
心が豊かになって自信が付く?

それ、逆ですよね。

心の問題は
超絶に重要なはずなのに
多くが重視していないですよね。

これ、残念なことですが
チャンスでもあるかもしれません。

で、どうすんの?
というのが今の課題です。