自由ですか?

自らに由(よ)る
で「自由」

何も縛りが無いことを自由と言ったりもしますが
その末は、自分で決めるということになります。

なので
自分で決めていなければ
それは自由ではない
ということになるでしょう。

自分が好きなことができていても
自分で決めていなければ
単に与えられたものであれば
それは自由ではない?

そうでしょうね。
それは自由ではないでしょう。

「自由ではない」
というと
不自由で不満がありそうです。

でも、そうでもないのですよ。

不自由にもメリットがあって、それは
「自分で決める必要がない」
ということです。

そのメリットを継続的に享受しようと思ったら
依存し続ける必要があります。
もちろん、依存に伴うデメリットも発生しますが
それを受け入れ続ける限り
自分で決める必要がない
というメリットを享受できます。
とはいえ、ものごとには必ずいずれは終わりが来るものですが。

依存される方も、それが単純に負荷となるかというと
そうでもなかったりします。

依存されるということは
存在意義や価値を感じられるからです。

自由は面倒で難しいものです。
自分で決めなければならないから。

でも、面倒で難しいからこそ
それに伴うメリットがあるわけで

自由と不自由それぞれの
メリットとデメリットを比較して
どちらを選ぶかを決めることになるのですね。

しかもその多くは
無意識で実行されていたりもします。
むしろその方が多いでしょう。

そんなことを心に留めておくだけで
何かが変わるかもしれません。

ChatGPTの動作のお話し

ヤツ、実は正しい答えなんて出してないって知ってました?
そういう仕組みじゃ無いのですよ。

そもそも正しいって何だ?
って話もあるんですけどね。

ChatGPTがどんな動作をしているかというと
ユーザーが入力した言葉を分解して
そのワードに対して
一番確率の高い言葉で返しているだけ
なのだそうです。

え!
それが人口「知能」なの?

そうらしいです。

なので、聞いたことに対して
正しいことを答えていないのです。

確率の高い、ありがちな返答内容です。

それが良く分かったのは
自動車の歴史、しかもかなりマイナーな話を振ってみたところ
案の定、多くの人が勘違いしている内容で返答してきました。

それに対して突っ込みを入れると
「済みません」って素直に謝ってましたけどね。
そうやってさらに学習しているようです。

でも、この事実を知った後
自分が人の話を聞いているとき
返答しているとき
自分の脳ミソが、どのような処理をしているのか
気にするようになりました。

確かに、話を聞いているときに出てくるワードに対して
いちいちどう返答するべきかをサーチしている気がします。

ChatGPTを開発した人、凄いなぁ
と思いましたね。

自分の頭の中で、どのように思考しているかなんて
今まで意識したことありませんでしたもの。
それに気付けるなんて、ホント凄い。

恐らく従来のAI開発のアプローチは
入力に対して、いかに正しい反応をするか
を追求していたのではないでしょうか。

それを、脳の構造や
実際の脳の動作からのアプローチに切り替えた
ってことですかね。

恐らくAIは、今後も進化していくでしょうけど
どのように変わっていくのか楽しみですね。

色々な人がAIの進化に対して懸念を持っているわけですが
その懸念の内容も何となく分かった気もします。

それは色々あるでしょうけど
一つはAIを使う我々の側にあるのは間違いない
と思っているのですが、どうでしょう。

ピラミッドの話

初めてエジプトのピラミッドを見た時
どう思ったと思います?
エジプト最大のクフ王のピラミッドです。

思ってたより大きくないなぁ
です。

実際は大きいですよ。
でも、見る前の期待に対して
ということです。

期待値が大きすぎたのです。きっと。

クフ王のピラミッドの存在が近代文明に認識された当時
世界で最も高い人口の構造物だったそうです。
そして、作り方に関しては
現在も決定的な説は無いなど、とても興味深いです。

技法としての作り方は良く分からないけど
分かっていることがあります。

それは…

最終形態を決定してから作り始めたのは間違いない
ということです。
当たり前ですが。

頂上には大きな四角錐のキャップストーンが乗っていたのですが
(今はありません)
その位置と形状はすでに決まっていて
そのために最下段から作っていったのは間違いないでしょう。
要は、キャップストーンはゴールです。

世界最古の木造建築群である
法隆寺も同様でしょう。

法隆寺の五重塔は
1,300年を経た今も立ち続けています。
もちろん何度もメンテナンスはしていますが
基本的には昔のままです。

ゴールとしての最終形態ありきで
土台から作っていくのは、いずれも同様でしょう。

さて、今回は何が言いたいのか?

何で社会に出る前に
ゴールやビジョンを実現する経験をしないんだい?
ということなんですよ。

技術だって学問だって
そのためにあるのに。

どうなっちゃうか分からないけど
まずは土台から作ってみるか
なんてことはあり得ないですよね。

できるかどうか分からないけど
ビジョンを実現するために頑張ってみて
何が大事か体験しないと
その先の学びだって、どうしたら良いかなんて判断つきませんよ。

「どうせ社会に出たらやることになるから…」
じゃ遅すぎます。

だって、ビジョンのためにやる
という経験が無くて
言われたことをやる
が習慣になっているのですよ。

年齢を重ねてから
急に路線変更なんてできませんよ。

もちろん、そんなんじゃ面白いことになりません。

若いうちはデカイ事なんてできない
なんてことはありません。

三内丸山遺跡の大型掘立柱建物を知ってますか?
直径1mm長さ14m以上のクリの丸太を6本立てた構造です。

当然ながらこの頃は、クレーンなどの機械も、運搬のための車輪も
木を切るための金属製のノコギリすらありません。

縄文時代の平均寿命は30才くらいです。
なのでこれは、凄く若い連中が頑張ったに違いないのです。

歴史を振り返れば
世界中、きっとそんなことばかりです。

なので、今はできないなんてことはあり得ません。
今だってできるはず。

ちなみに、三内丸山遺跡は二度ほど行きました。
ぜひ足を運んで、現物を前に当時を想像してみて下さい。
「オレにもできるかも」
って思えるんじゃないかな。